2008年6月22日 (日)

白いロシアに風吹けば

 昨夜は、居眠りしつつも見てしまいました、Euro08の準々決勝オランダvsロシア。今大会は、決勝トーナメントに入ってから番狂わせが続いていたので、マサカとは思っていたのですが、とんでもないまさかが起こってしまいました。予選を無敵の強さで勝ち上がったオランダが、まさかロシアに・・・。

 今大会一番の番狂わせではあったのですが、ジャイアントキリングに良くありがちな、守って守ってカウンター一発という勝ち方ではありません。ヒディンクのチームの常とはいえ、ロシアは、運動量がケタ外れで攻撃的。完全にオランダに走り勝ってました。つか、オランダは何だってあんなに動けてなかったんでしょう。暑かったんでしょうかねえ。

 それはそうと、昨夜のTBSの中継で、ロシアのGKアキンフェエフのことを、解説の金田さんが、「モンスターロシモフの再来と言われています」って口を滑らせて、「あっ、『ヤシンの再来』でしたっ」って言い直してましたが、史上最高のGKと言われるレフ=ヤシンの名前より先に、アンドレ・ザ・ジャイアントの旧名を思いついちゃう金田さんって・・・、ある意味スゴイ。~o~;;;

 先ほどまで、夕食を取りながら再放送の録画を見ていました。今日は、差し迫った締め切りも無かったので、ノンビリと。まぁ本当のところ、そんなにノンビリしてると、苦情の出そうなところが二、三箇所ほど・・・。~o~;;;

 録画を見ながら、先日房島屋「兎心」とともに購入してきた群馬県町田酒造の「純米吟醸50 町田酒造」をいただきました。んーーーー、こいつぁまた、すごい!華やかで甘い上立香、含むとキレイな酸と甘味が口中に広がっていき、サラリと品良く納まります。その納まり具合引き具合がお見事。貴婦人の身のこなしです。

 女性杜氏さんが細心の注意を払った力作らしいのですが、いかにも女性らしく華のある中にも気配りの行き届いたバランス。またまた日本酒新時代の旗手が現れたって感じです。こんな酒が、四合1500円ほどで買えちゃうんだからねえ。~o~

 貴婦人と言えば、「スイスの貴婦人」、とうとう今日予約注文してしまいました。なんちゃってGSの172cmです。いやー、秋が楽しみです。

 ところで、表題は、ワタシの母校の合唱部に代々伝わる幻のオリジナル曲のタイトルです。かの世界的指揮者O野K士君も若き日に熱唱した名曲。

 ♪白ーい、ローシアーにかぁぜふーけばぁー、

  ナーイチーンゲールがホーホーケキョー。

  コロッケ食べたーい、とーもぐいだー。

  泣ーいてた幽霊、うらーめーしやぁー♪

 ってね。~o~

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2008年5月12日 (月)

マジメに「アタシ」であること~たむらぱん『ブタベスト』

 いや~たむらぱんです。聞いちゃってます。たむらぱん。

 数日前の「めざましテレビ」で取り上げられてたのを見て、ちらりと記憶に残ったのですが、一昨日、CD屋さんに行って思い出し、購入してしまいました。こんなカブリモノのジャケ写、はっきり言って大人は恥ずかしくて買えませんヨ。何とかしろよ、たむらぱん。~o~

 何でも、ネットから火がついたそうです、たむらぱん。まあ、ネットならジャケ写関係ないか。それにしても、たむらぱん、売れてるんでしょうか。検索かけてみると、41300件もヒットします。公式サイトに行くと、『ブタベスト』の楽曲はいろんなTV番組に使われているようです。

 それにしても、このジャケ写、この名前、この売り方にしては、マジメな人です、たむらぱん。つか、詩を読んじゃうとどうしょうもなくクソマジメ。マジメにポジティブに「アタシ」であろうとし続けます。

 ♪あたしは上手く生きられないけど、いつも明日を見て歩いてるの

  ほら 空はいつも晴々して 素晴らしい予感を携えていそう ♪

                   (『フロウハロウ』)

 ♪また失敗しちゃってどんなに『頑張りました』って言っても

  全ては過程より終わりの成果が日差しをあびて行く

  同じような事がこれから百万回あったとしても 

  心配ないと確かめるように言うの

  『あたしはたまたま今日ついてなかった』と

  それだけだと ♪

                   (『アミリオン』)

 いやー、なんだいこのポジティブであろうとするマジメな「アタシ」わっ?! あのブタのジャケ写とどう整合性を取ろうっての?! ~o~;;

 それにこのマトモな歌の上手さってのは、何なんでしょう。マトモに良い声です。ちょっとマトモ過ぎ。多分、「たむらぱん」という名前とジャケ写が無かったら、詩も歌も優等生過ぎてその他大勢の中に埋もれちゃうんでしょうね。

 でも、本人はマトモでマジメで一生懸命なので、癒されたりもします。「それもいいよー それもいいよー」(『責めないデイ』)という一生懸命な繰り返しに、ああ、こんなオレの日常も肯定してもらえるのだろうか、なんぞと感じてしまうんだネ、きっと。オジサンも、ちょっとそんな感じで、たむらぱん。~o~

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2008年5月 6日 (火)

と日記には書いておこう日本酒とスーリートミュージシャンの備忘録

 昨日は仕事の後、吉祥寺の居酒屋「蔵」で夕食をとりました。一杯目、山形県楯の川酒造さんの「楯野川 中取り純米 出羽燦々」は、ほのかに甘い上立香がして、含むと軽い甘みと旨みがジワっとわき、サラリと切れる良い酒でした。特に切れ方が印象的です。雑味の無さがこの切れを生んでいるんだと思うけど、久々に印象に残る良い酒でした。楯の川さんを見直しました。これは、覚えておきたい酒なので、日記に書いておきます。

 んで、二杯目に新潟県J市某酒造のNという酒の純米酒をいただいたのですが・・・。ワタシゃ日本酒を注文して残すということはほとんどしません。もったいないし、何かしら良いところがあるものだから。ところが、この酒は・・・、本当に久々に一合の半分以上残して帰りました。

 まず、含んで昔の安酒のイヤな匂いがします。続いて、ベタっとした感じのアンバランスな味わい。まるで、大昔の三増酒を飲まされたような気分になりました。これでは、同じ「もったいない」でも、肝臓を消費するのがもったいなくなります。こんな不味い酒、久しぶりだなぁー。純米も何もあったものじゃありません。イマドキの酒じゃないですね。

 こんなものを「昔ながらの酒の味わい」などと言ってありがたがる人もいるんでしょうねえ。まー、好みの問題なんで他人様のことをアレコレ言う気はないけど・・・。

 この酒造の酒は、以前飲んだことがあったはずなのですが、こんなことは無かった気がします。でも、そんなことはもうどうでも良いです。間違いなく言えることは、もうこのNという酒は絶対に注文しないということ。忘れるといけないので、これまた日記に書いておきましょう。

 今日、もう一度「蔵」に行ってみると、なんと、Nがメニューから外れています。うーむ、客が残していったことに対する素早い対応なのか、それとも単に売り切れちゃったのか・・・。代わりに長野県佐久大沢酒造さんの「勢起 純米大吟醸槽搾り」が入っていました。佐久の大沢酒造って何を作ってるんだっけ、と考えていたら、「明鏡止水ですよ」と店員さんが教えてくれました。あー、そっか。~o~

 大沢酒造のお婆ちゃんの名前が「勢起」なんだそうです。ちなみに、ラベルの文字は、吉祥寺のあの辺に住む書道家の方の筆跡だとか。

 こいつぁ、美味いです。甘い上立香、含むとキレイな酸があってズシリと濃厚な旨味が沸き、ふつりとキレます。やや旨味が濃過ぎるため、食事に合わせるというよりは、主役になってしまう感はありますが、でも、これだけ美味きゃ大満足。これも日記に書いておきたい名酒でした。

 駅までの帰り道に、ちょっと洒落たストリートミュージシャンを見かけました。ギターとアコーディオンとウッドベースという変わった取り合わせ。ボーカルも個性的な声で、かなりインパクトあります。インディーズならかなりのレベルじゃないでしょうか。「ふうじんざ」というんだそうですが、歌詞にもう少しインパクトがあったら、メジャーでもイケると思うんだけど・・・。まあ、これも一応日記に書いておきましょうってことで。~o~

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2007年11月12日 (月)

騙されたつもりで

 今日は午前八王子、夜吉祥寺で授業の日。夜の吉祥寺が終わった後、吉祥寺の居酒屋「蔵」で夕食でした。今日は、鳥取県江原酒造さんの「伯陽長 大吟醸」と兵庫県田治米合名会社さんの「竹泉 純米醇辛」をいただきました。両方とも全く聞いたことがなかったので、ちょっと騙されたつもりで頼んだんですが・・・。

