2008年7月 3日 (木)

出題者さん、考えてください

 最近、授業をしていてストレスを感じることがあります。例えば、次のような場合。

 出典は『大鏡』。道兼公七日関白の逸話です。道兼公は、方違え先の藤原相如邸で関白の宣旨が下ったことを知ります。その時一緒にいた北の方は大喜びで自邸に帰り、それを見送った道兼は内裏へ関白就任のお礼を言上しに向かいます。問題文は、その箇所から始まり、内裏で体に変調をきたした道兼がヨレヨレになって帰邸し、家人の迎えを受ける所まで。

 「(道兼公が)いといみじう苦しげにて降りさせ給へるを見奉り給へる御心地、出で給うつる折にたとしへなし」

 ここで、「見奉り給へる」に傍線を引いて主体を聞いています。我々予備校屋は、「お屋敷で道兼を迎えて牛車から降りるのを見る人物で、『給ふ』という敬語が使われる人ということになると、道兼の奥さんなんだろうね」なんて説明をするわけです。つまり、敬語の使い方で人物を推論しなさいって教えるんですが、コレって何だか変です。

 だって、問題文の少し前の記述を読んでいれば、敬語なんて考えなくても、関白就任を大喜びして自邸へ帰っていた北の方が、夫を迎えに出てくるんだろうって見当がつきますからね。

 つまり、『大鏡』の注釈書を前の方から読み進めていれば簡単に判るはずことを、部分的に抜き出した本文の中で技巧を使って推論させてることになります。これはもちろん、実際の入試でこういう聞き方をするために、それに合わせてテキストの問題を作っているわけなんですが、こういう所を説明するたびにストレスを感じます。

 入試問題の出題者さんって、子供達が何のために古文を勉強させられてるのか、考えているんでしょうか。

 古文を勉強させられている子供達は、別に専門家になりたいわけではありません。中には、将来、国文学や国語学を専攻する子もいるのでしょうが、99%以上の子は他の学科に進みます。国語学や国文学の講義を受けることすらない子も多いはずです。

 そんな子供達にとって、一般教養という範囲を超えて古文を勉強する意味というのは、せいぜい、将来有名作品の一般向け注釈書を読むことがあるかも知れず、その時に役に立つかも知れないという程度。要するに、カルチャーセンターで『源氏物語』の読書会に参加するかもしれないとか、趣味で『徒然草』の注釈を読んだりするかもしれないとか、そんな時のためなんじゃないでしょうか。

 ちなみに、そういう大人が増えてくることは非常に大事です。それこそが古典教育の究極の目標なんじゃないでしょうか。古典文学に親しみ古典文学に造詣の深い教養人達が大勢いるって、社会的には大変豊かなことなんじゃないでしょうか。

 閑話休題。だとしたら、注釈書を最初の方から読んでいけば自明であるようなことを設問にして、問題を解くための技巧を子供達に覚えさせることって、何の意味があるんでしょう。

 例えば、『蜻蛉日記』。注釈書を最初から読んでいれば、この作品のテーマは夫兼家との軋轢であることは自明なのですから、「来た」と言えば、「夫が作者の家に来た」ということ。それなのに、一部分だけ抜き出した問題文の中で主体を推論させちゃうってのは、どうなんだろー。

 これは、内容的なことだけではありません。例えば、「来ずなりにけり」という表現の「なり」が、動詞「成る」なのか助動詞「なり」なのか判断させる文法問題。問題文を最初から「来ず成りにけり」と表記してしまえば全く迷う人間はいないのに、何故か入試問題では平仮名表記にして設問を作ってしまったりします。

 仕方ないから、我々予備校屋は、文法のマニアックな知識を持ち出して、何故動詞なのかを説明することになるのですが、ムナシイです。表記の判りやすい注釈書なら自明のことなのに。

 今年の東北大の悪問だって、「来る」に振り仮名振ってくれれば、紛れが無いのに、わざわざ表記を紛らわしくして難問を作っています。何考えているんでしょう。「来る」を「きたる」と読むかもしれないなんてこと、カルチャーセンターで『源氏』読む人達に必要なことなんでしょうか。

 某早稲田が好んで出す空欄補充問題なんてのも、ムナシイ問題の典型です。趣味で『徒然草』読む人達に、何故、空欄を補充するためのテクニックを教えにゃならんのでしょう。市販の注釈書には、空欄なんてないのヨ。~o~;;;;

 子供達が何のために古文を勉強させられているのかという、古典教育全ての根幹にあるはずの問題について、出題者さんがまーーーったく考えてくれないから、小手先のテクニックを暗記させようとする予備校屋さんが繁盛しちゃうんだよなー。

