2006年4月24日 (月)

詐欺師Nの思い出~エピローグ

 Nはやって来た時と同じように、ワタシの関与しないところで、この地方校舎から去っていきました。この校舎ではない別の場所で逮捕されたのだそうです。それがせめてもの救いだと、後になって聞きました。

 「あんな変なヤツを連れて来て採用したのは、いったい誰なんだ?」「あんなヤクザな講師を重用し、特別授業やらせまくって生徒を混乱させた責任は誰にあるんだ?」「ヤツのアンケートの成績に隠されたからくりを見抜けず、首都圏の校舎にまで連れて行こうとしたのは何処の大馬鹿だ?」などという責任追及の声は、少なくとも我々講師からは一切上がりませんでした。なにしろ、我々は、その時、この騒動の尻拭いで必死にならなければならなかったからです。校舎からは、「生徒達が混乱して傷ついていますので、精一杯のフォローをしてあげてください」とだけ言われていました。Nのいなくなった穴は、東京から臨時に出講した講師が埋めました。ワタシも、その時は精一杯のことをしたつもりです。

 しかし、次年度の生徒募集、特に高校生の国語のクラスの募集は、かなりの打撃を受けました。立ち直るのに数年は要したはずです。あんなスキャンダラスな犯罪者が出てしまっては当然でしょう。

 せめてもの救いは、逮捕が秋であったことでしょう。その年度の生徒達が立ち直るだけの時間的余裕を持てたのですから。それに、もし、逮捕が翌年の春以降だったら・・・。Nはウチの首都圏の校舎の人気講師として逮捕されることになったことでしょう。このスキャンダルは間違いなく週刊誌の好餌です。その意味でウチの予備校は幸運でした。

 詐欺師Nとは何者だったのか、今でも考えることがあります。犯罪者としてのNではなく、詐欺的授業をする講師としてのNについてです。実は、Nのやった詐欺的授業のいくつかの要素は、予備校というものの授業には現在も普遍的に存在しています。Nの公式は、某有名講師XやA、またAの亜流であるBの参考書の中に残っています。それらの参考書を「わかりやすさ」だけを安直に求める生徒達が買っていきます。また、職員さん達や予備校のシステムも、あの事件の前後で変化したわけではありません。そうした土壌の中にNは生まれたのです。土壌が変化していない以上、Nが再来したとしても、何らおかしくはありません。

 Nは今は、どこにも(nowhere)いません。しかし、何時かどこかに(somewhere)再び現れ、やがて、どこにでも(everywhere)いる存在になるのかもしれません。詐欺師Sや詐欺師Eが現れないことを、切に願って止みません。

 ワタシは、あの「をかし」でつまづきかけた女生徒が去っていく時のことを覚えています。その時の切なさを、よく覚えています。若く純粋な意志が折れ、崩れようとしたその時の表情を、ワタシは見てしまったからです。あなた方は、そんな悲しい物を見たことがないでしょう、和角さん、荻野さん、河原さん。ワタシは見てしまいました。マァ、それだけです。~o~

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2006年4月22日 (土)

詐欺師Nの思い出~突然の快晴

 その日は突然やってきました。その地方校舎の入り口を入った時から、なんだか様子が何時もと違いました。校舎のあちこちで職員や生徒がコソコソと立ち話をしています。講師控え室へ入って行くなり、近寄って来た別の教科の先生が小声で教えてくれました。「聞きましたか。Nが逮捕されたって」

 「タイホ」という言葉の意味が判るまで何回か聞き直しました。司直による裁きのための当局による拉致、けーさつにつかまること・・・。

 Nは、これまで、この校舎で、詐欺的な授業を展開してきました。その時に彼の用いた巧みな弁舌、大胆な演技力、資料集めの偏執的な執拗さ、それらの全ての資質をフルに使って、彼はある犯罪行為を常習的に行っていたのです。その犯罪についての詳細は、差し支えもあろうと思われますので、ここでは述べません。彼の詐欺的授業の、ほんの八十二倍ほど下劣な犯罪とでも言っておきましょう。当局は、その都市で頻発するその犯罪に対して、かなり前から容疑者を絞り込んでいたらしいのです。そして、ある秋の日、突然、何の前触れもなく、彼は我々の世界から暗い所へと連行されたのです。

 授業の合間に校舎の外へ出たくなったワタシは、この突然の秋晴れの空気を吸い込み、紺碧の空を見上げました。「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉が、自然と浮かびました。本当に絶妙のタイミング、他には有り得ない経緯です。「天」というのは本当に見ているのかと、その時、思いました。実際には、当局が見ていたわけですが・・・。

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2006年4月21日 (金)