 「伯陽長」は山田錦35%のアルプス酵母使用。日本酒度+5、酸度1.2だそうで、いかにも大吟醸。含むと甘い含み香にキレイな甘さがあって、軽い旨味が広がり咀嚼と同時に切れます。十二年前だったら、これで一升8000円は取れたでしょうねえ。今や、この「伯陽長」はこの品質で一升3150円です。すごいコストパフォーマンス。

 一方、「竹泉」は精米60%日本酒度+9の酸度1.8だそうです。確かに酸は感じますが、それより含み香がすごい。ガツンと来る酢酸イソアミル。ここまでイソアミってるとバナナというよりバニラです。バニラ香が自慢のプレミア焼酎以上のバニラ香。これで、一升2625円だというんだから、すごーい!まだまだこんな酒があったんですねえ。

 帰宅途中、吉祥寺駅前で、アンデス民族音楽の皆さんがストリートしてました。このテの出稼ぎ楽団は、『コンドルが飛んでいく』さえやっときゃ良いだろ的なところが嫌いで、今までほとんど立ち止まったことがないのですが、今回のは、ちょっと聞いてクォリティの高さが判りました。特に縦笛のお兄さんのテクは凄かった。思わず騙されたつもりで、CDを購入しちゃいました。3000円は、ちょっとボラれたかもしれませんが、まあ、自宅のステレオで聴いてもクォリティは高かったので、良しとしときましょう。~o~

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2007年10月29日 (月)

歌の力、声の力

 先日、コンビニに買い物に行った時、店内で、♪銀の龍の背に乗って~♪という曲が流れていました。あー中島みゆきだぁと思ったのですが、ふと、この「銀の龍」って何だろうと思ってしまったんです。判らない。もしかして何か出典があるのかもしれません。でも、多分、この曲を聴いている人のほとんどが知らないはず。にも関わらず、この曲には不思議に説得力があります。というか、中島みゆきの歌唱が説得力を持たせてしまっています。やっぱりあの野太い声には力があります。

 声の力と言えば、ワタシの大学時代のサークルの先輩に某オフ○ースの高校の後輩という人がいて、さすがに高校の後輩だけあって、某オフコ○スの曲に詳しいのですが、その人の解説によると、某オ○コースの曲のすごいところは、多くの曲が、"女ったらしが上手く女と切れる"という内容の詞なのに、それを聴いている人間に感じさせないところだというんですね。

 ワタシは、某オフコー○の曲に関してあまり知識がないのですが、これなども、もし本当なら某小田○正の声の力でしょう。確かに、♪サヨナラ、サヨナラ・・・♪なんて曲は、女と切れる時の曲だけど、あの曲を聴いて「優しさ」を感じさせちゃうのは、あの柔らかい高音部の声の力なのかなぁ。

 このブログでは、何回か平原綾香の表現力について触れていますが、あの表現力もつまるところ、良く響く低音の声の力です。お嬢さん趣味の楽曲だろうが、無意味なゲームのテーマ曲だろうが、ユーミンだろうが、彼女が歌えば深い思索と哲学を感じさせてしまうんです。手に触れる物を全て黄金に変えてしまったギリシアの王様みたいに。

 実は、同じようなことを予備校屋をやっていて感じることがあります。ワタシは、以前、それほど声に気を使いませんでした。内容がしっかりしていて面白く、かつその内容が確実に生徒に伝わればそれで良いだろうと思っていたんです。だから、何の工夫もなくひたすら淡々としゃべっていたんです。ところが、それだと、生徒さんは実に良く寝てしまうんですな。ワタシの声は催眠術のように彼等を寝かせてしまうんです。

 んで、ある時からしゃべりになるべく抑揚を付けるようにしました。その効果か、今では授業が上手くいっている時は、あまり生徒さん寝ません。ところが、こちらが体調不十分だったり準備不足だったりして単調になると・・・。よく寝ますねへ。

 最近、某大きな掲示板の予備校板で、ちょっとだけワタシの名前が出たのですが、即座に「眠いです」って切り捨てられちゃいました。これでも以前より大分マシになったんですけどねへ・・・。~o~;;;;;

 抑揚の問題もあるけど、声の高さも大事みたいです。男性講師の場合、低音の方が生徒さんは信頼してくれるようです。他の教科の先生の話ですが、講師控え室に質問に来た生徒さんに対して、ものすごく良く響くバリトンでささやくように答えている先生がいます。内容的にはたいしたことなさそうなことでも、生徒さんはほとんど「信者」となって聞き入っています。ああ声の力だ、と感心してしまいます。

 ここから一般的な話ですが、ということは、あまりに信頼できそうな声で物を言われたら、気をつけた方が良いのかもしれません。眉にツバつけて聞かないと、いつの間にか「信者」にされてるってことがあるかもネ。~o~

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2007年8月10日 (金)

なるほどのストリートミュージシャン

 今日は、夏期講習第五ラウンドの二日目。講習自体はまあまあ。終わってから居酒屋「蔵」で夕食を取り、帰りかけた時のこと。

 駅へ向かう道の途中で、なにやら音楽が聞こえます。どこかのお店で流しているBGMのたぐいかと思ったのですが、ストリートの生演奏でした。BGMと間違えるってことは上手いんでしょうね。

 吉祥寺は、ストリートのレベルが高い町です。駅前で演奏しているバンドでもかなり聞かせるレベル。八王子あたりの学生ストリートミュージシャンとは全くレベルが違います。今回のバンドも、CDデビューを控えたバンドなのだそうで、男二人と女性ボーカルのトリオなのですが、なかなかカッコいいギターを聞かせてくれます。思わず立ち止まって聞いてしまいました。うーむ、女性ボーカルも技術高いです。ワタシ以外にも路地の反対側に立ち止まって聞いている客が多数。

 ところが、演奏の途中で、宴会を打ち上げた人達が流れてきて、演奏中のバンドの前にたむろしてしばし歓談。バンド見えなくなっちゃいました。バンドの子達は、そんな状況でも必死で演奏を続けているとみえて、演奏はシッカリ聞こえます。

 ところが、この状況、全く違和感が感じられないんですよね。

 このバンド、確かに高い技術はあるし、センスはあるし、よく聞いていれば良い曲を演奏しているのですが、どーも何か足りないと思っていました。宴会流れの人達のおかげでハッキリしました。全くインパクトがないんですよ、「THYME」の皆さん。あなた達の曲は、良く出来た町のBGMに過ぎないんです。~o~

 ボーカルもギターも上手いんだけど、平板な印象で、良く聞いていれば上手いけど、通行人の足を止める力が無いんです。だから、宴会から流れた人達が、バンドの前で平気で歓談できちゃう。もし、ストリート時代の椎名林檎だったら、演奏する彼女の前で立ち止まって歓談なんて絶対に出来ませんよね。~o~

 翻って、予備校の授業もきっと同じようなものなんでしょうね。どんなに良い内容を上手い話術でしゃべっても、インパクトを与える内容、インパクトを与えるしゃべりじゃなかったら、聞く気のない子供達には高い評価をされないんでしょう。有名人気講師って、結局そこが我々と違っているのかも・・・。

 てことは、自分で満足できる良い内容の授業をして、なおかつ無名講師のままでいたかったら、インパクトを意識的に与えなきゃ良いってことになるのかもね。これは研究の価値あり。~o~;;;

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2007年7月21日 (土)

時間の倒錯またはタイムリーパーな一日

 帰国して三日目。まだ生活のリズムがムチャクチャです。昨日は時差通りに早起きしてしまい、昨夜は晩酌の途中でバッタリ。目が覚めたら二時過ぎで、そこから風呂に入って再び寝ようとベッドに入ってちょっとのつもりでTVをつけたら、なんだか随分若い原田知世が制服着て出てきました。どうやら大昔の『時を駆ける少女』らしい・・・。

 見入ってしまいました。いや別に知世ちゃんにじゃなくて・・・。~o~;;

 『時を駆ける少女』が大林監督の尾道三部作の一本だってことはモチロン知ってました。ただ、制作された83年当時は、ワタシも生意気な大学生だったので、今さらアイドル映画見られるかよっ、て無視して見てなかったんですよ。その後も、『転校生』を見る機会はあったけど、『時を駆ける少女』は機会も見る気もなかったんですよね。んで、初めて見て驚きました。キレイで叙情的な映画なんですねえ。尾道にまた行ってみたくなりました。

