2021年10月24日 (日)

隅の隅二題~『源氏物語』に関する些細なこと13

 久々に些細なことシリーズです。今回は本当に重箱の隅の隅を二つ。

 一つ目は、「賢木」の巻、桐壺院の遺言の場面です。東宮とともに桐壺院に参上した源氏に対面した桐壺院が源氏にも遺言を残します。

 「大将にも、おほやけに仕うまつりたまふべき御心づかひ、この宮の御後見したまふべきことをかへすがへすのたまはす」

 この部分を、小学館『新編日本古典全集』では次のように訳します。

 「源氏の大将にも、朝廷にお仕え申すうえでのお心がまえ、またこの東宮の御後見役をなさるべきことを、かえすがえす仰せつけになる。」

 この訳のどこが「些細なこと」なのかというと、「おほやけに仕うまつりたまふべき御心づかひ」を「朝廷にお仕え申すうえでのお心がまえ」としていること。やや、違和感があります。

 現代の諸注釈は『新編全集』とほぼ同様の訳をつけているのですが、この「おほやけ」「心づかひ」を「朝廷」「心構え」と訳して良いものなのかどうか。

 「朝廷にお仕えする心構え」から想起されるのは、儒教的な「忠義を尽くせ」という一般論でしかありません。

 しかし、この部分の直前で、桐壺院は朱雀帝に対して源氏のことを「何ごとも(あなたの)御後見と思せ」と遺言しています。それを受けての源氏への遺言なのですから、この「おほやけ」は、具体的に当帝すなわち朱雀帝を指すと考えた方が良いのではないでしょうか。また、「心づかひ」は、一般的な「心構え」というより、当帝とその背後の外戚右大臣に対する具体的な「心配り・心がけ」を指すのではないでしょうか。

 語法的には「心構え」を言いたいなら、「心おきて」でしょうからねえ。この「心づかひ」に諸本の異同はありません。わざわざ紫式部が「心づかひ」と言っているものを「心構え」とするのはやや大雑把なのではないかしらん。

 さすがだと思うのは、『玉上琢弥 源氏物語評釈』が、「『おほやけに仕うまつる』とは、当帝に仕えることである。」とハッキリ指摘していること。

 しかし、その玉上評釈も訳文では、「朝廷にお仕え申し上げなさるべきお心使い」なんですけどね。ちと中途半端かな。

 二つ目は、桐壺院の死後、政治的な逼塞を禁断の女性に近づくことで晴らしてゆく源氏が、藤壺の寝所に近づく場面です。

 「いかなる折にかありけん、あさましう近づき参りたまへり。」

 ここを『新編日本古典全集』は次のように訳しています。

 「どうした折であったのか、思いもかけぬことに、君はおそばに近づきまいられた。」

 現代の注釈書は、異口同音にこの趣旨の訳をしています。さしもの玉上先生も「思いもかけぬにお近づき申し上げなさった」です。 

 しかし、「あさましうて」を「思いもかけぬことに」とやっては、接続助詞「て」の語感が抜け落ちることになるのだが。

 この「て」は、古語辞典に言う「下に続く動作の行われる状態を表す」のはずで、一般的には「…の状態で・…のさまで」などと訳さなければいけないもの。

 つまり、ここの「あさましうて」は、お傍に近づいた事実が思いもかけぬものなのではなく、近づく状態・さま・形が思いもかけぬものだと言いたいのです。

 源氏は、通常であれば王命婦という女房を介して藤壺に接近しようとします。しかし、そうしたいわば公式のチャンネルは藤壺側が閉じてしまっています。そのために非公式の意表を突いた方法で藤壺に接近したというのでしょう。

 だから、藤壺は逢瀬を拒否しようがなかったと。

 ちなみに、この「て」には河内本と別本系の陽明家本に「あさましう・あさましく」という異同が見られますが、青表紙本系はすべて「あさましうて」。

 つまり、少なくとも定家卿は、上記のようなことを考えてたってことでしょう。 

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2021年10月 5日 (火)

ポリフェノールと源氏の季節

 先日、赤本のチェックをしていて気になることがありました。

 某千葉大学教育学部の問題文で、「『役に立つ』古文」という文章なのですが、高校生相手に古文の授業をしていて、『平家物語』「小教訓」の平重盛が清盛を説得する場面を教えていると、生徒達から「プレゼンテーションの達人だ」という声が上がったというのです。