詐欺師Nの思い出~静かな綱引きと募る不安

 Nに対する闘いは、ひとまず好調な第一ラウンドが終了しました。例の説得したクラスの子供達は、その翌週もワタシの所に相談に来てくれました。その時のワタシの気持ちは、言うなればカルト教団から子供を取り返した親のようなものでした。この子達はもう安心だと思いました。

 しかし、他のNの担当クラスの子供達は、依然としてNの教えに従っています。これを何とかしなければ、来春、大量の犠牲者が出てしまいます。Nとワタシが組んで教えているクラスは、例の一クラスだけでしたので、他のクラスは他の先生に説得をお願いしなければなりませんでした。また、Nの担当していないクラスでも、特別授業等でNの「公式」を教わってしまった子供達がいます。それらの潜在的なNの信者をどうにかしなければなりません。Nと我々との、生徒をはさんだ静かな綱引きが始まりました。ワタシは、担当クラスの授業で、機会あるごとにNの公式が無効であることを訴える作戦に出ました。また、他の先生にも同様の作戦をお願いしました。しかし、この作戦、果たして受験までに間に合うものやら、我々は不安を感じずにいられませんでした。

 そんなある日、ワタシをさらに不安にする出来事が起こりました。その職員の名前をワタシははっきり覚えていないのですが、その地方校舎の職員ではなく、中央から仕事で来ていた人だと記憶しています。そもそも、ワタシは、中央のおエラい職員さんの名前を全く覚えません。別に、わざと忘れるわけではありませんが、必要がないので。従って、本当に、その職員が誰だったのか覚えていないのですが、その人は、講師控え室にいるワタシの所にわざわざ近寄って来て、ささやきました。

 「先生、N先生の件ですが、あまり事を荒立てない方が良いですよ」

 正直に言って、ワタシはこういう事にはニブい方なので、この言葉の意味を最初理解できませんでした。それで、「あっ、はあ、まあ・・・」とあいまいな返事をしてしまったのですが、その職員が立ち去ってしばらく経って後、気づきました。「これ以上事を荒立てると、先生、アンタのためにならないんだよ」という恫喝ではないかと。Nは今や超人気講師です。中央の職員が肩入れしても全くおかしくありません。Nが我々の動きに気づいて、職員に働きかければ、Nのために動くのは当然です。

 実際、後で判ったことなのですが、この時、ウチの予備校の中枢では、次年度、Nを首都圏の校舎で使ってみようということになっていたようなのです。そこで同様の成功を収めれば、Nはたちまちウチの主力講師となるでしょう。もし、そうなったら、Nに楯突いたワタシの立場は、かなり拙いものになっていたかもしれません。そういう意味では、上記の職員の言葉は、単なる恫喝というより、親切なアドバイスだったのかもしれません。

 あの時の職員さん、アレはどっちだったんですか?

 ともあれ、その時のワタシには確かに恫喝と響きました。「えーい、駆け出し講師の目先の人気に目が眩みおって、我々マトモな講師とあんなヤクザとの区別も付かないとは、ここな、うろたえ者めが!!オマエのようなヤツは教育産業に携わる資格なし!ついでに生きている資格もなし!死ね、死ね、死んでしまえーい!!」などと、小心者のワタシが口に出来るはずもなく、この「恫喝」は、ワタシを不安にする十分な効果がありました。

 中央の職員までNの側についたとなると、この闘いはどうなるのだろう。ワタシの不安は高まりました。しかし、間もなく、この不安な綱引きは、突然の終わりを迎えることになりました。綱引きの相手が、突如消えてしまったのです。

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2006年4月19日 (水)

詐欺師Nの思い出~驚嘆とかすかな恐怖

 「センターの過去問なんてやってません。そんな時間なかったんです」

 ワタシの問いに生徒は答えました。繰り返しますが、このクラスは理系の某国立大志望者のクラスで、古文はセンター試験で用いるだけなのです。ワタシは、ちょっと意表をつかれました。「えっ・・・・!?。だって、君、センター試験のために古文の勉強をしてるんでしょ。センターの過去問やらないで、他に何やるの?」「N先生の出す宿題が多すぎて、古文の勉強は他の事できないんです。なあ」。同意を求められた他の子達がうなづきます。「宿題って・・・、何だソレ?いったい、N先生はどんなふうに授業を進めてるの?」

