詐欺師Nの思い出~エピローグ
Nはやって来た時と同じように、ワタシの関与しないところで、この地方校舎から去っていきました。この校舎ではない別の場所で逮捕されたのだそうです。それがせめてもの救いだと、後になって聞きました。
「あんな変なヤツを連れて来て採用したのは、いったい誰なんだ?」「あんなヤクザな講師を重用し、特別授業やらせまくって生徒を混乱させた責任は誰にあるんだ?」「ヤツのアンケートの成績に隠されたからくりを見抜けず、首都圏の校舎にまで連れて行こうとしたのは何処の大馬鹿だ?」などという責任追及の声は、少なくとも我々講師からは一切上がりませんでした。なにしろ、我々は、その時、この騒動の尻拭いで必死にならなければならなかったからです。校舎からは、「生徒達が混乱して傷ついていますので、精一杯のフォローをしてあげてください」とだけ言われていました。Nのいなくなった穴は、東京から臨時に出講した講師が埋めました。ワタシも、その時は精一杯のことをしたつもりです。
しかし、次年度の生徒募集、特に高校生の国語のクラスの募集は、かなりの打撃を受けました。立ち直るのに数年は要したはずです。あんなスキャンダラスな犯罪者が出てしまっては当然でしょう。
せめてもの救いは、逮捕が秋であったことでしょう。その年度の生徒達が立ち直るだけの時間的余裕を持てたのですから。それに、もし、逮捕が翌年の春以降だったら・・・。Nはウチの首都圏の校舎の人気講師として逮捕されることになったことでしょう。このスキャンダルは間違いなく週刊誌の好餌です。その意味でウチの予備校は幸運でした。
詐欺師Nとは何者だったのか、今でも考えることがあります。犯罪者としてのNではなく、詐欺的授業をする講師としてのNについてです。実は、Nのやった詐欺的授業のいくつかの要素は、予備校というものの授業には現在も普遍的に存在しています。Nの公式は、某有名講師XやA、またAの亜流であるBの参考書の中に残っています。それらの参考書を「わかりやすさ」だけを安直に求める生徒達が買っていきます。また、職員さん達や予備校のシステムも、あの事件の前後で変化したわけではありません。そうした土壌の中にNは生まれたのです。土壌が変化していない以上、Nが再来したとしても、何らおかしくはありません。
Nは今は、どこにも(nowhere)いません。しかし、何時かどこかに(somewhere)再び現れ、やがて、どこにでも(everywhere)いる存在になるのかもしれません。詐欺師Sや詐欺師Eが現れないことを、切に願って止みません。
ワタシは、あの「をかし」でつまづきかけた女生徒が去っていく時のことを覚えています。その時の切なさを、よく覚えています。若く純粋な意志が折れ、崩れようとしたその時の表情を、ワタシは見てしまったからです。あなた方は、そんな悲しい物を見たことがないでしょう、和角さん、荻野さん、河原さん。ワタシは見てしまいました。マァ、それだけです。~o~
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