 この先生、それを受けて、「重盛の語りは、生徒が自らの意見を発表する際に、大いに参考になるはずだ」と結論付けるのですが、役に立つから古文かよ、イヤハヤなんとも。

 プレゼンの仕方だったら、もっと分かり易い上達本が山ほどあるんじゃないんですかねえ。

 例えばこういうことです。ビールにも抗酸化作用のあるポリフェノールが含まれているんだそうですが、「ポリフェノールを摂取するためにビールをたくさん飲みましょう」になるかってことです。

 ポリフェノールだったら、もっと効率よく摂取できる食品があるんじゃないの。それに、ポリフェノールなんてなくてもビールは美味しいじゃないか。

 美味しいからビールが本当でしょうよ。美味しいからビール、面白いから平家!

 ちょうど今、源氏の季節なのですが、『源氏物語』を扱う時には、まずK先生の伝説を紹介し、

 「こんなふうに夢中になる人がいるのは、原文が面白いからです。受験や勉強のためでなく、原文を出来るだけ専門的な注釈書を使って趣味で読むと取りつかれるほど面白いんです」

 「今、あなた方は、古文の勉強を受験のためにやってるけど、コレ、実は、受験が終わったら何の役にも立ちません。まーったく役に立てようがないんです。虚しいですね。でも、実は一つだけ役に立てるチャンスがあります」

 「来年、大学一年生の夏休みに、大学の図書館で出来るだけ専門的な注釈書を借り出して、『源氏』原文にチャレンジしてみてください。今、勉強していることが頭に少しでも残っている一年生の時だけのチャンスです」

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 「もちろん、大学一年の夏くらいでは、途中で挫折します。でも、挫折したことが一生の自慢になります。世界中どこへ行っても、『The Tale of Genji』の原典にチャレンジしたことがあるが、あれは長くて大変なんですよ、と自慢出来ます。それこそ、世界中どこへ行ってもね」

 こんなことを勧めています。どのくらい実行する生徒さんがいるか分からないけど、そういうのが「日本文化への誇り」ってものにつながるんじゃないんですかねえ。

 少なくとも、プレゼンの上達本モドキでは、『平家』が可哀想だと思うよ。

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2021年8月23日 (月)

あいなき御達の雑感

 このところ、二学期開講のためのプリント作成の日々です。

 毎年、二学期開講時に単語リストとテキストの索引を配布しています。この索引を作成しているといつも思うのですが、単語リスト一番の「あいなし」ってウチのテキストには出て来ないよなぁー。

 「あいなし」は、アイウエオ順に単語を並べると重要単語の一番になってしまうので、その関係で大抵の単語集の一番最初に載っています。アイウエオ順の関係なさそうなゴロ合わせの本にさえ一番に載っています。にもかかわらず、ウチの通常授業のテキストにはもう何年も載っていません。

 これは、もちろん、ウチのテキストに欠陥があるという話ではありません。ウチのテキストには入試に出題されそうな文章、あるいはすでに出題された文章ばかり採用されているので。「あいなし」は入試においてそれほど頻出ってわけじゃないんじゃないかしらん。

 主要な大学の入試問題を毎年チェックしているワタシの感覚から言っても、「あいなし」は、そんなに入試頻出単語と思えないのですが、でも、ほとんどの単語集では重要単語一番です。

 新たな単語集を編集しようとする時に、既存の単語集をたたき台にすると、アイウエオ順一番のこの単語は切りにくい…ってことなんですかねえ、どうも。~o~;;;

 では、なぜ最初の単語集に載っちゃったのかというと、『源氏』『枕』などの有名作品で印象的に残る場面に出て来るから…かもしれません。『源氏物語』桐壺巻冒頭近くの、

「上達部、上人などもあいなく目をそばめつつ、いとまばゆき人の御おぼえなり(上達部や殿上人なども皆むやみに目を背けて、まったく見ていられないほどのご寵愛です)」

 なんかがあるからでしょうかねえ。

 こういう重要単語とされている語とは逆に、全く単語集等で扱われない語が出題されてしまう場合があります。今年の某東大の問一のアなんががソレ。「御達(ごたち)」なんて、どの単語集にだって載ってません。

 あまりに重要単語扱いされていないので、某東大受験指導専門塾T緑会の過去問本では、「東大の教員はモノの判った人達だから、『御達』は採点対象外か」などと言いだす始末。

 ちなみに、この部分の解説文原文が、「採点の対象外とされなかったのではないか」とあるのを見た時には、一分間凍りました。あんまり国語が得意じゃない御仁が書いたんでしょうかね。~o~;;;;