 生徒達から聞き出したNの授業は驚くべきものでした。まず、Nは授業開始時に過去のどこかの大学の入試問題の一部を印刷したプリントを配るのだそうです。「今から、この問題を一分以内でやれ!」。一部分とは言え、入試問題なのですから、一分で出来るわけがありません。そこで、Nは、おもむろに「公式」の説明を始めるのだそうです。「みんなが出来なかったのは、この公式を知らなかったからだ。この公式を知っていれば、ホラ、一分で解けるぞ」。続いて、やはり、入試問題を何問か印刷したプリントを配布します。「今の公式で、みんなもやってみろ。一問一分で解けるはずだ」。今度は生徒もスラスラ解けます。生徒はみんな感嘆します。「じゃあ、ウチへ帰ってこの公式の復習をしてきなさい」。「宿題」が渡されます。やはり、入試問題が何問も載っているプリントです。生徒は、家へ帰って、宿題の入試問題を数多く解きます。Nの公式を使うと、不思議なくらいにスラスラ解けます。「うーーん、N先生の公式はスゴい!!」

 こんな授業を受けたら、誰だってNの信者になってしまうでしょう。タネも仕掛けもなしにこんな授業が出来たら、本当に「受験の神様」です。もちろん、コレにはちゃんとタネも仕掛けもあります。生徒達は気づかないでしょう。Nの配布した入試問題からは、あらかじめNの「公式」で解けない問題は排除されており、「公式」で解ける問題だけがピックアップされているなんてことは。「問題をたくさん解いているので安心してました」とは、生徒の正直な感想です。ごもっとも。

 この話を聞いて、ワタシは驚嘆と同時に何だかヘンな感じを受けました。考えてみると確かにNの方法は巧妙です。入試問題を大量に解いているという安心感と引き換えに、生徒達から自分で考える意志と時間を奪い、思い通りに生徒を操る、いうなれば生徒を奴隷化するのですから、ある意味、予備校屋にとって理想的な方法です。生徒全員が自分に隷属するのですから、間違いなく超人気講師になれます。もちろん、「教育」を捨てることと引き換えではありますが。
 しかし、この方法、誰でも出来る方法ではありません。大変な労力がいるからです。なにしろ、あるテーマに沿った入試の過去問を集める作業というのは、ワタシなどもやったことがありますが、大変です。加えて、Nの場合、そうやって集めた入試問題から、自分の「公式」で解けない問題を排除せねばなりません。Nの「公式」でキレイに解ける問題など、五~六割でしょう。集めた問題から四~五割のものを排除して、なおかつ、生徒に余計な時間を与えないだけの問題量を確保するのは、並や大抵のことではありません。
 しかも、問題選別の過程で、自分の「公式」で解けない問題を大量に目にすることになります。つまり、身に沁みて自分の「公式」の欠陥が判るわけです。ですから、これは生徒を騙すための作業だと熟知しつつ、なおも執拗に問題を集め、コピーと切り貼りで大量のプリントを作り続けたことになります。その偏執的で陰湿で邪悪な意志を思うと、ワタシはかすかな恐怖を感じないわけにいかないのでした。

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2006年4月18日 (火)

詐欺師Nの思い出~突破成功!

 翌週、例のクラスの授業、ワタシは自分の教材ではなく、Nの担当教材を持って授業に臨みました。教室へ入るなり、切り出しました。「今日は、みんなに話さなければならないことがあります。そのため、テキストは進めません。大事な話なのでよく聞いていてください」それだけ言って、まず教壇の上の椅子に座りました。

 通常、我々は授業の際、椅子に座ることをしません。座る暇がほとんど無いからです。しかし、この時ばかりは座りました。その方が生徒と目を合わせて落ち着いて話ができるからです。そして・・・。正直に言いましょう。実は足が震えて立っていられなかったのです。この説得に失敗したら、ワタシ自身、非常に拙い立場に立たされることになるでしょう。「失敗」は、生徒からの信用を大きく失うことになり、なおかつNからの残酷な反撃を招くことになると予想されます。そして、それ以上に重大なのは、この校舎の全生徒が入試の古文で失敗することです。多分、彼らは、失敗の自覚もなく失敗するのです。上手く立ち回ったつもりが、予想し得ない結果に裏切られるのです。あの、「をかし」でつまづきかけた子のように。つまり、この説得の成否に「我々」の運命が掛かっているのです。

 ワタシは、なるべく穏やかな調子で語ったはずです。Nの授業のノートを見せてもらったこと。Nの「公式」が、実は某有名講師Xという有名な邪道の先生の方法であること。そんな方法では古文は読めないし、絶対にセンター試験で高得点は取れないこと。そして、続けました。「信じられないと思うので、実例を見せましょう。これは、N先生が担当している教材です。この教材、まだN先生は1ページもやってないはずだけど、第一課の一行目はこうなっています」。『伊勢物語』の第六段冒頭を黒板に書き写しました。「N先生は、『主語の公式』ってのを教えているはずだね。『ば・を・に・ど・ども』で100%主語が変わるってヤツ。それを使ってこの文章が読めるかどうかやってみましょう」