・・・ってなことはワタシが言うことじゃありませんね。~o~;;;;

 でも、「『む』と『べし』を同じように訳せ」なんて言うヤクザな本で子供達が勉強しちゃう遠因って、そういう所にあるんじゃないのかしらん。やっぱ、カルチャーセンターで『源氏』読む時にも『徒然草』読む時にも、「む」と「べし」のニュアンスの違いは知っていていた方が良いって思いませんか、出題者さん。~o~

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2008年5月15日 (木)

誕生日嘆じよう日

 前から判リきっていたこととは言え、13日はちょっとイヤになりました。うーん、そんなに生きていましたかねえ・・・って感じで。

 また、その日の授業が、ちょうど『徒然草』第七段、

 「命長ければ恥多し。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」

 という部分だったりして・・・。~o~;;;;

 「いやー、この『四十』ってのは、古代人の感覚だからねえ。現代とは違うんですよ。現代日本は平均寿命八十歳とかっていう異常な長寿社会ですからねえ。それに比べて古代人は『人間五十年』なんて言ってたんですから・・・・」

 ってしゃべってて、ちょっとイヤな気分になりました。~_~;;;;

 もっともよく考えてみると、こんなことを書いていながら、兼好って人自身は七十才くらいまで生きたらしいんだから、勝手なモンですよね。つか、いかにもエラそうな能書きを垂れるこの人らしい話です。その伝で言ったら、ワタシなんぞは120くらいまで生きたってバチは当りませんやね。~o~

 ところで、一月に車山に行った時に購入してあった長野県佐久大沢酒造さんの「純米吟醸 大吉野」を開けてみました。いやー、またまた大沢酒造さんにヤラレてしまいました。美味い。美味いとしか言いようがありません。長野県の酒造好適米金紋錦の精米歩合55%なのですが。含むと、雑味のないキレイで爽やかな甘味の後、湧き出してくる濃厚な旨味とのバランスが絶妙。今の日本にはこんな美味いものがあるんだから、兼好、いや、健康で長生きしなきゃねえ。~o~

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2008年5月 8日 (木)

髪を剃る始まりと予備校屋としての幸せ

 今日は、夜、自由が丘で授業でした。授業後、いつもの居酒屋「すず屋」さんで、先週飲んだ岐阜県中島醸造さんの「小左衛門 純吟 仕込み二十号」をいただきました。軽く酸の刺激があってサラリとキレます。やはり良い切れ味。昨夜、町田の居酒屋「伊吹」で飲んだ富山県若鶴酒造さんの「苗加屋 純米吟醸 無濾過生原酒」に、ちょっと似た味わいながら、「苗加屋」の酸の力強さに対して、優しく軽い酸になっているかと思います。

 授業後、池袋のホテルへ移動。明日の朝は池袋で授業です。明日の授業に備えて、ちょっとテキストを見ていたのですが、少し気になっていることがあります。

 室町時代の『榻鴫暁筆』という随筆の一節で、ある男が最愛の奥さんに死なれて泣き暮らしていたところ、死んだはずの奥さんがその男の寝室を訪ねてきて、髪を結んでいた元結を落として行ったという『発心集』に載る説話を紹介しています。『榻鴫暁筆』筆者は、この説話を紹介した後、元結が残されていたということは、死後、髪を剃らなかったんだろうかと首をひねってるんですが、コレ、火曜日に吉祥寺の高三クラスで授業してちょっと困ってしまいました。

 死人を葬る儀式として髪を剃ることは、落語などには良く見られます。例えば、「らくだ」などには、そのシーンが面白く使われているし、「三年目」などは主要モチーフになっていますから、江戸時代には常識なんだろうと思われます。

 ところが、一方で、平安の古典作品、例えば『源氏物語 御法巻』などでは、最愛の妻紫の上に死なれて狼狽した光源氏が、死後の妻を落飾させようとして息子夕霧に止められています。何の効果もないし悲しくなるだけだから止めなさいというわけです。この御法巻の一節からは、死人の髪を剃るという発想の始まりが見られるとともに、その行為はまだ一般的風習になっていないことがうかがわれます。

 では、死人の髪って何時剃るようになったんでしょう。『発心集』では、鴨長明は死人の髪について何も疑問を持っていないようですから、平安末の貴族社会では、まだ死後の落飾は行われていないんでしょう。だから、鎌倉~室町のどこかで始まり、一般化するんでしょうねえ。

 火曜日の吉祥寺の授業では、この問題の説明をちょっと端折ってバックレちゃったんです。ところが、授業後、間髪を置かず質問に来られちゃいました。あははは。なかなか予備校屋に楽をさせてくれません。~o~;;