 閑話休題。採点対象外と言われても仕方ない出題でしょう。「御達(=女房・御婦人方)」は、珍しい単語です。

 しかし、これを出題した人の身になると、なんとなく理解できなくはありません。「御達」は、一般的な古典作品ではレアな単語ですが、物語文学では、そこそこ出て来ます。『源氏物語』では、「悪御達」「古御達」「ねび御達」などを合わせると二十回ほど出て来ます。特に、「竹河」巻冒頭の、

 「これは、源氏の御族にも離れ給へりし後の大殿わたりにありける悪御達の落ちとまり残れるが問はず語りしおきたる…(これから語るのは、源氏の御一族からは縁が遠くていらっしゃった後の太政大臣のお邸あたりに仕えていた口さがない女房達の、まだ生き残っていた者が問わず語りに語っていたもの)」

 という一節が源氏物語の文体論でよく扱われる研究者に馴染みのある印象的な用例なので、ねえ。

 出題者は、『源氏』の研究で有名なT木さんでしょう。

 「御達」くらい聞いても良いでしょ。

って思ったとしても、まあ理解できるかな。

 というわけで、某東大受験予定の諸君、「御達」は、採点対象だったはずです。文脈から読み取ってください。~o~

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2021年8月 7日 (土)

粗忽者としての惟光Ⅱ~『源氏物語』に関する些細なこと12

 昨日の続きです。

 近現代の諸注釈は、何となく座りの悪い訳だがこんなものという態度のように思われます。こんな時に頼りになる谷崎も、「よもや御前でお使いにになりはしますまいが」と大同小異。

 ワタシとしても、この部分に関して正解と確信できるものを思いつけずにいます。

 しかし、一つ正解になりえるかもしれないアイデアがあります。目の付け所は、最初の惟光の会話文にあります。

 惟光は、最初の言葉を「あなかしこ、あだにな」と言いさしています。もし、『新編古典文学全集』の訳のように「あだやおろそかにしてはなりませんぞ」と丁寧に言いたいのなら、「あなかしこ、あだにな」の後に「し給ひそ」あるいは、「もてなし給ひそ」くらいの語がなければなりません。

 「あだに」は言忌みの対象となるNGワードです。これはもちろん、言霊の発動を危惧してのことですから、話者がどんな意味で使おうとダメです。また、当人達の前で言わなければ良いというものでもありません。したがって、”いいかげんに”のつもりで「あだに」と口に出した瞬間に、惟光は「シマッタ」と思っているはずです。

 惟光という男は、「心とき者」と言われ、気の回る男ではありますが、同時にウッカリした失敗を起こす人でもあります。例えば、「夕顔」巻では夕顔の家の前を通りかかった頭中将を確認に行かず、「お前自身が見届ければよかったのに」と源氏に突っ込まれていますし、物の怪が出た時刻に某院から帰ってしまっていて、朝になって源氏から「憎し」などと思われています。

 ここも、ウッカリNGワードを口にしてしまい、それにㇵッと気づいて口ごもったのではないでしょうか。

 ところが、事情を知らない若女房弁から「あだなる」を”浮気”の意味にとりなした冗談を言われて、”そう、それなんだよ!”とばかりに、返した言葉が「まことに」だったのかもしれません。

 ”そうそう、ホントにその言葉を今はお避けになってくださいよ”と弁に注意を促した後の「よもまじりはべらじ」は…。

 もしや、慌てて自分の失言を取り消す、”私の言葉にもまさか混じっていないでしょう”だったんじゃないかしらん。

 これなら、現存する本文をそのまま訳して意味が通じます。しかし、粗忽者惟光が自分のウッカリから目を白黒させて若女房とやりとりする寸劇を、果たして読み取って良いものかどうか。

 面白い読みだとは思うのですが、自信はありません。でも、あり得なくないんじゃないかしらん。

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2021年8月 6日 (金)

粗忽者としての惟光~『源氏物語』に関する些細なこと12

 結局、接種二回目の副反応は、二日目午後になって微熱が出ただけでした。それも翌朝はすっかりド平熱。やっぱり年寄りは副反応出にくいってことかしらん。

 さて、些細なことシリーズその12です。

 「葵」の巻巻末近く、紫の上と新枕を交わした源氏の命令を受けた惟光が、用意した三日夜の餅を少納言の乳母の娘である弁に持って行かせようとする場面です。

 「『たしかに御枕上に参らすべき物にはべる。あなかしこ、あだにな』と言へば、あやしと思へど、『あだなることはまだならはぬものを』とて取れば、『まことに、今はさる文字忌ませたまへよ。よもまじりはべらじ』と言ふ」