 最初、上の空だった生徒達が、説明を進めるうち、次第に引き込まれていくのが判りました。「この『を』の前後の主語が両方とも『男』であることは理解出来たと思います。こんな文章が第一課の一行目にあっては、そりゃあ、テキストに入れないのも当然だよね」

 ワタシの声は多分、震えていたはずです。「この『主語の公式』だけじゃありません。他にもこういうのがたくさんあります。他の『公式』については、この時間の後、聞きに来てくれれば全部説明します。それから、申し訳ないけど、君達は勉強をやり直さなければなりません。それについては全面的に協力するから、やる気があったら相談に来てください」

 その時間は、それで終わってしまいました。ワタシは、「突破した」という高揚感に包まれて、落ち着きもなく講師控え室に帰りました。間もなく、果たしてあのクラスの生徒達がやって来てくれました。ワタシは、みんなを座らせて、Nの「公式」の一つ一つについて説明しました。生徒達はみんな納得してくれました。この子達、実はかなり賢い子なのです。ワタシは、生徒の一人に尋ねました。「こんな『公式』が役に立たないことぐらい、センター試験の過去問をちょっとやれば、すぐに判るはずだろう。何故、判らなかったんだ?」

 生徒の答えは、驚くべきものでした。そこで明かされたNのやり方は、驚嘆すべき巧妙な騙しのテクニックだったのです。

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2006年4月17日 (月)

詐欺師Nの思い出~突破口

 Nの方法は、専門的に見れば穴だらけです。なにしろ、通常であれば、「~のようになりやすい」と教えるべきところを全部、「100%の公式だ!」と断言してしまうのですから。Nの教えの全てに反例を見つけるのは簡単なことです。しかし、その全てを、生徒の前で一つ一つ否定していくのは、時間も掛かる上、生徒達に煩雑さを感じさせてマイナスです。何か決定的なポイント一つに絞る方が効果的に説得できるはずです。そして、そのポイントは、効果的な反例を生徒達に簡単に示せるものでなければなりません。

 ワタシは、Nの「主語の公式」というのに目をつけました。これは、実はもともと某有名講師Xの「公式」なのですが、Nは、それをほぼそのまま生徒に教えていました。Nの「主語の公式」とは次のようなものです。

 「地の文で、『已然形+ば、連体形+を、連体形+に、已然形+ど、已然形+ども』があったら、その前後では100%主語が変わる。『て』の前後では主語が100%変わらない」

 この「公式」は、かなり付け込む隙があります。後半の「『て』の前後で・・・」という部分は比較的実現する確率が高く、反例を見つけるのは大変なのですが、前半は・・・。この部分、実現する確率は、せいぜい六分四分です(そのため、某有名講師Aでさえ、この「公式」を用いません)。

 この公式に似たことを我々も教えます。ワタシが教えるとこうなります。

 「接続助詞には、文を区切ってまとめる力の弱い助詞とまとめる力の強い助詞がある。弱いのは『て・で・つつ』。この三つは、区切る力が弱いので、前後が一続きのものと感じられ、そのため主語などの人物関係が変化しにくい。一方、区切る力の強い助詞「ば・ど・に・を・が・ども」などは、そこまでの叙述を区切ってまとめてしまうため、前後の内容が独立したまとまったものと感じられる。よって、これらの助詞があったら、主語は考え直さないといけない」

 これは、Nの公式と明らかに違います。Nは、「ば・ど・に・を・ども」で100%主語が変わると言っています。一方ワタシの方は、「ば・ど・に・を・が・ども」の前後は「独立」、つまり、「ば・ど・に・を・が・ども」を挟んだら、次の主語は何になるか判らないと言っているのです。これは、現代語で説明するとこうなります。「ば・ど・に・を・が・ども」は、順接確定条件や逆接確定条件を表す助詞ですから、現代語で言うと「~ので」や「~のに」に当たります。現代語の「~ので」や「~のに」の前後の主語は、変わるでしょうか、変わらないでしょうか。ちょっと考えれば、「どちらとも言えない」が正解であることは容易に理解できると思います。もし、その前後で100%主語が変わるのなら、「オレは疲れたので帰ります」「ベットに入ったのに眠れない」なんて言い方はどうなっちゃうの?!