 吉祥寺では上記のようなことを説明して許してもらったんですが、「面白い」と喜んでくれました。こういう質問をしに来るお子さん、多分、ウチの予備校ならではでしょうねえ。キツいけど、予備校屋冥利に尽きる質問です。こういう疑問を持ってくれる子がいるから、この仕事面白いんですよね。

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2007年11月 5日 (月)

GENJIの季節

 先日捕まった人の話ではありません。今、個人的に『源氏物語』の季節なんです。~o~

 ウチの予備校のテキストはどれも、各テキストの最初の方に『徒然草』の文章が来て、最後の方に『源氏物語』の文章が配置されているんです。んで今、各クラスで授業のたびに『源氏』『げんじ』『GENJI』・・・。ああーもう飽きてきた。~o~;;

 最初の方に『徒然草』が来るのは、登場人物などが少ない簡単な話が多くて、オーソドックスな解かり易い文章だからでしょう。一方、『源氏』は、ある程度学習が進んでからでないと扱えない難解な文章が多く、発展的な文法事項などが含まれているので最後の方に持って来ざるを得ないんですね。

 そうして何より、古典文学の最高峰として、必ず学習してほしいという教師の側の願いがあります。受験的にも比較的よく出題されることはされるのですが、『源氏』の出題は学校による偏りが激しく、全ての受験生が勉強しなければならないということではありません。これは、どうしてかというと、大学の先生で『源氏』の魔力に取り付かれて、「『源氏』以外出したくないっ!」なんて人がいるからです。そういう人が所属している大学では毎年のように『源氏』の出題がありますが、そういう人がいない大学を受けるなら、無理に『源氏』を勉強しなくったって大丈夫。

 だから、ウチの各テキストに必ず『源氏』が載っているのは、教師の側の、「ウチを出るからには『源氏』くらい読んでいってくれヨ」という切実な願いの現れです。多分、源氏好きK先生あたりからの伝統でしょう。

 ただ、正直言って、『源氏』を勉強しなくても済むはずの生徒さんを、徒に難解な文章で苦しめるのは気が引けるので、何故『源氏』を勉強しなければならないかを説明します。早い時期から世界中に翻訳されている(アーサー=ウェーリー訳『The Tale of Genji』が最初にロンドンで出版されたのは1925年という)日本文学を代表する古典であること。受験を離れて読めば現代人が読んでも面白いこと。現代語訳は原文の面白さに遠く及ばず、現代語訳の歴史は失敗の歴史であること。学者さんでも『源氏』に惚れてしまう人がいること、etc.etc.

 特にK先生の伝説は必ず紹介します。難解な文章も少しは楽しく勉強できるでしょうから。~o~

 んで、先週あたりから、毎時間、おんなじ『源氏』バナシの繰り返し。もう飽きてきたけど、今日もこれから吉祥寺で一回やらなきゃいけません。しょーがない。行って来ます。~o~;;

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2007年11月 1日 (木)

KY文化の落日

 なんでも、日本シリーズで中日の投手が完全試合をしそうになったそうで、ワタシゃ夜まで仕事で全然知りませんでした。もっとも、日本シリーズなんて、我がホークスがCS敗退した段階で全く興味が無いので、仕事がなくても知らなかったでしょうけど・・・。さっきネットでチラっと見て驚きました。~o~

 完全試合を遂行中に八回で交代させられたということについて、いろんな人がコメントを寄せてるんですが、某○くみつるという漫画家さんが、「空気読めよと言いたい」と落合を非難していました。ところで最近、この「空気読め」とか「空気読めない」とか言う言葉がはやってるみたいですが、コレって何?

 例えば、この場合だと、「野球ファンみんなが何を願っているか、言われなくても推測しながら行動しろよ」ということなんでしょうねえ。しっかし、みんなが何を願ってるかなんて考えながら野球の監督できねーだろー、って思わないでもありません。だって、大半の野球ファンは、こんなに早く中日が日本シリーズ優勝を決める なんて願ってないでしょうからねえ。~o~;;

 監督という立場は、野球界全体の雰囲気なんかに左右されることなく、自分のチームを優先させるべきものでしょう。だから、落合を非難するとしたら、「監督としてではなく一野球人として百年に一度の記録を、もったいないと思わなかったのか」という角度からなされるべきなんじゃないのかしらん。

 こういうことまで、全体の「空気」読んでの行動を求めちゃう現代日本って何なんでしょう。ワタシ、自分がマイペース人間なんで、こういう「全体に合わせろ」発言はどうも好きになれません。特に、現代におけるKY主張は、上記の漫画家さんのごとく独創的個性的な判断を封ずるような雰囲気があってちょっとヤだなあ。矛盾した表現だけど、「全体の身勝手」みたいな気がします。ある意味ファシズム的です。