 学生時代、「三部作」の少し以前に、一度、尾道を訪れたことがあります。丘の上の公園から見下ろすと、瀬戸内の島々と町を埋め尽くす大小の甍。

 大屋根はみな寺にして風薫る

 誰の句だったか、句碑の通りの眺望でした。家々の生活の間を縫って細く曲がりくねった石段を下って行ったのを、ついこの間のように覚えています。TV画面の中では、まさに、その石段の道を若き日の原田知世が下って行きます。しっとりと落ち着いた瓦屋根の古い町並みを、何故か赤い鼻緒のぽっくりを履いた知世ちゃんが歩いて行きます。うわー良いなぁコレ。

 主演女優が・・・、あんなにキュートじゃなくて良いからもうちょっと演技の出来る人だったら・・・、まあそれはしょうがないですね。つか、あの棒読み台詞がこの映画に一種の味わいを添えて・・・なんて考えるのはちょっと茶人趣味過ぎますかねぇ。~o~;;

 なんて、考えている場合じゃねーやと気づいて途中で眠りについたのですが、なんとか今朝は起きられました。ホッ。~o~;;

 午前中、横浜で授業。夏期講習の開始です。某W大対策の講座でしたが、何とかつつがなくこなして帰宅。NZからの帰国便で、どういうわけか頭の中に鳴り続けた南佳孝『夜の翼』を、十数年ぶりで聞きたくなり、南佳孝の二枚組ベストCDを買ってきてしまいました。なにしろ、この時代の曲はCDじゃ持ってないもんで。~o~;;

 この人、今聴いてもオシャレですねえ。もっとも初期の頃は音程に合わない曲ばかり歌ってたこともあって、歌下手ですけどね。この時代の人達って、大貫妙子や山下達郎なんかもそうだけど、途中から急に歌が上手くなります。つか、初期が下手過ぎ。たー坊も初期は超下手クソだったもんなあ。ヨーロピアン三部作の頃、青学でやったコンサートに出かけたことがありますが、下手だったですねえ。後の「大人の女性シンガー」大貫妙子からは想像も出来ないほど、ステージの上で落ち着きがなかったし。

 なにしろ、最初の曲のイントロが鳴ってるのに本人が出てこず、歌が始まる寸前にステージ袖から髪振り乱して駆け出してきて、マイクひったくるようにして歌い始めたりして・・・。アレは何だったのだろー。~o~

 などと、回想に浸っていると、もう時代も時間もワケがわからなくなります。ワタシ自身はあの時代からあんまり変わっていない気がするのですが、一体何十年経ったのやら。ワタシの中で変わったことと言えば、スキーが上手くなったことくらいでしょうか。外見もあんまり変わってないしね。なんだか時代遅れの物の怪のような気分です。~o~;;

 多分、今夜も時間のメチャメチャな夜を過ごすことになるんでしょう。時間が倒錯しているのか、ワタシが時間軸の上を跳び回っているのか・・・。~_~;;;;;;

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2007年6月10日 (日)

ハルジョオンヒメジョオンに囲まれて

 昨日は、横浜で特別授業の後、やっぱり八海山ペンションYにBBQに向かいました。横浜の特別授業が意外に上手くいき、また意外に早く終わったこともあり、ずっと頭痛の種だった問題集を金曜に脱稿できたこともあって。

 と言っても、新潟に向かう道中はずっと雨。一時高速道路上が滝のようになり、どうなることやらと思ったのですが、八海山に着いてみるとペンションYでは前庭にシートを張ってやっていました、BBQ。夜九時からの参加だったので、ほぼ終わりかけていたのですが、みんなワタシを待っていてくれました。オーナーのM夫妻と常連さん達に囲まれて、とりあえず乾杯。ホッ。~o~

 今日は午前中からみんな農作業でした。実は、昨日のBBQは、アスパラ狩りという企画の一部で、メインは昼間のアスパラガス畑での農作業にあったんです。ペンションYはコシヒカリ生産農家なのですが、アスパラも生産しているんです。んで、生まれて初めてアスパラ畑というものに行ってみたのですが、へぇー、こんなふうに生えるのか。

 今回この企画に参加している常連さん達のほとんどが、今日はアスパラ畑の雑草取りをする中、ワタシは初めてだったので、比較的楽な収穫係をやらせてもらいました。アスパラって、地下茎でつながってるらしいのですが、太さも長さもバラバラなものが畑からポツリポツリと不規則に生えています。ある一定の長さ以上に成長したものを収穫していくのですが、太さはバラバラ。収穫し終わってから太さによって選別してまとめ出荷するんです。

 みんなが作業しているアスパラ畑の隣に、白い花が咲き乱れる荒地がありました。ただの荒地なのか、それともこの白い花を栽培しているのかと思っていたら、なんと、これは元アスパラ畑なんだそうで、放置していたら、雑草だらけになっちゃったらしいです。まだ、アスパラの地下茎が残っているので、その荒地も一応見て回り、出てきているアスパラを収穫しました。白い花と雑草たちに囲まれて畑を歩くと、草いきれで目が回りそうです。

 ワタシが栽培しているのかと錯覚した白い花は、ハルジョオンかヒメジョオンだとオーナーに聞いて二度ビックリ。ハルジョオン・ヒメジョオンと言えば、ユーミンの名曲じゃないですか。ナルホドこんな花だったんだ。植物に詳しい友人がハルジョオンとヒメジョオンの区別を教えてくれました。もっとも彼も、どちらがハルジョオンでどちらがヒメジョオンだか知らないそうで、結局、アスパラ畑の白い花はどちらだか判らず仕舞い。

 しかし、なんだって、ユーミンは「ハルジョオン・ヒメジョオン」というタイトルで、歌詞の中に「ヒメジョオン」しか歌わなかったんだろ。区別がついていたのでしょうか。でも、その割りにタイトルには二つを併記しちゃってるし・・・。結局、どっちだか区別がつかないけど、耳障りの良い「ヒメジョオン」を歌詞には使ったということかしらん。~o~

 農作業は午前中で終わり、昼食後、収穫したアスパラをお土産にもらって、帰途につきました。帰り道は、途中の温泉に寄って行くという例のコブ好きK嬢とその友達H嬢を途中まで道案内。この二人、いつも一緒に行動するので、ペンションYでは双子かと言われています。さて、この二人はどちらがハルジョオンでどちらがヒメジョオンなのやら。ちなみにK嬢は畑の白い花を超散文的に「ビンボー草」と呼んでましたが・・・。~o~

 帰宅後、夕食。一昨日購入した「香梅純米大吟醸」を飲んでみました。華やかな香り。しかし、試飲の時感じた「軽やかな甘さ」より、味わいは「端麗辛口」と言った方が相応しかったです。試飲ってアテにならないですねえ。この酒を試飲する前に、けっこうイロイロ試飲しちゃってたから、舌がバカになってたのかしらん。ハルジョオンとヒメジョオンほどの、あるいはK嬢とH嬢ほどの紛らわしさもないのにね。~o~;;;;;;

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2007年5月 8日 (火)

社会化されていく我とCommunication Breakdownの行方~YUI 『Can't Buy My Love』

 YUIのセカンドアルバム『Can't Buy My Love』をヘビロテしています。かなりカッコ良い仕上がり。特に「I remember you」と「CHE.R.Ry」の間に「Ruido」をはさんだ構成は見事です。「CHE.R.RY」をシングルで聞いた時は、アレっ?!と思わないでもなかったのですが、こうして前に「Ruido」を置かれてみると納得します。ちょっと林檎嬢の「ギブス」-「闇雨」-「アイデンティティー」のつながりを思い出してしまいました・・・と言ってしまってはホメ過ぎでしょうね。~o~;;

 詩の世界には、前作に比べてかなりの変化が見られます。前作でひたすら内向するばかりだった彼女は、社会の中で自己を捉えるようになったように見受けられます。前作ではただ<自己/他者>で分節されていた彼女の世界の中に、<子供(自己)/大人(他者)>という対比が持ち込まれたり(「How crazy」「Thank you My teens」 )、理解し合おうとする「君」や「あなた」が現れたり(「It's all right」「Why?」)します。彼女の自己は明らかに社会化されつつあります。

 もちろん、これらの変化を彼女の現実の私生活の変化に結んで、「YUIは彼氏が出来たのか?」などと言うのは短絡的に過ぎるでしょう。何故なら、「I remember you」「Good-bye days」は完全に虚構の世界、「『僕と君』の彼岸」にある曲だからです。「Umbrella」なんかだって、かなり物語性の強い曲です。昔別れた彼を迎えに、「わかってるはずなのに 雨が降るたびにここに来てしまう」と歌うこの歌、正直言って、昭和歌謡曲みたいでこのアルバムの中では失敗作ですが、でも、コレ、まさかYUIの実体験に基づいた曲とは思えないモンね。~o~;;