 というわけで、この公式の反例は簡単に見つかります。問題は、効果的で生徒に簡単に示せる反例があるかどうかなのですが、ありました。しかも、それは、Nが本来使用しなければならない教材の第一課の一行目にあったのです。『伊勢物語』第六段でした。

 昔、男ありけり。女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出て、いと暗きに来けり。           (昔、男がいた。女で自分のものに出来そうになかった人を、長年、求婚し続けたが、やっとのことで盗み出して、とても暗い夜に逃げて来た)

 「よばひわたりけるを(求婚し続けたが)」と「からうじて盗み出て(やっとのことで盗みだして)」は、明らかに、ともに「男」が主語です。

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2006年4月15日 (土)

詐欺師Nの思い出~反攻計画

 Nと闘うという決心をしたワタシですが、別にNと殴り合いをしたり、直に議論したりということを考えたわけではありません。また、職員を通じての働きかけは全く無効であることも判りました。ワタシがやろうとしていたのは、生徒に対する直接の働きかけです。生徒の目の前でNの方法が受験において無効であることを論証し、Nのやり方を止めるよう説得するのです。「をかし」でつまづきそうになったあの子の二の舞を防ぐために。
 しかし、ことは急を要します。いくらワタシの説得に生徒が納得してくれたとしても、やり直す時間がなくなってしまったら手遅れだからです。生徒が正しい方法に目覚めたとして、最初からやり直すとしたら九月中がギリギリのリミットでしょう。ワタシは焦りました。ところが、拙速は禁物でした。

 というのは、この頃になると、Nの学校内での態度はかなり横暴でエキセントリックになっていました。夏期講習中には、学識・人格ともに、この校舎内で尊敬を集めていたある年配の講師の方と、講師控え室の何処に座るかといった些細なことでトラブルを起こしたりもしていました。それゆえ、何かあった時にNの味方をする講師は皆無、職員とて内心はNの態度を苦々しく思いながらNに従っているに違いありません。Nはある意味、孤立していたのです(考えてみると、Nという男は寂しい人間です)。しかし、孤独な王様であるがゆえに権力への執着は強く、ワタシの反攻を知ったら、自分の権力の源である生徒の支持を、どんな手を使ってでも守りにくるに違いありません。

 また、生徒の中には、一種の洗脳状態に入っている子がいると予想されます。一般に人気講師というのは、一種のカリスマ性を持っているものです。そのため、人気講師を支持する生徒達の中には、時に、カルト教団の信者のように、その講師の教えを盲目的に「信仰」してしまう子供が出てきたりします。そういう子供が混じっていると、ワタシの論証は無駄に終わってしまうかもしれません。また、単に説得工作の破綻に留まらず、「信者」の子供に大きな精神的ダメージを与える可能性もあります。ワタシのNに対する反攻は、あくまでも生徒さんをNから守るためでなければなりません。そういった意味からも、ワタシは慎重を期さねばなりませんでした。
 ワタシは、ある理系のクラスに目をつけました。このクラスは、この地方を代表する某国立大学を志望する生徒達のクラスで、Nが授業を担当するクラスの中では、一番賢い子が集まっているクラスです。本来、Nのような邪道なやり方に騙されるはずのない子供達です。理系なので、古文の講師の「信者」になっている可能性も低いと思われます。この子達なら、正論をもって臨めば説得が可能なはずです。しかも、このクラスはワタシも授業を担当していて、ワタシの所に質問に来る生徒もいます。ワタシはまず、質問に来た子を通じてNの授業の全体像を探ろうと考えました。
 ワタシは、このクラスの子が質問に来るのを、じっと待ちました。二学期が開講して数週で、その時は来ました。質問に答えた後、なるべく平静を装って、ワタシは切り出しました。「ねえ、N先生、まだテキストに入ってないんだって?」「はい、やってませんよ」「ふーん。何を教えてんのか知らないと、組んで教えてるこっちも授業やりにくいんだよな~。君、ちょっとN先生の授業のノートを見せてくれない?」本当は、これだけのことを言うのも、小心者のワタシとしては胸の動悸を抑えるのに必死でした。しかし、彼は不審がる様子もなく、すぐにノートを取ってきてくれました。ワタシはそのノートのコピーを取り、礼を言ってノートを返しました。今、そのコピーがワタシの手元には残っています。それは・・・。その方法は紛れもなく、このブログで何回か取り上げた、あの某有名講師Xの方法(06'3/22「そんなことは入試に出ない?」参照)でした。
 厳密に言えば、それは、Xの方法をソフトにアレンジしたものでした。Xの方法のアレンジというと、今では某有名講師Aの方法(06'1/25「『わかりやすさ』その実例」参照)がありますが、Nの方法は、Aの方法よりもオリジナルのXの方法に近く、邪道色を色濃く残しながら、一方ではマトモそうな印象も与えるといった感じ・・・。要はXよりも巧妙で、Aよりも妖しい魅力を持った方法でした。なるほど、これなら、あまり出来の良くない生徒は簡単に騙されてしまうはずです。ワタシは、その夜、遅くまでNの方法を研究しました。そして、とうとう突破口らしきものを見つけ出しました。