 しかし、古典の教師としては、この空気を読むという感じは判らないでもありません。主語を表記したがらない古典作品、例えば、『源氏物語』の文章なんて授業してると、行間の「空気」から言って、主体はこの人と決めなきゃいけないようなことが起こってきます。「論理」だけではなく、その場の「雰囲気」からこの人の発言と決定しなきゃいけないようなことがしばしばあります。実は、今日もそんな箇所を授業してきました。

 こういう場合、生徒さんは何か単純に判断できる基準を求めてきます。特に最近の生徒さんは、KY(空気読めない)なのでネ。~o~;;;;

 そういう生徒さんの願いに答えるべく、予備校屋の皆さんは、いろんな「公式」やいろんな「方法」を考えだしちゃうんです。まあ、某有名講師X某有名講師Aの「公式」なんかは、ハッキリ言って論外ですが、もっとマトモな先生でも、いろんなことを考え出します。例えば敬語の利用とか。

 ただ、この敬語を利用した主体判定、人物判定なんてものも絶対的な方法ではありえません。文章書く方も人間なので、いろんな例外が出てきます。所謂「敬語の不一致」がいろんな理由で出て来るんです。それらの例外を論理化するのは極めて難しく、良心的に教えようとすると、結局、最終的には、「その場の空気読めよ」になっちゃうんだよね・・・。~o~;;;;;

 今の子は、この「空気」読む(「文脈」を読むとも言える)力が極端にありません。こういう力をホントの意味で「読解力」って言うはずなんですがね。文法による論理化はいくら突き詰めても最終的には無理があるんですが、子供達は、それを求めているらしく、仕方ないので、ワタシなども出来る範囲で論理化を試みます。でも、出来るだけ単純な論理じゃないとウケが悪いんだよなぁ・・・。~o~;;;;;

 結局、子供達の文章KY化はどんどん進んでいきます。それは行間の空気読んで主語を推測する文化の衰退であり、突き詰めて言えば、語らわずとも他人の心理を忖度して思いやる日本文化(KY=空気読め文化)の落日とも言えるかもしれません。

 そんな現代の若者達が、全体に合わせることを求め、個性的判断を抹殺するかのごとく「KY!」と主張するのは、何だかゾッとする眺めです。それは他人を思いやる文化などではなく、単なる個性の抹殺、日本的なものの最も悪い側面の現われのような気がするんですよねぇ・・・、まー、ワタシなんぞがエラソーに言えることではありませんが。~o~;;

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2007年10月 5日 (金)

娘はどうして死ねるのか

 今日午前中は、池袋で私立文系の授業でした。その教材の話なのですが、これがワケの判らない文章で・・・。~o~;;

 訳していくのは簡単なのですが、内容的に現代人の理解を超えているんです。まあ、面白い話なので、ちょっとブログでも紹介しておきます。

 『大和物語』の中に収められた伝説です。大納言の娘が、ふとしたことで地方から上京していた男に見染められ、略奪されて陸奥国安積山の麓に連れて行かれるのですが、そこで男と暮らすうち、男がいない留守に山の井に映る自分の姿を見て、あまりの見苦しい変わりように「いと恥づかしと思」って、

  安積山影さへ見ゆる山の井の浅くは人を思ふものかは

という歌を書き残して死にます。帰宅した男は娘の死を悲しみ、死んだ娘の傍らに横たわって男も死ぬという話なのですが、この話自体は、それなりに美しい話です。ところが、この娘の方の死に方が一切書かれていないんです。ただ、「庵に来て死にけり」とだけ書いてあるんです。

 多分、自分の容貌の変わりようが恥ずかしくて死んだということなのでしょう。都の貴族の娘が、周囲に面倒を見てくれる女房もなく、一年以上山の中で生活すりゃあ、悲惨な容貌になるでしょうからね。

 都の貴族の娘で美人という設定ですから、当時の美人の基準から考えて、身の丈以上の引きずるようなロングヘア、ぽっちゃり型の体形、眉を剃って蛾眉という眉を書いてたんでしょうが、これが一年以上、山の中にいたら・・・。自分でビックリしちゃうバケモノになってもおかしくないでしょうねえ。~o~;;

 でも、恥ずかしいだけじゃ、人間死ねませんよね。この時代の貴族の姫君ですから、血なまぐさい自殺をしたとは考えられませんし、「庵」へもどって死ぬのですから入水自殺などでもなく、食事を取らずに餓死するには時間が足りない。さて、彼女の死因は・・・????