 むしろ、『タイヨウのうた』という虚構の作成に参加することによって、彼女が、自己の外に社会を発見したと捕らえるべきではないでしょうか。

 そうして、社会が「発見」され意識されたからこそ、言語によるコミュニケーションの可能性が、彼女の次のテーマとして見据えられていきます。「説得したいのにうまく話せない そんなんじゃダメ」(「How crazy」)、「言いたいことは言わなくちゃ」(「Rolling star」)、「もっともっと話してみなくちゃ」(「It's all right」)、「ほんの一行でも構わないんだキミの言葉がほしいんだ」(「CHE.R.RY」)、「どうして人は言葉を持つのだろう?心が見えにくくなる」(「Why?」)

 昨年、4/4「不機嫌な内向ロック」において、『From me to you』の彼女は、

「『濡れたブランコ』のようにスレ違うだけの他者との断絶に絶望して、『心の中すべてを、とても伝えきれない』『カギがみあたらない。だから出られない。この部屋から』と叫ぶばかり」

だと書きました。多分、彼女は自己を開く「カギ」として、言語によるコミュニケーションを見出したのではないでしょうか。

 もちろん、このコミュニケーションはまだブレイクダウンする運命です。だからこそ音楽が生まれます。言語によるコミュニケーションのブレイクダウンこそが、このアルバムの隠しテーマなのかもしれません。

 コミュニケーションがブレイクダウンする以上、彼女と「外界との健全な断絶」は依然として存在します。そしてそれが存在する限り、彼女の創作活動は続くのではないでしょうか。というか、そうした関係は是非続いてほしいものです。なぜなら、このアルバムの中でも言語コミュニケーションのブレイクダウンを歌った「How crazy」と「Why?」は、特に痛切に美しく響く曲だからです。

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2007年5月 1日 (火)

「エンカ/非エンカ」で分節される世界またはロックスターの墓碑銘

 昨日、「非エンカ系」料理について書きましたが、実は以前から、音楽については同様の分節を考えてきました。現在ロックやポップスに分類されている音楽だって、アーティストにより作品により「エンカ/非エンカ」に分類することは可能だし、ある程度有効だと思います。

 例えば、某八王子出身のニューミュージックの女王。明らかに「エンカ系」です。彼女は、ある世代の人達の共同体意識をくすぐるのが非常に巧みで、そのことが彼女の魅力の大半であるように見えます。もっとも、コンサートでは「驚きをもたらすことによる感動」が盛りだくさんになるらしく、エンターテイナーとしては「非エンカ系」らしいのですが。

 例えば、某亡くなったカリスマロックスター。完全に「エンカ系」です。彼は、既成の「不良少年」を演じ続け、既成の「不良少年」を歌い続けて同世代の共同体意識をかきたて、カリスマとなりましたが、作品の中身には新鮮味や驚きが少ないので「不良少年」意識の共同体に属さない人間にはあまり支持されませんでした。ワタシなども正直言って、こんな「月並み」の繰り返しのどこがロックなのかと思っていましたが、「不良少年」意識を共有できる人達(現実に「不良」かどうかではなく「願望」も含めて「意識」の問題)には絶大な人気を現在でも持っているようです。

 正直、彼の墓碑銘には「エンカ歌手」と書いておいたら良いのではないかと思います。

 念のために書いておきますが、ここでいう「エンカ」とは何らかの評価ではありません。別に、非難しているわけじゃないんです。ただ、彼の魅力は単なる「ロック」ではなかったはずです。そこのところは、「信者」の人達にも判っていただけるのではないでしょうか。彼の魅力は「驚き」ではなく「共感」だったはずです。

 逆に、演歌歌手に分類されていても、某カラオケ定番歌『○○越え』を歌った女性歌手などには、「非エンカ」系の要素が強く見られます。その非凡で多彩な歌唱テクニックからリスナーに驚きを与えてくれるだけでなく、曲にも既成の発想を外れるものや既成の演歌リズムに乗らない変拍子などが含まれています。彼女などは代表的演歌歌手のはずですが、「非エンカ」と考えて良いのではないかと思います。実は、その微妙なバランスが彼女の魅力となっているのではないかと思います。

 そういう意味では、このブログで何度か批評した平原綾香は、曲自体は「エンカ」、歌唱は「非エンカ」ってことになるんでしょう。

 ワタシにとって、「非エンカ」の代表的アーティストは椎名林檎です。彼女の楽曲や歌唱は、既成概念を常に裏切り続け、リスナーに「驚き」を与え続けました。彼女の全盛期が短かったのは、そのことと無縁ではありません。「非エンカ」的創造を続けることは、自己を消費し続けることでもあります。

 では、YUIは?

 実は、今、YUIのセカンドアルバム『Can't Buy My Love』をヘビロテ中。『Can't Buy・・・』のことを書きたいと思って準備している最中デス。さてさて、このアルバムどう評価したら良いやら。予想以上にカッコ良いってのが今のところの感想なのですが・・・。

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2007年4月30日 (月)

非エンカ系料理の悦楽

 一昨日、尾瀬丸沼ペンションKの実テラスさんに宿泊しました。Kの実さんの夕食は久しぶり。相変わらずハイクォリティです。前菜も美味かったし、最後の肉料理も美味かったけど、友達仲間に評判が良かったのは、「アコウ鯛のソテーアオサソース」。パリッと焼けたアコウ鯛の皮にほのかな甘味のあるアオサソースが合ってます。友達のI夫人も感心してました。

 このKの実さんの奥さんは、料理好きなのですが、単に料理好きというより、多分イタズラ好きなんでしょうね。いつでも泊まるたびに何か驚くような趣向を用意してくれます。昨秋泊まった時の「イカとアボカドの細切りマグロ包みコチジャンソース」なんて典型だけど、何時でもお客を驚かせよう楽しませようとしてくれます。過去にも、いくつかインパクトのある料理を出してくれました。「海老のガレット明日葉ソース」なんて美味かったな~。~o~

 大事なのは、こういう変わった料理が美味しいということ。いくら驚かせる料理でも不味くちゃ意味ないです。初めて聞くような料理が美味しいのは勉強しているってこともあるけど、料理のセンスがあるからでしょう。もしかすると、天才かも、ってホメ過ぎか。~o~;;;

 こういう料理を創作料理と言ってしまえばそれまでなんですが、単に「創作」というに留まらず、言うなれば「非エンカ系」の思想を感じます。

 古代の和歌の世界には、決まり言葉やお決まりの景物の組み合わせなど既成の伝統的枠組みの中で最小限の「我」を表現する伝統がありました。雪を花に例えたり、梅に鶯、紅葉に鹿などを組み合わせたりすることで伝統的美意識に則り、一種の共同体意識に訴えかけて自らの美を表現するやり方です。そんな和歌の世界では、個性的過ぎる表現は嫌われました。曾禰好忠など「狂惑の奴」と言われて異端視されたものです。

 既成の伝統的枠組みの中で最小限の「我」を主張する思想は、日本の芸能の中に受け継がれ、やがて演歌となったものと思われます。演歌では、既成の発想、既成の旋律、既成のフレーズ、既成の歌唱法を必要以上にはみ出すことは嫌われます。北島三郎は、変拍子を使う曲すら嫌がったと言います。

 そんな、既成の枠組みを守って伝統的美意識に則り、共同体意識に訴えるやり方を「エンカ系」と名づけるとします。一方、既成の概念を裏切り個性を主張し驚きをもたらすことで感動を喚起しようとする思想を「非エンカ系」と名づけましょう。

 例えば、料理では、朝の豆腐のミソ汁なんてのは、それがどんなに上手く出来ていても「エンカ系」です。同じスキー宿の美味い食事でも、フランス料理の伝統的手法に則ったオーベルジュ・Fらいばぁんなどは「エンカ系」と言えます。しかし、Kの実さんの食事は明らかに「非エンカ」。「ロック系」って言っても良いかも。~o~

 そんなKの実さんの食事の、唯一の弱点は、食べたいと思った料理をもう一度食べるのが難しいこと。なにしろ放って置いたら、いくらでも新しい料理が出てきちゃうので、美味しかったものは特に覚えておいてリクエストしないと二度と食べられないんですネ。~o~;;

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2007年4月14日 (土)

お嬢さんの心、魂のヴォーカル~平原綾香『そら』

 今日は、奥只見に滑りに行く予定だったのですが、奥只見雨の予報に加えて原稿催促のメールが来たりして、ちょっと滑りに行く気にならず、ペンションYの自室で執筆のお仕事。なんとか編集者S嬢の胃痛を緩和する程度の原稿は仕上げられました。