 この部分を小学館『新編日本古典文学全集』は、次のように訳しています。

 「まちがいなく御枕もとへさしあげねばならぬ祝儀のものですよ。ゆめゆめあだやおろそかにしてはなりませんぞ」と言うので、弁は解せぬことと思うけれども、『あだなことはまだ存じませんのに』と言って受け取ったところ、『いや本当に、今回はそういう言葉は慎んでくだされ。まさかそんな言葉は使いますまいな』と言う。

 源氏と紫の上の新枕を祝う縁起物なのだから、いいかげんに扱わないようにと注意する惟光に対して、「あだなり」という言葉が”おろそか”の意味にも”浮気”という意味にもなることを利用して冗談を返す弁に対して、さらに惟光が新婚の祝い物に使うのは不吉な”浮気”の意味になる「あだなり」の語を避け、言忌みをうながすというやりとりなのですが、このやりとりは語法的にも内容的にも少し変です。

 というのは、惟光の最後の言葉は、直訳すれば、”まさか混じっていないでしょう”という訳になるのであって、”まさか使いますまい”にはならないのです。加えて、「あだに」と最初に口に出したのは惟光の方なのです。

 この部分は、古注釈の世界でも問題になっていて、『湖月抄』には、「抄聞書」として、

 「さはあるまじけれどもと、弁に惟光が陳じていふ詞なり。また或る説に、よもまじり侍らじとは弁が惟光への返答なり。よもさやうの事は申し混ぜじといふ心なり。あだなる事はよも混じらじといふなり」

 とあって、この言葉を弁から惟光への返事とする「或る説」を紹介しています。

 これを受けて近現代の注釈書でも、島津久基さんの『源氏物語講話』は弁の返事説を取ります。

 しかし、この弁の返事説には、致命的な問題があります。弁は、この時点で紫の上の新枕を知らないはずなのです。

 それで近現代の諸注釈はおおむね『新全集』と同じ方向の意訳をして済ませようとします。岩波文庫は、さすがにこの意訳に気がひけたか、「けっして(そのような言葉が)まじってはなりません」と原文に近い形で訳していますが、この訳は、通常<打消意志>や<打消推量>になる助動詞「じ」を、大変珍しい<不適当>の意味で取らねばならず、やや文法的に苦しくなります。

 そのように言いたいなら、「じ」ではなく、「まじ」でしょうかねえ。

 ところが、『源氏物語大成』によれば、この部分を「まじ」とする異本はなく、全ての写本が「じ」です。

 長くなるので、続きは明日。

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2021年8月 1日 (日)

患者が増えているワケ

 昨日から夕方の一講座だけの天国期間です。

 講習で扱っている文章で、ちょっと気になることがありました。

 実は、以前取り上げたことのある『土佐日記』一月七日の条。この時取り上げた部分の少し後です。

 貫之一行を訪ねて来た地元の歌自慢のハチャメチャな歌に対して、大人達は黙々と飲み食いして返歌をしないという仕打ちでこの男をいびり出すのですが、その空気を察することの出来ない子供が返歌をしようとする場面。

 「『立ちぬる人を待ちて詠まむ』とて求めけるを(『席を立ってしまった人を待って詠もう』「とて」捜したが)」

 この「とて」の部分を、ウチのテキストで「と言うので」と訳してあるので、ヤレヤレと思ってしまいました。

 「とて」は、引用を受ける格助詞「と」と接続助詞「て」が一語化したもので、会話文や心内語を受けて「と言って・と思って」の意味になるのが一般的です。原因理由の用法もありますが、このように明らかに会話文を受けている場合、「と言って」と訳すのが普通です。

 なんだってこんな基本的な誤訳を…と思ったら、どうやら現代の諸注釈がみんな「と言うので」なんですね。

 現代の諸注釈というのは、『土佐日記全注釈』(萩谷朴著 1967)、『小学館古典全集』(村松誠一注・訳 1973)、『講談社学術文庫』(品川和子注・訳 1983)、『小学館新編古典全集』(菊池靖彦注・訳 1995)のこと。(新潮社の『古典文学集成』と岩波書店の『新日本古典文学大系』はこの部分に対して全くノーコメントです)