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2006年4月14日 (金)

詐欺師Nの思い出~焦燥と憂鬱、そして決心

 次の年度が始まりました。ワタシの頭の中には、あの「をかし」でつまづきかけた子とのやり取りが何時までもこびり付いて離れませんでした。「をかし」を「100%”趣深い”」と断言してしまうN。センター試験の本文を全文読まないで解けと教えるN。今までのウチの講師では有り得ないタイプです。というか、いてはいけないタイプです。ワタシは、何とかしてNのこの教え方を止めさせねばならないと思いました。この場合、直接Nに掛け合うというのは、難しいことです。Nがいい加減なことを教えている証拠は何もないのですから。それに、他の講師の講義内容に立ち入るというのは、ウチの古文科の「美風」に反することです。ワタシは間接的にNを押さえ込もうとしました。

 幸いNにも弱点はあります。Nは結局、前年度、テキストを1ページもやらなかったらしいのです。ウチの古文科のテキストは、講読中心で、また付されている設問も真っ当過ぎるほど真っ当なものです。本文を読解せずに解け、などというやり方では1ページも進められないはずです。しかも、ワタシは前年度、職員から相談を受けています。その職員を利用してテキストを使うようにさせれば、Nもマトモなことを教えるしかなくなります。ワタシは、職員に働きかけて、テキストを使うよう、Nに圧力を掛けようとしました。ワタシは、まだ、Nを、そして現在の状況を楽観視していたのです。

 ワタシは、職員に、「N先生に必ずテキストを使うように言ってくれ」と強く要請しました。これは、非常にマトモな要求で、職員も従うしかないはずです。ワタシは、それでNを抑止できたのだと思っていました。ところが、Nはテキストを使う様子が一向にありません。職員に相談しても、なんだかラチのあかない返事ばかり。どうも楽観できる事態ではなさそうだと気づいた時には、一学期も何週か過ぎていました。

 ウチの予備校では、五月から六月に掛けて、その教科を不得意としている子を対象に特別授業を組みます。その年、その校舎の特別授業はNが担当すると聞き、ワタシはちょっと焦りを感じました。そんなことをしてNの担当クラス以外のクラスの子にまで、Nのやり方を広めてしまっては、取り返しがつかなくなる可能性があります。ワタシは、職員に働きかけ、特別授業を取る人数を制限させようとしました。ところが・・・。

 Nの特別授業は、教室を満員にする大盛況となってしまいました。その時になってワタシは初めて気付いたのです。職員は基本的に人気講師の味方だというこの世界では当たり前の事実に。考えてみれば、当然のことです。ワタシとて、この商売で何年もメシを食っているのですから、十分に判っていたはずのことです。だから、今でも、そのことについて職員を恨む気にはなれません。職員は古文に関して全くの素人です。Nのやり方がどんな結果を生徒にもたらすかなど想像しようもないでしょう。職員は、生徒の求めるものを与えようと努力しているだけのことです。ただ、生徒の求める講師が正しい結果を生み出すというテーゼは、真っ当な講師ばかりが教えているという前提で初めて成り立つのですが・・・。

 Nに関する噂が、その頃になると次々に入ってきました。一学期開講の授業で「オレは受験の神だ、古文の神だ」と吹きまくったこと。Nのもともと所属していた中小予備校では、No.1人気講師のNは逆らう者のない王様のように振舞っているということ。前年度の生徒のアンケートで、ウチの予備校全体の古文の講師の中でもトップの成績だったということ(ウチの古文科は受験界でも有数の人材の宝庫なので、これは驚異的なことです)。Nが自分の担当クラスの生徒に、「特別授業には他のクラスの友達を連れて来い」と宣伝していたこと。Nの授業の日にはNに質問する生徒さんが講師控え室に長蛇の列をなし、他の教科の先生に顰蹙を買っていること等々・・・。全て、憂鬱で絶望的な情報ばかりでした。
 
 その年の夏も過ぎ秋を迎えた頃、ワタシを取り巻く状況はかくも憂鬱なものでした。ワタシは自分だけでも闘わなければならないと決心していました。手遅れにならないうちに。

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2006年4月13日 (木)

詐欺師Nの思い出~驚愕と小さな怒り

 その冬、Nは現役高校生向けの特別授業というのも担当しました。この講座に関しても、開かれた事情はよく判りません。後になって考えると、校舎側のNを売り出そうという判断があったのかもしれません。しかし、それが、あんなことになろうとは。