 仕事の合間に買い物に出かけたのですが、最近、車の運転中は購入したばかりの平原綾香『そら』をヘビロテしています。この雪解けの季節は、ワタシにとっては新しいCDを聞く季節でもあります。なんせ、雪のある間はCDショップなんて行く暇ないもんで。~o~;;

 平原綾香、良いお嬢さんになりました。なんか、隣の家のオジサンの気分です。「いやー、隣の綾香ちゃんは、しばらく見ないうちに良いお嬢さんになったねえ・・・(シミジミ)」って感じです。ジャケ写だって、ホント綺麗になった隣のお嬢さん風。のびのび健康的。

 アルバムに収録された歌も健康的で何処へ出しても自慢できるお嬢さん風。シングルカットされた『感謝』なんかもそうだけど(それにしてもあーやはなんでウェディングソングが多いんだろ)、カバー曲『Christmas List』なんかも健康なお嬢さん趣味ですよね。

 ぶっちゃけた話、このアルバム、普通のヴォーカリストが歌ってたら、恥ずかしくてオジサン達は聞いてられないはずなんですよ、健康的過ぎて。まあ、ホントに隣のオジサンだったら、感慨深く聞くだろうけど、本来、縁もゆかりもないワケだし、「♪あなたに会えたことを空に感謝します♪(『そら』)」なんて歌われても、小ッ恥ずかしいだけでねえ。~o~;;;

 ところが、ところが、平原のよく響く低音、行き届いた表現力で歌われると、説得力があるんですよ。たいしたモンです。どんなに月並みな楽曲でも、優れた楽器を、表現者の魂をもった演奏者が奏でれば芸術たり得るという見本でしょう。

 だから、「『正義が勝つこと』をキリスト教の神に祈ってたら、現実には『戦争が起きない(『Christmas List』)』ワケねーだろー、どっかの国のお馬鹿の大統領の言い草じゃねーんだからー」なんていう意地悪な突っ込みは出来ないんだよなー、オジサン。~o~;;;

 彼女が優れた「楽器」であり、魂の演奏者であることは、もはや疑う余地がありませんが、それにしても、初回盤のボーナストラック『Come on a my house』は圧巻です。あの巻き舌は全盛期の椎名林檎嬢かと思っちゃいましたが、多分、林檎嬢よりもパワフル、かつ音の響きが三割増しくらい素晴らしい。人体の楽器としての可能性に思いを致してしまいます。あれだけ貫禄の演奏をされると、「Come on a my Budokan」と言われても、ちっとも不遜な気がせず、素直に拍手出来ます。たかが武道館なんて、アナタの家ですよと嫌味でなく言えます。

 初回盤を買えたのは偶然なのですが、本当にヨカッタ。『Come on a my house』だけで1500円分くらいの価値は十分あると思いますヨ。

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2007年3月28日 (水)

本格社会復帰といくぢなしの写真

 社会復帰三日目。どうにか本格的に復帰しつつあります。

 昨日は、スキーシーズン終盤に壊れたビデオカメラと車を修理に持って行きました。体の方もシーズン終盤、膝と腰に注意信号が出ていたので、良い骨休めできてます。つか、今、骨休め期間じゃなかろー。~o~;;;;

 まー、予備校屋としての労働期間はスキーヤーとしてはお休み期間なのでね。~o~

 今日は夕方の仕事まで洗濯などの雑用とデスクワーク。新聞も読むし、DVDハードディスクの整理もやったりして、ああ、これって社会人としての復帰第一歩なのかナ。

 久々に自宅でのんびり新聞読んでて一枚の写真が目にとまりました。朝日新聞夕刊の芸能欄にヘンテコな特攻服を着た見慣れたメイクの男が。おおっ、大槻ケンヂ君じゃないですか。うーむ、しかし。こりは、またうーむなお写真だこと。

 というワケで久々に筋肉少女帯を聞いてます。いやー、昔は良かったなー。あの頃の筋少はホント、パンキーでロックってものの何たるかを示してくれてたよね。世間も自分自身さえもシニカルに笑ってしまえる知性と自閉症少年の純粋さを秘めて、既成概念と常識を破壊しつくす暴力的パワーを溢れ返らせていた大槻と筋少の登場は衝撃的だったと思います。

 それが、今や、特攻服着て「中年熟年への『がんばれソング』をロックバンドとして成功させたいです」かヨ!ああ、年は取りたくねー。特攻服って、既成の暴力の象徴だろー。「狂えばカリスマ、吠えれば天才」などという既成の形に頼るロックを否定してたんじゃなかったの?! おまけにあろーことか、『がんばれソング』だとぉ・・・。

 そんなこと、大槻にだけはしてほしくなかったなぁ。「何もしないで生き仏」になっても良かったからさぁ。

 どんなにたくさんの人がバカにしても、

 君たちはフェティシストであり続けてほしい。

 兄さん、聞いているのか?兄さん、聞いているのか?

 こーのいくぢなしがぁ・・・・。

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2006年11月 5日 (日)

純度200%の誘惑~YUKI 『WAVE』

 今日は、八王子で特別授業でした。折角の日曜だったのに・・・、とは言え、生徒さんの反応がマズマズだったので、まー良いか。~o~

 最近、YUKIが九月にリリースしたニューアルバム『WAVE』にハマっています。実は、JAM解散後の『COMMUNE』に失望して以来、YUKIのアルバムは聞いてなかったんですが、久々のこの『WAVE』はとっても良いデス。

 グループで成功したアーティストが解散独立した後の活動って、あまり信じていませんでした。最初に失望したのは、S&G解散後のポール=サイモンだったかな~。それとも第二期ディープパープル解散後のリッチー=ブラックモアだったかな~。まさか、ビートルズ解散後のポール=マッカートニーじゃないと思います。当時、小学生だったと思うので。~o~;;;

 日本だって、フリッパーズギター解散後の小沢君と小山田君はダメだったもんねえ。小沢健二は、解散後の方が有名にはなったけど、ミュージシャンとしては終わってる感じでした。結局、今まで相方のために押さえていた個人的な欲望がそのまま噴出すると、それは一般性がなかったりして、リスナーとしては受け入れ難いものになるってことなんでしょうか。

 だから、YUKIも『COMMUNE』の失敗は、謂わば予想通り。「ミュージックファイター」あたりからの路線で、ロックっぽさを押し出したんだと思うけど、YUKIの良さは消えてましたよね。正直、YUKIというミュージシャンもこのまま消えていくんじゃないかと思ってました。

 ところが、この『WAVE』は、JAM時代よりもYUKIそのもの。200%YUKIって感じです。JAM時代だって、YUKIはやりたいことを押さえていたようには見えなかったので、100%YUKIだったんでしょうが、今は、YUKIらしさを引き出してくれるスタッフにも恵まれたんでしょうねえ、ボーカリストYUKIを押し出した感じの作りで、JAM時代よりも二倍はYUKIです。

 「メランコリニスタ」や「ドラマチック」なんかもYUKIなんだけど、どっちかって言えば、JAM時代の延長線なのかなと思います。ロリポップっぽい歌唱法が残っていて。その点、「ふがいないや」の爆発力、表現力はJAM後期のYUKIの発展形という感じがして好きです。

 実は、個人的には、漫画『のだめカンタービレ』を読みながら『WAVE』を聞いていたので、妙にイメージが『のだめ』とダブります。エキセントリックながらも、のびのび音楽を楽しんでる感じが共通しているのかなぁ。

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2006年10月23日 (月)

刹那を虐殺する機械としてのカメラ

 今日、吉祥寺の居酒屋さんで夕食を取っていた時に、隣の席に本格的なプロっぽいカメラを持った男女が座っていたのですが、写真の話題がいろいろ出て、幼稚園(小学校だつたかも)の運動会で、いくら規制してもカメラを構えた親が競技の邪魔になるところまで入ってきて写真を撮るという話になって、「その場で子供が楽しいかどうかより思い出作りで一生懸命なのよ」って。

 この話、なんだかとっても納得できました。日本人って、特に最近の日本人ってコレ多いですよね。例えば、NZのスキーツアーでのこと。確かにスキー自体は楽しいんですよ。でも、何かあるごとにみんなデジカメを持ち出します。そりゃ本当に楽しんでいるところを撮るなら判るのですが、別に特に楽しいわけでもない所でやたらに記念写真を撮ります。それも何台ものカメラでとっかえひっかえ。そのたびに楽しそうなポーズを取らされるのですが、なんだか変じゃないですか。楽しい時を記録するというよりは、記録のために楽しい振りをさせられてるみたいで。