 ここを「と言うので」と訳してしまうと、次の「捜したが」の主体を誤る原因になります。「と言うので捜したが」だと大人達が捜したように読めてしまいますが、ここは、返歌をしようとしている子供が捜しに行かなければならないはずです。だって、大人達は自分達でいびり出した男が、もうすでに帰ったことを知っているから。

 前回の時と同様、多分萩谷先生の『全注釈』が元凶なんだろうけど、こういう誤訳を生徒がマネすると、接続助詞「て」の感覚を利用できなくなり、「主語判らない病」を引き起こす原因になっちゃうので、困るんですよねー。

 生徒さんには、「『て』は『て』と訳せ!そうしないと主語判らない病にかかっちゃうゾ」と力説しておきました。

 子供が「主語判らない病」の患者になっちゃうのって、大人の側にも原因があるんだよなぁー。

 と思いつつ、校舎から出て駅まで歩く間に、反乱を起こした居酒屋さん風俗さんとそれに乗っかっちゃったゆるーい人達が、あっちにもこっちにも…。

 東京は昨日4000人超え、全国で一万の大台に乗ったそうですが、増えるワケだよ。

 こっちは誰が原因作ったんだか。~o~;;;

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2021年6月16日 (水)

「ごほうび」なのやら「些細」なのやら

 昨日は午後、あざみ野での授業でした。

 本来なら五時過ぎに帰って来れるはずだったのですが、添削を持ってきた生徒さんがマジメな子で…。~o~;;

 一時間以上サービス残業になりました。今年は、こういうことが多いです。「窮鳥懐に」とは言いますが、本当に困ってノート持ってくる子を無下には扱えません。

 帰宅は六時過ぎになりました。その時は郵便受けを見る元気もなかったのですが、今朝、朝食時にワタシあての封筒がテーブルに置かれていたのを見て驚きました。毎年恒例のワタシの成績表でした。昨日の夕方着いていたらしいです。

 中身をチェックして、とりあえず、ホッとしました。昨年のようなことはなく、一昨年並みでした。

 というか、数字そのものなら、前期アンケートとしては自己最高でした。コレ、「ごほうび」と言って良いのかもしれないけど、今年はカリキュラム変更の影響で教科平均もかつてないほど上がっているのでねえ。

 教科平均プラス2ポイントは、まあ一昨年一昨々年並み。もっとイケそうな気がしていたんですが…。

 なんせ、今年は添削を持ってくる子が多いですからね。

 添削持参者には、二通りあります。予習したものを授業実施の前の週に持ってくる子と、授業が終わって復習したものを持ってくる子です。

 復習でやった現代語訳は、間違えが無さそうなものなのですが、そうでもなく、細かいミスをしている子が多いです。話の粗筋を授業で教わっているので、安心してしまって助動詞や敬語などの細部に注意がいかないんでしょう。

 実は、そういう例を最近、『源氏物語』の注釈書で見つけてしまいました。

 「葵」の巻、生霊となって葵の上を取り殺した六条御息所と源氏の贈答歌です。

 「人の世をあはれと聞くも露けきにおくるる袖を思ひこそやれ」

 (人の世を無常だと聞くにつけても露のような涙が流れますので、残されたあなたの袖がどんなに涙で濡れることかとお察ししています)

 という御息所の歌に対する源氏の返歌、

 「とまる身も消えしも同じ露の世に心おくらむほどぞはかなき」

 この歌を現代の諸注釈は、次のように解釈しています。

 「生き残った者も死んだ者も、いずれも同じこと、露のようにはかなく消え失せるこの世の中に、執を残すのはつまらないではありませんか。私はさほど悲しんでいないのです。」(新潮社『古典集成』)

 「後に残る者も消えてしまった者も、どのみち同じで、露のようにはかない世に生きているだけなのに、その露の世に執着するのは、つまらぬこと」(岩波『新日本古典文学大系』)

 「後に残る者も、消えてしまった者も等しくはかない露の命の世に生きているだけなのに、その露にいつまでも執着しているのはつまらないことです」(小学館『新編日本古典文学全集』)

 この三者の解釈で問題なのは、「心おくらむ」の取り方です。『集成』は源氏自身の悲しみと取り、『新大系』と『新全集』は、一般的な現世に対する執着と取っているようです。