 中島敦の小説『悟浄出世』には、妖怪は人間と違って心の不調が体に現れるので、心に悩みを持った沙悟浄が体調を崩すという場面が出てきます。もしかして、この姫君もその類なのかしらん。~o~

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2007年9月 3日 (月)

明け方降って来るもの

 昨日は、一日中、デスクワークでした。『陰陽師』について書こうとしては挫折、また書こうとしては挫折。上手く行かないので、昼食時に岡野玲子という漫画家さんの『陰陽師』を買ってきて読んだりして。まあ、つまりいつもの逃避行動か。~o~;;

 しかし、この岡野さんという漫画家さん、よく勉強して書いてます。原作の某夢枕獏さんより、はるかに勉強家です。例えば、源博雅が初登場する場面では、式神に「(博雅の管弦の腕は)敦忠卿ほどではないわ」などとサラっと言わせてますが、これはちゃんとした元ネタのある話。敦忠卿は博雅の伯父に当る人物で管弦の名手ですが、「宮中では敦忠卿が亡くなって以来、管弦の遊びに博雅が重用されるようになった」という話が『大鏡』に出てきます。

 こういうディテイルの部分で、サラっと勉強家ぶりを見せてくれるので、ただイマジネーションで突っ走ってしまう獏さんより安心していられます。博雅が時平の血筋であるのを巧く利用したりするのも、この人が勉強家だから。

 なーんてなことを考えていても、全く仕事は進まないので、気分転換に月曜の予習をしてみたりしたのですが、全然気分転換になりません。月曜の授業で担当している教材を開いたら、なんだか疲れてしまいました。ウチのテキストは、だいたい隔年の繰り返しになっていて、今年度のテキストは、おおよそ05年度に使用したものがベースなのですが、05年度に、「改善すべき箇所があるから直して下さい」と申し上げておいた所が、今年のテキストでもそのままになってる・・・。

 教材作成担当の某先生、ワタシの意見を無視なさったようで、うーむ、このままだとホントにマズイんだけどなぁ。意地になっているのでしょうか。この某先生という方は、他人の原稿だと詳細にご意見なさっちゃう方で、ワタシの原稿などには、「解答例の文章が美的でない」「解説に名詞止めが多すぎる」などと文体のレベルに至るまで事細かにご意見くださっちゃうお方なのですが、他人に、単純な設問・解答の改善点や事実の誤りを指摘されるのはお嫌いらしひ・・・。

 予備校屋にとって文体なんてどうでも良いことだし、そもそも文体はその個人のアイデンティティーに関わるものだから、他人様の文体に対してあーだこーだ意見するのは、他人の人格を踏みにじることになるんだけどなぁ。他人様の人間としての尊厳なんてこと考えないのかしらん。それに対して設問・解答の不備や事実関係の誤りってのは、どっちでも良いって問題じゃないんだけどなぁ・・・。

 まあ、他人に対し厳しい人が自分に対して甘くなるというのは、よくある話ですから、しょーがねーのかなぁ。まさか、公の会議の場なんかで取り上げるわけにもいかないんですよね。某先生に恥をかかせることになるので。そんなことになる前に、教材訂正してくれないもんかしらん。

 などと考えているうちにたちまち一日は過ぎ、こーゆー時は、ちょっと酒でも飲んでから仕事と夕食時にワイン飲んだら、これがまたよく回って、普段の半分も飲まないうちにダウン。ベットでふと横になったら、そのまま明け方になってました。

 んで、明け方のベットの中、朦朧とした意識のもとにアイデアはどこからか降って来ました。そっか、去年使った紫式部の弟を、晴明の九字の秘呪で異空間に飛ばされてきたことにして、また使っちゃおう!

 というわけで、今日は原稿が書けそうです。後は、オチを何とかすりゃ明日には出来上がるであろー。~o~

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2007年9月 1日 (土)

晴明至らず、アイデア出でず、我已んぬるかな

 今日は一日、晴明の降臨を待ったのですが、天文博士安倍晴明殿は姿を見せませんでした。仕方ないので、雑用とその他のデスクワークで一日を過ごしました。んまあ、早い話、本命の仕事に取り掛からず逃避してたと・・・。~o~;;;

 この安倍晴明という人、某夢枕獏という作家さんの『陰陽師』という作品で有名になり、漫画にも映画にもなった人なので、高校生に対する興味付けのネタとして使えそうだと当りをつけたのですが、果たして上手くいくかどうか。もしかすると、獏さんの『陰陽師』に晴明の親友として出てくる源博雅を狂言回しとして登場させた方が上手く行くかしらん。

 実はNZでは、この小説『陰陽師』を資料として読んでいたのですが、こういう作家さんが古典を題材にする時の何時もの習いとは言え、最初はデタラメ多いですねえ。古典の教師が読んでいると、どうしてもディテイルの部分で歯がゆい思いをしてしまいます。