 その年のセンター試験も終了し、国公立の志望者は受験校を絞って二次試験に向けての準備を進める時期になりました。ワタシも、某国立大学の二次試験対策講座のために、その校舎に出講していました。授業を終えて控え室に座っていたワタシのところに、ある女子高生が挨拶に来ました。この子は、ワタシの担当クラスの子で、その地方を代表する某国立大学の法学部を志望していました。大変国語の出来る子で、しかも非常にマジメな努力家。毎週のように熱心に質問を持ってくるので、ワタシも顔と名前を覚えており期待もしていました。お祖父さんの交通事故の裁判をきっかけに、立場の弱い人のために働く弁護士になりたい、というちょっと泣かせる動機で法学部を志していた、なかなか感心な子でもありました。

 その子の様子でなんとなく嫌な予感はしたのですが、こういう場合、我々も聞いてみるしかありません。「おう、どうした、センターどうだった?」。その子は、ちょっとためらう様子を見せましたが、吹っ切ったように、「ダメでした。私、○○大学の前期試験を受けるのあきらめました」「えっ!どうしたの。何で失敗したの」「国語が全然ダメだったんです。特に古文で大きな失敗をして・・・」。

 ちょっとこの返事は予想外のカウンターパンチでした。例え他の教科で失敗したとしても、古文で失敗することだけは考え難い子だったからです。こういう場合、普段のワタシは、失敗した子に対しては、あまりしつこく失敗の原因を追究したりしません。終わったことを追及しても仕方がないし、受験生に前を向かせなければならない時期でもあるからです。しかし、この時ばかりは聞いてみたくなりました。「何処を間違えたの?君が間違えるような問題はなかっただろ」。

 その子は、いくつかの間違いについて説明しました。なるほどとうなづける失敗もありましたが、その中に、ちょっと気になる間違いがありました。その問題は、その年のセンターの中でもやや意地の悪い、ちょっとしたヒッカケ問題でした。「をかし」の本文中での意味を問う問題で、選択肢の①が「風流だ」。コレがヒッカケになっていて、実は、③「おもしろい」が正解なのです。

 これは何処がヒッカケかというと、形容詞「をかし」は、古文では知的興趣を表す言葉で、”趣がある・風流だ”というのが最もよく出てくる意味。しかし、”かわいい・愛らしい”や”滑稽だ・おもしろい”の意味でも用いられる語です。ただし、現代語「おかしい」に残っている”滑稽だ・おもしろい”の意味の時には、受験的にはやや出題しにくいのです。現代語の意味からそのまま推測できるのではつまらないと普通は考えるからです。この問題は、その裏をついたヒッカケ問題です。「をかし」=”趣深い”と、よく出てくる第一義を機械的に覚えているだけの受験生を狙い撃ちしているのです。

 しかし、前後の文章をちょっと読めば、正解を選ぶのはさほど難しくはなく、読解力のある子なら間違えるはずはありません。ワタシの目の前にいるこの子は、まずこの手の問題を間違えるタイプではありません。「こんなの前後の文章ちょっと読めば、間違えようがないじゃない。君の実力なら判るはずでしょう」。つい詰問調になってしまうワタシに、その子は驚愕の言葉を発しました。「この予備校の先生に、『をかし』が出題されたら、100%、”趣深い・風流だ”の意味だって教わったんです」

 一瞬、ワタシは、自分自身を疑いました。ワタシは、時々、その場の勢いに任せて言い過ぎてしまうことがあるからです。しかし、こんなところで「100%」とは普通の古文教師は言いません。とてもじゃないが「100%」と言えるほどの確率はないので、そんなことを言ったら、確実に生徒を騙すことになってしまいます。いくらその場の勢いでも、いくら疲れていても、こんなところでの「100%」は、ワタシの語彙では有り得ません。「それ、まさか、オレが言ったんじゃないよね」。その子は、言いにくそうに答えました。「先生じゃありません。冬の現役向け特別授業で、ある先生が・・・」。ワタシの念頭に、Nのニヤけた顔が浮かんできました。また、Nなのか!?