 刹那の楽しみが虐げられ、「思い出」のために偽りの楽しみが記録されているように感じます。そりゃ、後から見れば刹那の記憶は薄れるし、カメラはフレームの中のある瞬間以外のものは残さないから、写真を見て「楽しかったね」になるのかもしれませんが、何だかな~。

 子供の成長を記録したり、純粋に映像美を追求したりするのは理解できます。つか、そういう物なら好きだといっても良いです。でも、単なる「思い出」のための記念写真は・・・。刹那の喜びを犠牲にしてまで、「思い出」作ってどうするというのでしょう。

 椎名林檎は『ギブス』の中で、写真を取りたがる彼氏に対して「写真になっちゃえば、アタシが古くなる」といって拒否します。 二人の関係を「絶対」という言葉で固定しようとする彼氏に対して「醒めてしまえばそれすら嘘になる」と嫌がります。「刹那」の真実に対して、固定され記録された「永遠」の偽りを拒絶するのです。

 最近、記念写真を撮られるたびに、ワタシ、『ギブス』の林檎嬢と同じような気分に襲われてしまいます。

 翻って、日本人、特に最近の日本人は記念写真好きですよね。カメラ付き携帯って、鋭いとこをついた商品です。アレは売れるわな。しかし、携帯も嫌い記念写真も嫌いなワタシにとっては・・・。

 さてさて、んなことノンビリ書いてる場合じゃない、『のだめ』第二話のビデオを見て早く寝なければ・・・。~o~;;

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2006年10月18日 (水)

僕らの「千秋」君の思い出

 『のだめ』にハマってしまいました。3・4巻を買ってきたのですが、コレおもしろいです。まーったく、この忙しいのに、なんで漫画なんか読んでるんだろ、オレ(それも二回も通して ~o~;;;)。

 んで、思ったんですが、この漫画、千秋先輩が主人公なんですねえ、特に3・4巻は。この千秋先輩、なかなかよく描けてると思います。今日、本屋さんで3・4巻買った時に、『のだめ』のコーナー(恐るべし、そういうのが出来てる ~o~;;)にいた女性二人組が、「玉木宏だとちょっと違うのよね~」って言ってたけど、なるほど、先のほうまで読んで千秋先輩のイメージが出来てる人には、玉木宏の千秋先輩はちょっと不満かも。

 3・4巻の千秋先輩を見て、思い出したことがあります。ワタシも昔、千秋先輩を知ってました。千秋先輩のような男が高校の後輩にいたんですよ。ワタシ、実は、高校二年の後期から三年にかけて合唱部に在籍していたことがありました。高校二年の前期まで、全くのシロウトだったのですが、同じクラスの合唱部部員に勧められて軽い気持ちで入部したのです。

 ところが忘れもしない二年の晩秋、折から寒~い音楽室で、最初の練習に参加した時のこと。最初の発声練習で、一年生の男子がピアニカ持ってやってきて、今からピアニカの通りに音を出せってわけです。彼がピアニカを弾き、その通りに声を・・・出してるつもりなんだけど、いくらやっても彼は渋い顔をして、「先輩、今のはちょっと低いです」「今のも、四分の一音低いです」と何度やっても許してくれません。結局、最後にはヘロヘロになったワタシを見た彼は、悲しそうな顔をしてあきらめてくれました、そう、千秋先輩が峰龍太郎を指導する時みたいに。

 翌日、ワタシは熱を出して寝込みました。「合唱熱」。~o~;;;;

 この後輩、実は、この合唱部の指揮者だったんです。彼は、本当に千秋先輩みたいな男で、とにかく自信のかたまり、しかも、本当に何をやらせても上手い。先輩だろうと何だろうと、練習となったら容赦なく指導しますが、これだけ全てのレベルが高いとみんな一目も二目も置いているので、逆らえません。それでいながら、指揮の時は、非常に人心の把握が巧みで、文化祭の曲目、モーツァルトのレクイエム「キリエ章」を最初に合わせた際は、この曲を作った時のモーツァルトのエピソードを紹介し、「晩年、もう病気で少し頭がおかしくなっていたモーツァルトは、レクイエムの依頼に来た使者をあの世からの使者と思い込み、自分のためのレクイエムと思ってこの曲を作曲したんです」と熱く語って、すっかり我々をその気にさせてしまいました。その年の文化祭、我々は、思いっきり盛り上がって、そう、「オナニープレイ」状態で「キリエ章」を絶唱しました。気持ち良かった~~。~o~

 まあ、これはこれで、高校の合唱部としては大成功だったと思います。ところが、翌年、彼は、そんなことでは飽き足らず、ウチの高校の弦楽部とブラスバンド部を説得して、あろうことか、文化祭限定臨時大オーケストラを結成してしまい、ショスタコービッチ作曲、オラトリオ「森の歌」というとんでもない大曲を、たかが高校の文化祭で完全に演奏してしまいました。これはひとえに彼のカリスマ性と誰もが認めざるを得ない実力の賜物でしょう。

 その素晴らしい演奏を我々OBは客席で目にしました。モーレツに感動しました。当時浪人中のワタシが、その後一ヶ月ほどパチンコ屋通いを止めて、モーレツに勉強したくらいに。~o~;;

 聞いている方がソレですから、ヤッてる方はたまったものじゃありません。終わった直後のステージは、合唱部員の号泣の嵐だったらしいです。ところが、演奏が終わって一息ついた後、指揮者の彼は、しみじみと、「コレでシロウトを指揮するのは最後だな」とのたまったそうな・・・。~o~;;

 結局、彼は高校卒業後、東京芸大の指揮科に進み、本当にプロの指揮者になりました。この話、もう時効だからこんな所に書いちゃっても大丈夫だよねえ、今や日本が世界に誇る新進気鋭の指揮者となった僕らの「千秋」、O野K士君。~o~;;;;;;

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2006年10月15日 (日)

語られる平凡に唄われる陰影~井上陽水『Love Complex』

 先日、井上陽水の『Love Complex』をようやく購入しました。ようやくってのは、出たのは薄々知ってたけど、なんとなく買う暇も聞く暇もなかったんで・・・。~o~;;;

 井上陽水は、我々の世代にとっては、思春期に音楽に目覚めて以来の付き合いになります。その頃が『センチメンタル』や『氷の世界』なんかの頃だから・・・、てことは三十○年前かよ!もう刺激もなにもない古女房みたいになっちゃっておかしくないお付き合いなので、リリースと同時にCD屋に飛んでいって・・・、みたいな情熱はさすがに沸きません。でも、遅れてのそのそと購入して聞いてみると、未だに刺激に満ちているのは、たいしたモンです。

 シングルカットされた『新しい恋』や『長い猫』も良いんだけど、ちょっと気に入ったのは『11:36 Love Train』。ちょっと緊張感をあおる古典的サンペンスみたいなイントロで始まるのですが、詩の中身は、なんだかむやみに平凡な新幹線での京都旅行。詩で語られることと曲想の間に、多分、意識的にギャップが設けられています。

 これって、実は昔からよくある陽水パターンの一つですよね。多分、このパターンの嚆矢は『御免』でしょう。陽水四枚目のアルバム『二色の独楽』に入っていた名曲で、シングルカットもされたと思います。

 昔、多分、もう三十年くらい前、この『御免』が売れてた頃、某読売新聞のコラムに、「最近の若者の歌は理解できない。お客が来た時に女房が不在で、『なんにもないけど 水でもどうです せっかく来たのに なんにもないので 御免』なんて歌が何故流行っているんだ」という趣旨のことが書かれてあって、オヤオヤ、随分物分りの悪い頭の硬い人だナ、と思ったことがあります。

 もちろん、その時分、ワタシは何にも判らない若造だったので、どういうことか説明は出来なかったんだけど、自分の感じていることと、この某読売のベテラン記者さんの感性とのギャップに驚いたので、はっきりと記憶に残りました。

 今なら、説明できます。多分、このコラム氏は、「詩」を読んじゃったんです。唄をよく聴けば、曲想と詩のギャップに気づいたんじゃないのかな。この曲、緊張感のある曲想によって、詩に語られた平凡な日常の裏側に潜む何かを感じさせようという仕掛けなんですよ、きっと。詩に語られたことは平凡そのものの「僕」の日常でも、曲と合わせられることによって、一つ一つの何気ない表現、「なんにもない」「返事を出さない」「僕の家によく来てくれた」「とにかくなんにもない」、こんな言葉の裏側に潜む「僕」の孤独と虚無感を象るという仕掛けなんじゃないかと。