 例えば、小説の最初の頃、博雅はどういうわけか身分の高くない武士ってことになっているのですが、この人、ホントは醍醐天皇の孫で三位という高位まで上る公卿なんですよね。また、晴明の逸話の元ネタとして、『今昔物語集』の名前を頻繁に出すのですが、最初の頃は、この本の名前を『今昔物語』と呼んではばからない。『今昔物語』ってのは、現在では一般に使われている呼称だけど、実は、江戸時代に行われた略称で、正式には『集』を付けなきゃ絶対マズイんです。

 こういうディテイルの誤りは、ある時点から修正されます。多分、作品が世に出て著名になるにつれて、読者から指摘を受けるのか、それともご本人が次回作の構想を練る中で勉強して気づくのか、ちょっと判りませんが、作品の途中から修正されていきます。

 こういうのって、例えば、『源氏物語』の漫画化として有名な大和和紀さんの『あさきゆめみし』なんかでも同様です。『あさき・・』も第一巻は、ほぼデタラメなんですが、途中から原作に忠実になります。

 やっぱり、作家さんでも漫画家さんでも、最初は自分の自由なイマジネーションの広がりに任せて書きなぐっちゃうんでしょうね。それが途中から勉強して、こりゃマズカッタってことになって原典の世界に忠実になっていくんでしょう。獏さんの場合も、最初はイマジネーション任せの話が多いんだけど、途中から、説話に元ネタのある話が多くなっていきます。古典の教師が読んでいて、ああこの話はアレが元ネタだな、と微笑ましくなるような作品が増えていくんですよね。

 そのあたりのことも、出来れば学習雑誌の原稿に盛り込んでみたいんだけど・・・、ちょっと盛り沢山になり過ぎるかなぁ。うーむぅぅ・・・。

 などと悩んでいる暇はなく、明日明後日のうちには書いちまわないと、今度こそ編集者許してくんないよなぁ。~o~;;;;

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2007年3月31日 (土)

感情表現欠乏症の研究その二

 先日、韓国映画『漢河の怪物』を見た時のこと。この映画は、娘を怪物に殺された父親が出てくるのですが、この人が娘の葬式で人目も憚らず泣き喚くんですよ。もう、ちょっと笑っちゃうくらいに。ここまで取り乱す父親、有り得ねーだろー、って思いながら、一方で、韓国なら有り得ることなのかもしれないと思い直しました。日本人では、あの感情表現は有り得ません。でも、あの映画は「有り得ない父親」をテーマとした映画じゃありませんからねえ、韓国なら有り得る範囲なんでしょう。

 あんな時、日本人は悲しみを押さえ込んで表現しないことを美徳としてきました。先日、娘を交通事故でなくした芸能人の父親が、TVカメラに向かって悲しみを堪えてコメントする姿がTVで流れましたが、あれが日本人の父親の姿です。我々の国では、あの姿を見て賞賛する人はいても、異常を感じたり非難する人間はいません。

 全く同様の話が、中世の説話集『十訓抄』には西行法師のこととして出てきます。西行法師がまだ在俗で北面の武士だった頃、可愛がっていた娘に死なれたのですが、その報を同僚の武士達との競射の場で聞いた西行は、少しも様子を変えず、人にも知らせなかったというんです。西行は、このことで同僚の武士から「ありがたき心なり」と賞賛されています。

 この説話の背景には、無論、仏教思想が隠れています。説話中の西行の行動は、「色即是空」「諸行無常」の悟りを得ているからこそのことなのでしょうし、だからこそ西行は、説話中で「ありがたき心」と賞賛されているのです。

 しかし、この説話を『十訓抄』の中に収めた人物は、西行を有り得ないほどの仏教の聖者として扱っているわけではありません。いくつかの「堪忍」の逸話とともに並列して語った後、「これらは理こそ変れども、皆、物に堪へ忍びたるたぐひなり。こころばへもて鎮めぬ人は何事もはなばなしくけしからぬなり」と一般化してしまいます。西行の行動は、仏教思想の枠の中ではなく、「堪忍」という一般的な倫理の枠の中に整理されてしまうのです。 

 早い話、この説話の編者にとっては、この西行の逸話は、仏教説話じゃなく、一般的な美徳の話なんですね。でもね、娘が死んでも全く悲しみを表現しない父親って、世界的に見てどうなんだろ。「感情表現欠乏症」ってことにならないのかしらん。少なくとも、『漢河の怪物』の父親に共感する文化の人達にとっては、西行の話は「美徳」ではなく「異常」と映るんじゃないかしらん。