 しかし、それでは「心おくらむ」の「らむ」が無視されているのです。まるで、粗筋を知っていることに安心している受験生の復習時の訳のように。

 こりゃ、「些細なこと」シリーズの12かしらんと思ったのですが、

 岩波文庫は、ここを、

 「生き残る身も消え去った人も同じ露のようにはかない人生に、執着しているという時間はあっけないことです」

 とやっています。つまり、「らむ」を「しているという」と<現在の伝聞>で処理しているのです。うーーん、なかなかやるじゃない。

 しかし、訳しただけで「執着しているという」の具体的内容には触れていません。これは、もしかして「些細なこと」かも。

 と思ったのですが、例の文豪が、またまた見事な解答を示していました。新新訳潤一郎源氏頭注です。

 「生き残っている身も、死んで消えて行った者も、結局は同じ露になる世の中ですのに、物事に執着なさるのはつまらないことです」

 そうなんだよ、この「心おくらむ」は、御息所が主体なんだよなー。「執着なさる」は言い当てましたね。まあ、文法というよりは、例の文豪の直観なんだと思うけど。

 「らむ」の<現在の伝聞>は、「あなたが執着しているという」と取るべきなんでしょう。つまり、御息所の贈歌の「思ひこそやれ」に対して、あなたがおっしゃっている「思ひこそやれ」は、つまらない執着で、はかないものなのですと返したというわけです。

 考えてみれば、この二首は贈答歌なのですから、最初からそういう対応関係を考えてしかるべきでしょう。それが見えなかった現代の諸注釈は、和歌だからと大意を先に立てて、助動詞という細部をないがしろにしていたということなんでしょうか、受験生のように。

 まあ、注釈書をお書きになった碩学たちと受験生を一緒にしちゃいけないんでしょうけどね。~o~;;

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2021年5月22日 (土)

何も教えてない

 ちょっと前から、娘(仮称ケミ)の読書傾向が変わってきました。

 少し前まで、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を読んでました。

 これは、もちろん原典ではなく、子供向けに現代語訳したものです。図書館で借りてきて熱心に読んでました。かなり面白かったそうです。全四巻を読み終わる時には、大変残念がってました。

 そんなものが出版されているんだなあと古典の教師をしている父親は、ノンビリ構えていたのですが、昨日、娘が借りて来た本を見て、驚きました。

 『烏に単は似合わない』↓

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 「じゅナントカの話なんだよ」だそうです。一応、「それは入内っていうんだよ」とは教えて置いたのですが、気になって後で調べたら、平安朝の宮中の世界を八咫烏の世界に置き換えた人気のファンタジーなんだそうです。

 フクロウの次はカラスかよ。~o~;;

 さらに、『大鏡』。

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 おおおお、ついこの間、高二の教室で教えたばっかりです。 

 ちょっと前に、『雨月物語』を借りて来て読んでいました。それが面白かったとかで、同じシリーズをたどって『東海道中膝栗毛』の次に『大鏡』だったというわけです。

 「ストーリーで楽しむ日本の古典」というシリーズなのですが、この『大鏡』は…。『大鏡』に取材してあらたに創作したファンタジーだと思いますけどねえ。これに『大鏡』って名前をつけちゃったら、どっかから訴えられそうなんですが。

 なにしろ、紫式部が安倍晴明の弟子で猫になって時間旅行するっていうんですから…。

 まあ、どういう形であれ、子供が古典作品に親しんでくれるのは良いことです、と古典の教師は言わなきゃいけないんでしょうねえ。

 こういうのを読んで、ケミさんは、どういうふうに育っていくやら。

 ワタシは何も教えてないんですが。~o~;;;

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2021年3月11日 (木)

「十年」の分かり易さ~付『源氏物語』に関する些細なこと11

 今朝、朝刊に「東日本大震災10年」という見出しが掲げられました。早くも十年かとの思いもあり、あの日にこんなだった我が子の歩みを考えると、長い時間が経過したとも思います。

 その経過した時間を「10年」と名付けてしまうと、とても分かり易い気がする一方、「10年」と名付けることで、ひと昔の向こうへ整理してしまうのはいかがなものかとも思います。津波による行方不明の血縁者を捜し続ける人達、生まれ育った町が「帰還困難」とされ続けている人達、そういう人達の綿々と続く時間を「10年」で区切って分かり易くしてしまうわけにはいかないでしょう。

 少なくとも福島が再生していない以上、大震災は全国民にとって現在進行形です。「10年」は十年の意味を持ちません。現実はなかなか分かり易くならないということです。

 現実が分かり易くならないというのは、我が古典文学の世界も同様です。同じ今朝の新聞の『平家物語』現代語訳の広告に、「なんと分かりやすい感情のこもった意訳…『平家物語』の真髄に触れた思い」とあったのにはたまげました。古典文学の世界で「分かりやすい」意訳に対して「真髄」という言葉が出て来るとはね。古典文学を徒に分かり易くすることは、とりもなおさず「真髄」というものから離れる行為なのに。