 「いや、しかし、100%とはまさか言わないでしょ。『”趣深い”のことが多い』とか、『ほとんど”趣深い”』とかなんとか・・・」「いえ、確かに『100%』って何べんも言いました。私も前後の文章を読んで、”風流”の意味じゃないことは判ってたんです。でも、解答書く時になって、『100%』って何度も言ってたのを思い出しちゃって・・・」

 もう、慰めようも弁明のしようもありません。お互い気まずい雰囲気の中、ワタシは何かをごにょごにょ言ってその子を帰しました。後になって聞いたのですが、結局、その子は後期試験で、第一志望に合格したのだそうです。実力通りの当然の合格です。ですから、この一件の被害者には結果的にならずに済みました。それで、ワタシも、この時点では事を荒立てませんでした。しかし、ワタシの中に、ある確信と小さな怒りが芽生えました。

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2006年4月12日 (水)

詐欺師Nの思い出~疑惑の始まり

 新任講師Nを迎えた新年度の授業が始まりました。当時、ワタシは、この地方校舎の古文科講師のまとめ役のような位置づけでしたので、何かと職員の相談を受けることもあったのですが、一学期のある日、職員の一人から人気のない廊下へ呼び出され相談を受けました。「実は、N先生のことなんですが・・・。まだ担当のテキストに入らないらしいんですよ」。もう一学期が始まって何週か過ぎていましたので、ちょっと驚きました。「テキストに入らずに何をやってるんでしょう」「ご自分で作ったプリントを配って、それをやってらっしゃるようです」。ワタシは、ちょっと安心しました。ウチの古文の教材は講読中心なので、テキストに入る前に基本的な文法事項を教えてしまうというのは、有り得るやり方だからです。

 くわえて、ウチの古文科は、昔から各担当講師の自由を尊重する気風がありました。例えば、基本的にテキストの進度は各講師の判断に任されています。そのため通年テキストの半分も終わらないという先生もいれば、時間が余ってテキスト終了後、自分の用意したプリントで授業する先生もいるといった具合。ワタシ自身は、それを美風だと思っていました。上の立場の先生が若い講師を信用して自由を与えるから、若い講師がのびのびと力を出せるのだと、そう信じて疑いませんでした。まさか、それが仇になるとは思わずに。

 それで、「心配ないでしょう。そのうちテキストを始めますよ」と答えてしまいました。職員も、「そうですね。まあ、なるべくテキストを使ってくださるよう、言っておきます」と答えてその場は終わりました。

 その後、Nのことは気にはなっていましたが、こちらも自分の授業に忙しく、また、東京から遠距離を通う身として、何時でもその地方校舎のことばかり考えているわけにもいかないので、時折、「まだテキストを始めない」という話は聞いても、放っておきました。

 秋が過ぎ冬を迎える頃、Nが冬期講習のセンター試験向け講座を担当すると聞いた時も、「ずいぶん優秀なんだな、良い人を捕まえたもんだな」とのんびりしたことを考えていました。採用初年度から夏期や冬期の講習を任されるのは、ウチのような大手では特別な事情でもない限り抜擢と言ってよい起用です。学生へのアンケートでかなり良い数字を出さないとそうはならないのです。

 ところが、その年の冬期講習中に変なことがありました。質問に来た生徒が、「先生、センター試験って問題文を全部読まなくても解けるんですか?」と聞くんです。こういう馬鹿げた質問の場合、頭から叱り飛ばしても良いのですが、ワタシは、そういう反応がとても苦手で、「いや、そりゃ、全部読まなくても解ける問題があるのは間違いないけどね、でも、高得点は取れないだろうね、普通。どうして、そんなこと聞くんだ」と逆に尋ねました。生徒は言いにくそうにしていましたが、一緒に来た友達と顔を見合わせ、意を決したように、「N先生のセンター対策講座で、問題文を全部読むな、読解なんかしなくても問題は解けるって言うんです」。

 ワタシはちょっと反応に困りました。こういう場合、生徒の前で同僚講師の悪口になるようなことを言うのは、一種の講師仲間の仁義に反することでもあり、また、生徒をイタズラに不安に陥れるという点でも感心したことではありません。「そりゃ君の聞き間違えじゃないの」「いいえ、そう言ったよなあ」と友達に同意を求める生徒。いよいよ追い詰められたワタシは、「さっきも言ったように、全文読まなくても解ける問題もある。もともと出来ない人が七割を狙うなら全文読解しないという手もあるかもしれない。だから、そういうやり方を知っておくのも悪くはない。でも、君は○○大学を受けるんだろう。センターの古文七割じゃマズいんだろ、それなら全文読みなさい」と、生徒側の事情に問題をすり替えて、その場を切り抜けました。

 生徒の出て行った後も、なんだか重苦しいものが残りました。しかし、その時、ワタシはまだNを信じていました。というか、ウチの講師というものに対する漠然とした信頼を捨てられませんでした。「N先生は、今まで中小予備校で出来ない子ばかり教えていたから、そんなやり方を教えちゃったんだろ。ウチじゃそういうのは、生徒さんにウケが悪いんだが」という程度のことを考えていました。まだ、ワタシは事の重大さに全く気づいていませんでした。もう、歯止めの利かないところまで事態は迫っていたのに。

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