 閑話休題。感情表現の抑制を、我々の社会が伝統的に美徳としてきたことはどうやら間違いありません。

 しかし、もし「伝統的美徳」が「笑わない教室」の理由だとしたら、教室には以前から笑い声がなかったはずです。ところが、十年前の子供達は、教室でかなり激しく感情表現していました。教室大爆笑なんて、予備校ではごく普通だったんです。いったい何故、現代の子供達の中に「伝統的美徳」は甦ってしまったのでしょう。

 うーん、簡単には答えが出そうもない問題ですねえ。そんなこと考えてる暇に原稿書いてくださいよっ!って言ってきそうな方達が二人、三人・・・。~o~;;

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2007年1月 9日 (火)

知らざるを知るとなす人々Ⅱ

 昨日、学者だからってあてになるわけじゃないって話を書いたついでに思い出したことがあります。

 京都には廬山寺というお寺があって、ここは、紫式部邸宅跡という観光名所になっています。ところが、コレがモノスゴイ話で・・・。

 京都に住むある学者さんが、『源氏物語』中の登場人物「空蝉」は紫式部自身がモデルになってるという仮説を立てました。これは純粋に仮説。そんなこと誰も論証できません。何なら、「空想」と言い換えてもかまわない程度の仮説です。ところが、この学者さん、その「空蝉」が住んでいたのは、作品の記述から考えて、今現在の上京区寺町のあたりだと言い出し、従って紫式部の邸宅は今の廬山寺があるあたりにあったのだと、これまた仮説を立てました。仮説の上に成り立つ仮説ですから、危ないことこの上なく、まあ、ハッキリ言えば完全な「空想」です。専門でマジメに『源氏物語』を研究している人達は誰も相手にしません。

 ところが、この方、京都の平安博物館の館長という立場だったので、シロウトさんに吹きまくっちゃったらしいんですね。自分の「空想」を。それで、今や、京都の観光案内はどうなっているかっていうと、今回、ネットで検索して見つけたのですが・・・

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  上京区寺町通広小路上るにある廬山寺準門跡「紫式部邸宅遺跡」。

紫式部は藤原香子(かおりこ)と呼び、「源氏物語」、「紫式部日記」、「紫式部集」などすべての著書はほとんど、この「紫式部邸宅」で執筆された。

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 オイオイ。すげーなー。~o~ ~O~

 そもそも、京都市街ってのは、応仁の乱で丸焼けになり、当時の貴族の邸宅なんて何一つ残ってないってことぐらい常識で考えて判らないんでしょうかね、この観光案内書いた人わっ。上記の学者さんの「空想」を丸呑みした上に、さらに屋上屋を架すような「空想」の重ねモチ。「すべての著書はほとんど、この『邸宅』で執筆された」って、誰がそんなこと判るんだよー。~o~;;

 おまけに、上記の学者さんのもう一つの「空想」、紫式部の本名の話まで事実として書いてやがんの。

 学問的には、紫式部の本名というのは、まるで判らないということになってます。上記の学者さんが、文献をあさって、「藤原香子」というそれらしい名前を見つけ出してきたのですが、これも、薄弱な根拠しかなく、マトモな学者で信じてる人なんかいません。ところが、この学者さんがシロウトさん相手に吹きまくっちゃうものだから、観光案内は上記のようなことになるし、確か、その仮説で小説書いちゃった小説家さんもいたはず、『香子の恋』とかって。~o~;;;;

 マトモな学者さん達が強く否定しないのは、学問的に否定する材料もない仮説だからです。誰も否定のしようがないんですよ。でも、だからって、肯定する材料は極めて薄弱なんです。単なる「空想」なんでねー。~o~

 まー、学者さんと言っても、いろんな人がいるってことです。ちょうど、予備校屋にもいろんな人がいて、信じちゃいけない人もいるってのと同じこと。人間のやることですから、どんな職種でもあんまり代わり栄えしないってことですね。

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2006年10月13日 (金)

ゆめまぼろしの翻訳論

 村上春樹がノーベル文学賞を取りそこなったそうです。村上さんに関しては、小説もエッセイもほぼ愛読していますが、エッセイの方がどちらかというと好きです。最近は夏のNZへの空の上の暇つぶしに、毎年使わせてもらっていて、今年は『スプートニクの恋人』、去年は『海辺のカフカ』、その前は『シドニー』、その前は、えっと何だっけ・・・。~o~;;

 友人S君も村上ファンで、S君のブログではちょっと村上バナシで盛り上がっています。そこで、文学作品の翻訳は難しい、って話が出て、ちょっと思い出したことがあります。それは谷崎潤一郎の『源氏物語』翻訳の話。