 でも、「分かりやすい」を「理解」と勘違いするのは普通なんだよなぁ。~_~;;;

 「分かり易い」が「理解」にならない例を、最近『源氏物語』で一つ見つけてしまいました。ここから、「付」の「些細なこと」シリーズです。

 「葵」巻、懐妊中の葵の上が物の怪(六条御息所の生霊)に苦しめられ、それを父の左大臣、母の大宮が案ずる場面です。

 「ただ、つくづくと音をのみ泣きたまひて、をりをりは胸をせき上げつついみじうたへがたげにまどふわざをしたまへば、いかにおはすべきにかとゆゆしう悲しく思しあはてたり」

 これを小学館新編古典全集では、こう訳しています。

 「女君は、たださめざめと声をたててお泣きになって、ときどき胸をせきあげては、ひどく堪えがたそうにして苦しむご様子なので、どうなられることかと、左大臣家では、不吉な、また悲痛なお気持ちでうろたえ騒いでおられる」

 コレ、どこが「些細なこと」なのかというと、「いかにおはすべきにかと」の部分です。この部分、現代語的に括弧でくくれば、「『いかにおはすべきにか』と」になります。つまり、「いかにおはすべきにか」は、両親の葵の上を案ずる心内語なのです。

 通常、このように「にか」でセンテンスが結ばれる場合、「に」を<断定>の助動詞「なり」の連用形と取り、「あらむ」または「ありけむ」が省かれた結びの省略と考えます。この場合も、「いかにおはすべきにかあらむ(ありけむ)」のつもりで訳さねばならないはずです。

 とするとこの部分は、”どうなられることか”と言う訳には決してなりません。受験の答案なら確実に何点かの減点になります。”どうなられることか”の意なら、「いかになり給ふべき」「いかになり給はむ」等の表現になるのが自然でしょう。

 ところが、近代の諸注釈は全て同様な訳をしています。「如何なられることか」(島津久基『源氏物語講話』)、「どのようなおなりになるのか」(玉上琢彌『源氏物語評釈』)、「どうなられることか」(新潮社『日本古典文学集成』)。岩波系は注さえついていません。

 文脈から分かり易い意訳を施すか、問題なしとして素通りしているか、どちらかです。しかし、徒に分かり易くしてしまって良いんでしょうか。

 「いかにおはすべきにかあらむ」は、正確に直訳すると、”どうのようでいらっしゃるはずのことであろうか”となるはずです。この”はずのこと”というのは、「べき」の訳です。

 この「べし」は、意味の広い助動詞で、文脈により様々に訳される語です。この場合、本当に悩ましいのですが、「べし」の顔を立てる訳として、連体形「べき」の下に”宿縁”等を補って、”どのようでいらっしゃるはずの宿縁であろうか”というのはどうでしょうか。

 つまり、葵の上の両親は、漠然と「娘はどうなるんだろう」と心配したのではなく、執念深い物の怪に憑りつかれて本人とは思えないほどに取り乱す娘を眼前にして、その前世に思いをいたし、人間の努力では如何ともしがたい宿世に絶望して惑乱していると取るわけです。

 まあ、物語全体の流れに影響はなく、本当に「些細なこと」なんですが、それでも、無造作に分かり易い訳を施すと取り逃がす何かが確実にある気がします。こういうのは、どうなんですかねえ、本当の作品理解にはならないんじゃないかしらん。

 ましてや、「真髄」とは程遠いものになりますよねえ。

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2021年2月 5日 (金)

朧月夜の入る頃は~『源氏物語』に関する些細なこと10

 「些細なこと」シリーズも二桁に乗ります。

 今まで、『源氏物語』という作品は古典作品の中では、長い研究史と分厚い研究者の層に支えられた一番研究の進んだ作品と思っていたのですが、こうして重箱の隅を突っつき始めると、各巻に少なくとも一つは、今まで解明されていなかった箇所、今まで示されてこなかった新たな読みが出て来ます。