 詩と曲のギャップによって日常の裏側の陰影を感知させる仕掛けって、その後も陽水作品には時々見られます。多分、『リバーサイドホテル』なんかも同工異曲。平凡な川沿いのホテルを語る詩と淫靡な香りのする曲想で、平凡なホテルの裏側の陰影を唄うって仕掛けでしょう。

 そういう意味で、この『11:36 Love Complex』は、『御免』-『リバーサイドホテル』路線の延長線上にあります。平凡な新幹線の旅を語る詩とサスペンスチックな曲想のギャップで、一見平凡な旅の裏側に潜む非日常の陰影を感じ取らせよう、そんな意図で創られているんじゃないかな。

 そんな仕掛けを、多分、創る方も楽しんでやってるんでしょう。それなら聴く方も楽しまないと損ってぇモンですよね。~o~

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2006年10月 7日 (土)

「僕と君」の彼岸~YUI 『I remember you』

 丸沼詣でのない久々の週末、のんべんだらりと過ごしてます。昨日、みっくんさんからコメントをいただいて、急にYUIのことが気になり出し、『I remember you』をヘビロテしています。良い曲だと思います。相変わらず歌上手いし。

 しかし、この曲、実はちょっと気になることがあります。YUIのファーストアルバム『From me to you』については以前、このブログに、「彼女は、常に自分の内面を向いていて、自己の内面と他者とのズレを不機嫌そうな声で歌う」(06'4/4「不機嫌な内向ロック」参照)と書いたことがあります。そのため、『From me・・・』における彼女の楽曲は、『I know』の一曲を除いては一人称の歌でした。『Feel my soul』は「僕」で書かれているけど、これは架空の「僕」ではなく、YUI自身の投影された「僕」で、やはり一人称の歌だったと思うのです。一人称の「僕」と「君」の歌です。

 ところが、『I remember you』は、海辺で出会った彼女と別れたサーファーの少年の歌です。明らかなフィクションの歌なんです。YUIってこんな歌も作れたんですねえ。私小説のように自分の内面を歌い続けるアーティストなのかと思っていました。そして、それゆえに彼女のアーティストとしての将来に不安を感じていました。

 「こういう内向的な天才少女って、ある程度自分の内面を歌いきってしまうと、材料不足に陥って燃え尽きてしまうのではという不安があります」と4/4のブログでは書きました。それゆえに彼女を取り巻く環境の変化にも不安を感じていました。外部との健全な断絶関係が崩れた時、彼女の創作活動は著しく渋滞するのではないかと。

 天才川本真琴も越えられず、才能無尽蔵と思われた椎名林檎でさえ、もしかして越えきれないかもしれない川。自己の内面世界に材料をとり、内面を抉って臓腑をさらすような創作を行うアーティストが必ず直面する一人称と三人称との間を流れる暗い川。かつて、あの偉大な井上陽水だって、初期の一人称の時代から暗い何年かの時間を経て、独特の言語感覚と抽象化を武器にしてその川を越え、新しい作風を手に入れたんじゃないかと思うんです。

 最初からフィクションの物語を語る才能を持っている人達は別です。ユーミンや中島みゆきなんかは、そんな苦労は一切しなかったでしょう。最初から彼女達は、自己の内面を材料になんかしていないから。彼女達は、最初から三人称の歌しか歌ってこなかったんです。

 でも、内面を描くことからスタートしたアーティストの場合、作風を変えるのは大変です。そのために彼らは若くして燃え尽き、消えていくのだと思います。私小説家は自分の実人生を破滅させていきますし、ある種のギャグ漫画家なども若くして燃え尽きて消えていきます。自己の内面を消費し尽してしまうからです。

 『From me・・・』を聞いた時、そんな匂いをチラリと感じたのですが、取り越し苦労だったのでしょうか。彼女は「僕と君」の彼岸へ無事に渡りきれたのでしょうか。次のアルバムが待たれるところだと思います。

 ただ、もし、彼女が彼岸に渡りきれたとして、我々リスナーはどうするのでしょう。もしかして、今までのように強く痛切な言葉の響きを持つ楽曲には、もう出会えないのかもしれません。さてはて、どうしたものか。

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2006年6月12日 (月)

ナイーブな野生~レミオロメン『HORIZON』

 今、メチャ売れているらしいアルバム、レミオロメンの『HORIZON』をヘビロテ中。実は、昨秋にスキー場で「粉雪」を散々聞かされて以来、アルバム発売を待っていました。んで、感想、なかなか良いんでないか、パワフル&センシティブで。

 しかし、この妙にナイーブな詩の世界はなんざんしょ。

 「僕らはこれ以上ないなんて決め込んで、本当の力が出せずにいるよ。飛び出せ。世界は無限の彼方じゃなくて、こちらにあるからイメージは超えられるさ」(「スタンドバイミー」)

なんて、やけに健康優良児優等生青年風にポジティブメッセージじゃありやせんか。こいうの、おじさん達としては、恥ずかしいんですけどネ。ま、でも、全部が全部コレじゃないから許しましょう。ややナイーブな詩とちょっとだけお洒落でドライブ感のあるサウンドと藤巻君の野生的なヴォーカルのさじ加減が売れた理由かもしれません。

 都会風に灰汁抜きした「くるり」。力の入った「スピッツ」。なんて言ったら良いんでしょう。ともかく、ヴォーカルとしては悪くない。でも、安定的に高音をスパッと出して欲しい気もします。特に「粉雪」最後のリフレインの絶叫は、アレでワイルドな迫力が出るんだろうけど、聞いててやや不安な感じもします。

 そりゃそうと、サッカーWカップ日本代表のキャプテン宮本ツネさんは、以前ラジオ番組に出演中、「ドイツ大会のテーマはどんな曲になりますか」と聞かれて、「レミオロメンの新しいCDを聞きたい」と答えたところ、「世界で日本をアピールしてきて下さい」というメッセージとともに『HORIZON』が合宿所に届けられたそうです。最初のゲームの日の今日、きっとツネさんは、リラックスのためにこのアルバムを聞いています。先ほど取り上げた、「スタンドバイミー」。おじさん達には恥ずかしいほどポジティブですが、これからWカップに向かう日本代表の選手達には、まさにピッタリ。こういう気持ちでサムライブルーの選手達には頑張ってもらいたいもんです。(そういえば、「スタンドバイミー」のイントロは、2002日韓Wカップのテーマ曲とソックリ。つか、Wカップに合わせてワザとやったのかいな、コレは?!)

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2006年5月25日 (木)

歌姫の顔

 今朝、TVを見ていたら、YUI主演の映画「タイヨウのうた」の話題で、YUIが竹内結子と一緒に画面の中に登場していたのですが、驚きました。YUIってこんなカワイイ子だったんだ!竹内結子に負けてないじゃん!

 いや、アルバムについている写真は見てますよ。でも、そういう時、YUIはギター抱えて不機嫌そうな顔してるんですよ。だから、キレイな顔立ちだとは思っても、こんなアイドルっぽい可愛さは想像できないんだな~。「タイヨウのうた」のカットも出てきたけど、これまた随分とカワイイ。

 思い返してみると、ワタシが歌姫にホレる場合、たいてい最初は顔を知りません。JAMのYUKIは、初めて顔を見たのが『Motto』のPVで(ザウスの大画面で流してた)、プロレスラーかKISSかってメイクだったので顔は判らず、後でTVで見て「こんなカワイかったの!」ってビックリ。遊佐未森なんて、ファンクラブ入った段階でも顔はよく知らず、椎名林檎は、デビューアルバム『無罪モラトリアム』買ってヘビロテしている時も、まさかCDのジャケット写真でカメラ構えている子が本人だとは気づきませんでした。

 こういうのって、ちょっと古代的かもしれません。古代の歌姫は、たいてい美人とされているけど、顔をはっきり見てる人は多分あんまりいないはず。小野小町だって右大将道綱母だって、本朝三美人なんて言われていても、顔を見た人なんてあんまりいないはずなんですよね。貴族の女性は他人に姿を見せませんからね。歌の上手さだけで「美人」と評価されちゃってるところがある。古代では、歌の上手さこそが異性を引き付ける大事なチャームポイントだったんですよね。

 だから、顔を見ないで歌姫にホレるのは、我ながら古文の教師的だな~と感心しつつ、こんなにカワイイってのは、表現者YUIにとってはマイナスかもしれない、と心配になってしまうのでした。アルドルっぽい売れ方しなきゃいいけどねえ。歌姫なんて、ユーミンとか中島みゆきとか元ちとせ程度のルックスの方が大成するわけで、カワイ過ぎるのは、どーもヤバいな~。「不機嫌」のまま(06'4/4「不機嫌な内向ロック」参照)の方が良いヨ、YUI。