 今回も、何故今までコレが放置されていたのか不思議に思われる箇所を見つけてしまいました。

 「花宴」巻、南殿の花の宴の後、弘徽殿で「朧月夜に似るものぞなき」と口ずさんでやって来た右大臣家六の君(朧月夜の君)に出会い、その袖を捕らえた後の源氏の和歌です。

 「深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろけならぬ契りとぞ思ふ」

 小学館『新編古典文学全集』は、この歌を、「月の朧」と「おぼろけならぬ契り」の掛詞の歌と見て、

 「あなたが夜更けの風情に感じ入られるのも、入り方の朧月を愛されてでしょうか、その月に誘われてやってまいりましたこのわたしにめぐり会うのも、ひとかたなら縁ゆえと思います」

 と解釈しています。この解釈に従うと、六の君が「朧月夜に…」と口ずさんだのは、実際に入り方の朧月を見てのことのように読めます。そして、この「入る月」を実際の景色と見るのは、現代の注釈書では一般的な取り方です。島津久基『源氏物語講話』に、「『入る月の』は眼前の景を採っての『朧』の序詞」とあるのを始めとして、玉上琢彌『源氏物語評釈』、新潮社『日本古典集成』、岩波『新編日本古典文学大系』などに同趣旨の注を見ることができます。

 しかし、この取り方はどうも釈然としません。というのは、この南殿の花の宴が開かれたのは陰暦二月二十日過ぎのことだからです。物語には、「二十日余り」とあるので、二月二十一日か二十二日頃なんでしょう。明らかにこの日の月は有明の月です。

 試みに、今年2021年の陰暦二月二十一日(4/2)、二十二日(4/3)の京都での月の南中、月の入りと日の出の時刻を調べて見ると、

 2/21      月の南中3:40    月の入り8:44    翌日の日の出5:41

 2/22  月の南中4:39 月の入り9:34 翌日の日の出5:40

となります。

 まさか、南中している頃の月を「入る月」とは言いません。「入る月」と表現するからには、南中と月の入りの間くらいに月が進んでいなければならず、それは、今年の2/21なら6時頃以降、2/22なら7時頃以降です。とっくに太陽が昇って明るくなりきってます。

 一方 源氏はこの歌の後、六の君と情事におよび、それがすっかり終わってから「ほどなく明けゆけば」ということになります。

 いったい、何時、源氏は六の君と情事に及んだというのでしょう。

 そもそも、この歌の直前、花の宴が終わった直後の描写に、「月いと明うさし出でてをかしき」とあります。この描写に従うかぎり、花の宴終了時には、まだ月は東から出て来て南中していないと思われます。

 「入る月」は、「眼前の景」などではないはずです。では、何が「入る」なのでしょうか。

 古注釈の世界では、九条稙通『猛津抄』に、こんな注があります。

 「まへに女の『照りもせず』の歌を吟ずるは月の哀れを知る也。上の句はその心也」

 この注の前半は諸注釈ともに継承していると思われるのですが、注意したいのは後半です。「上の句」と言っています。「初二句」ではありません。つまり、九条稙通は、「入る月の」までを「月の哀れを知る」女の心だと言っているのです。

 これをそのまま受け入れれば、「入る月」は「女」の比喩ということになるでしょう。「深い夜の情趣をわきまえながら、朧月がやがて山の端に入るように、深い夜の月の情趣を知りながら、あなたは、寝所に入るのですね」ということなのではないでしょうか。

 その筋で、一首全体を解釈するとこうなります。掛詞は諸注釈と同様に考えて、

 「深い夜の情趣を知りながらも西に沈んでいく月がおぼろに霞んでいるのではありませんが、深い夜の月の情趣を知りながらもあなたが寝所へ入って来て私に逢ったのは、私達二人が並々ならぬ前世の宿縁にあるからだと思いました」

 この解釈をした場合の問題点は、六の君は何処から何処へ入って来たのかということでしょう。源氏は弘徽殿の西廂の細殿またはその内部の枢戸の周辺にいたものと思われます。女は「朧月夜に」の歌を口ずさんで来たのですから、それまで朧月を賞美していたと考えたいところです。とすると、女は弘徽殿の南廂にでもいたのかもしれません。

 南廂で月を愛でていた女が寝所にしている塗籠へ向かおうとして枢戸にいた源氏に袖を捕らえられるというのは、あり得ないことではなさそうです。

 しかし、この女は右大臣秘蔵の六の君で、東宮入内が決まっていたのですが、その女の周辺に女房が全くいないというのは、ちょっとどうなんでしょう。

 まあ、女房がその辺にいたのではこの話は成り立ちませんからねえ。右大臣家、それだけ迂闊ってことで良いのかしらん。~o~

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