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2006年5月12日 (金)

述べて作らぬ歌姫~平原綾香『4つのL』

 平原綾香のニューアルバム『4つのL』をしばらく前からヘビロテしています。イヤハヤ、やっぱり「あーや」はスゴいわ。

 『4つのL』は、最初と最後にNHKトリノオリンピック放送テーマ曲の『誓い』を異なったバージョンで収録しているのですが、そのため、お見事に全曲のバックに、オリンピックの物語が見えてきてしまいます。トリノとは全く無関係の「子供を救おう!未来を守ろうキャンペーンソング」であるはずの『スタートライン』を聞くと、負傷を乗り越えた皆川賢太郎のスーパーランが見えてきます。「采雲国物語」のオープニングテーマ曲『はじまりの風』の背後には、爽やかに戦ったカーリング娘の健闘が見えてきます。そして、何といっても、『誓い』で見えてくるのは、荒川静香とイナバウアー!~o~

 トリノの物語をアルバム全体に纏わせることによって、スポーツの感動を一曲一曲に被らせてしまう、コレって狙ってやったことだと思うんですよね。だから、オリンピックのイメージを意識的に遮断して聞くと、何だかアルバムのテーマがボケてしまうように感じます。実は、このアルバム自体は、テーマや物語を持っていません。にもかかわらず、アルバム全体が感動的に仕上がっているのは、オリンピックの世界を纏っていることと平原綾香の超絶的な歌唱力の賜物でしょう。

 例えば、ゲームソフト「大神」のテーマ曲『Reset』は、和風のアレンジで桜散る情景を歌いますが、詩自体は耳触りの良い言葉を並べただけの空虚なものです。しかし、あーやが歌うと何故か詩になってるんですよ。大変なヴォーカルテクニックです。

 しかし、彼女は自分の物語を紡ぎ出すことが出来ません。彼女の作詞になる作品が、このアルバムには七曲も含まれているのですが、いずれも、品の良い着想を得て耳触りの良い言葉を選び佳品に仕上がっているものの、詩自体に物語や思想を伝える力はありません。作詞家としての彼女は何も創り出していないと言っても良いでしょう。にもかかわらずにもかかわらず、これだけ感動的なアルバムになっているは、繰り返しますが背後に纏ったトリノの物語とその感動を引き出す彼女の超絶的歌唱力の賜物です。

 この事は、ちょうど、彼女のデビュー曲にして最大の名曲『ジュピター』を、あれだけの名曲たらしめていたのが背後に纏った難病の少女の物語であった事と、正確に見合っていると言えるでしょう。平原綾香は、何も物語を創り出しません。しかし、背後に控えた現実の圧倒的な物語を、彼女の歌唱は本当に感動的に語り尽くします。述べて作らぬ歌姫、それは密かに儒教的でさえあります。

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2006年4月 7日 (金)

YUIに関するどーでもいーこと

 いやはや、一昨日までYUIのことを書いてみたのですが、世間のことをちょっと覗いてから書こうと「YUI」で検索掛けてみてビックリ。四万件以上ヒット!どーなってんだ、と思って良く見たら、「YUI」って名前のアイドルさんがいっぱいいるのでした。「浅香唯」まで出てきたのにゃ驚いた。~o~;;

 でも、『From me to you』で検索かけても物凄い数になるので、多分、ブレイク中ってヤツでしょうね。中には、YUI好きで、かつ特殊な性的嗜好の方達だけのサイトなどとというワタシ達ノーマルにはワケワカンナイものまであったりして、「ノンケの人は迷い込んでこないように」とかって書いてあんの。すげー!すげーゼ、YUI!~o~

 あ、ちなみに、YUI個人やYUIの歌詞からは全く「ケ」は感じられませんので、誤解なきようにネ。

 ともあれ、YUIはかなりのブレイク中です。なんか林檎嬢が『無罪モラトリアム』を出した頃を思い出しました。あの時もスゴかったもんなぁ。

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2006年4月 5日 (水)

内向と内攻~YUIとRingo

 これまで書いた記事をカテゴライズしてみました。これで、このブログもカテゴリーによる検索が出来ます。わはははは、どぉーです!って別に普通のブログ並みになっただけか。~o~;;

 んで、今日のお題なのですが、スキーの話ではありません。ってスキーしない人には判りませんやね。今、スキーじゃ「内向」が技術的にはHotな話題なんです。でも、今日の話は「ターン前半に先行動作としてターンインサイドを向くこと」ではなく、「自らの心の中を見つめること」。YUIと椎名林檎を比較しようというJ-Pop的には非常にHotな試み、つか、どっかの音楽雑誌でやってるだろー的な、しろーとに何が判るってんだ的な、Rokin'on Japanでも読めよ的なっ、そんな大胆不敵な、大腿素敵な・・・まっ、いーや、話を進めましょう。~o~;;

 かなり以前、某メーリングリストでCocco(『ブーゲンビリア』の頃)と林檎嬢が似ているという話題が出ました。その時、ワタシは、両者を比較してこんな内容を投稿したことがあります。

 Coccoの詩には、時に「彼」との間の肉体的及び精神的な格闘が描かれ、攻撃性が他者に向いている、という特徴がある。ところが、林檎嬢の詩には、驚くほど、この二つの要素が欠落してる。林檎嬢のCD化された作品の中(『本能』の頃)で、「彼」との肉体的接触が描かれているのは「すべりだい」くらいで、精神的にも、林檎嬢は他者と格闘しない。「彼」とは無関係に、強固な「自己」が独立し完結していて、「こっち向いて」「見抜い」たり、「中まで入って」くることは求めるが、自分から出て行って「彼」と争うことはしない。「約束はいらない」「どうせ独りだ」と孤高を守る彼女の興味は、常に「内側」にあり、他者とのコミュニケーションには絶望しながら、それでも他者の理解を求めてやまないように見える。

 また、林檎嬢は他者への攻撃性を描かない。一見、狂暴な言葉をちりばめているかに見えるのだが、彼女の攻撃性は常に内側へ向っており、「グレッチでぶって」とは言うが、「引き裂いて壊したい」(「首。」by Cocco)とは言わない。せっかく抱いた「殺意」も「しまっ」て「警告」するのみ。「殺されてもいい」「あたしが息をとめても」と自分の死のみを好んで夢想する彼女は、マゾというより、他人を殺すくらいなら自分を壊す方を選ぶタイプなのだろう。彼女の歌はこんなあたりに「痛み」が感じられる。

 などと書いて、コレ、当時、林檎ファンからけっこう賛同を得たんですよ。今になって考えても、割と当たってるかな。「絶望」しながら「他者の理解を求める」モチーフは、『アイデンティティ』や『罪と罰』に発展的に継承されるし、「自分を壊す」表現は、『依存症』や『浴室』でも顕著に出てくるしね。

 んで、YUIなんですが、林檎嬢の前者の特徴、つまり他者との断絶に対して諦観を持ちながら理解されることに焦がれているというこの点には共通するものがあります。つか、林檎嬢よりもこの点が突出し、なおかつより内向的であるように思います。林檎嬢は、諦めながらも理解されることを他者に懇願したりしますが、YUIは常に内側を向いて、自分の中の「カギ」を探しているように思えます。しかし、林檎嬢の後者の特徴、つまり、自己への攻撃性は全く見られません。つまり、YUIは内向するが内攻はしないのです。だから、林檎嬢の世界に触れた時の独特の病的な「痛み」の感覚はありませんが、他者と断絶して内向する者の切実さは、より純粋に感じられるのではないかと思うのです。

 ところで、この二人の類似点をもう一つ。シングルのカップリング曲をアルバムに使わないってこと。これは、さすがに林檎嬢のマネでしょう。でも、カップリング曲に名曲があったりするのは、リスナーには嬉しい「マネ」ですよね。

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2006年4月 4日 (火)

不機嫌な内向ロック~YUI

 一昨日は、我がホームゲレンデ六日町八海山の通常営業最終日でした。ワタシのスキーシーズンもようやく一区切り。やっと時間的余裕が出来ました。

 んで、今日は音楽の話。YUIのファーストアルバム『From me to you』を聞き込んでいるのですが、レベル高いですねえ~。

 まず、歌が上手い。アップテンポな曲でのシャウトも悪くないけど、『不機嫌なジーン』の主題歌「feel my soul」や「TOKYO」でのつぶやくような低音も心地よく響いています。時折使うファルセットも巧み。創作能力も高いです。曲想も面白いし、十七歳かそこらなのに詩の世界が多彩。時々、はっとさせられるような悟ったことを言ったりします。頭良いんでしょう。

 全体