 谷崎は『源氏』を三回訳しています。最初が昭和十四~六年、二回目が昭和二十六~九年、三回目は昭和三十九~四十年にかけて執筆されました。

 最初の所謂旧訳は、不完全なものでした。なにせ、日本が戦争に突入していく時期でしたので、皇統の乱れを扱った『源氏』の出版には、非常にデリケートなタイミングでした。この時代は、『源氏』の研究者の中にも、「私の目の黒いうちは国民に『源氏物語』は読ませない」と豪語する大馬鹿モンがいたというぐらいで、谷崎も自主規制せざるをえず、皇統の乱れを描く部分は発表できませんでした。考えてみれば、馬鹿げた時代です。あらゆる日本の文化的遺産の中でも、最も日本人が世界に誇るべき至宝に抑圧を加えて、いったい何を守ろうとしたというのでしょう。

 近年、「日本の文化に誇りを持て」などという「愛国者」の方がいろいろ本を書いたりしていらっしゃるようですが、こういう事実はご存知なのでしょうか。知らないですよね。そもそも『谷崎源氏』すら本棚の飾りにしてしまう方なのですから(06'2/23「筆者の品格」参照)。

 閑話休題、二回目の所謂新訳は、こうした旧訳の欠陥を補うべく始められました。そして、三回目の所謂新々訳は、谷崎の作品集出版にあたり旧仮名遣いを新仮名遣いに改めることを契機として行われました。この新訳と新々訳は、開始する契機としては、上記の外的な事情だったわけですが、実は、谷崎の内部にも訳を改める動機はあったようです。

 「旧、新、新々の三つの訳文を比較してみると、一番最初の旧訳が一番判りやすい意訳で、新、新々と訳を改めるたびに、文章が直訳調の判り難いものになっていく。どうやら、谷崎は、訳を改めるたびに意訳では表しきれない原文の奥深い表現に気づき、それを表現したいという欲求にかられて直訳調にせずにいられなくなった、だから三回目の新々訳は、三回の訳の中でも、最もわかり難い訳になってしまった。」

 という話を確かどこかで読んだと思うのですが、これをブログに書こうと思って改めていろいろ調べてみるんだけど、何処で見たのか出てこない・・・。この話、授業中に何度もしゃべっちゃってるんだけどね。~o~;;

 まー、三回目の新々訳が、非常にわかり難い文章であることは間違いないんですよ。もう、単独で訳だけ読んでも、何が書いてあるのか判らないくらいに。原文と比較してみてようやく言ってることが判ったりするんですよね(まあ、間違いなく翻訳としては失敗作ですね ~o~)。だから、多分、上記の話は本当なんだと思うんだけど、何処で見たんだっけな~~。まさか見たような気がしただけっていうことは、ないよねえ・・・。~o~;;;;;

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2006年5月29日 (月)

古文解釈の愉悦

 たかが予備校の生徒さんが「新説」を考え出してしまうというのは、信じられないと思う方もいらっしゃるかも知れませんが、実は大いにありえることです。

 まず、古典文学の側の事情。古典文学の注釈書というのは、『源氏』など一部の作品を除けば、実は結構手薄です。そこそこ有名な作品でも、あてになる注釈書は一、二種類しかないということは、それほど珍しくありません。古典文学全集は何通りか出版されていますが、研究者が少ないと同じ著者の手になるものだったりするので、あまり代わり栄えしなかったりします。

 そもそも、研究する側が注釈書を作ることをそれほど重視しません。文学評論のような論文を数多く書くことで、大学への就職の際のポイントを稼ぐことが奨励され、地道な注釈作業は軽視されているんじゃないでしょうか。実は、そちらの方が古典研究の王道のはずなのですが・・・。

 加えて、注釈作業に励む研究者がいても、それを発表する場は限られています。各大学の読書会やゼミなどで、注釈書の手薄な作品の注釈作業が行われていても、発表の場はほとんどないのが現状。だから、注釈書の手薄な作品に関しては、ちょっとその気になって「読み」を入れると、「新説」を打ち出すことが出来るのです。実は、これって、けっこう快感なんですよ。

 ワタシも学生時代、『宇津保物語』という、当時、頼りになる注釈書がほとんどない作品の読書会に参加していましたが、毎週のように「新説」が生まれたものでした。もちろん、無条件に信じられない「新説」もありましたが、コレはスゴい!という画期的な「新説」も数多く出てきました。ワタシ自身、いくつかの「新説」を打ち出したことがあります。コレは快感です。『宇津保物語』は、十世紀末の作品ですから、ざっと千年以上の歴史があります。千年間、誰も気づかなかった「読み」を自分で発見しちゃうわけですから。しかも、『宇津保物語』なんて、海外には研究者がほとんどいないので、日本初はイコール世界初、人類初です。そう考えると気宇壮大。もちろん、「新説」といっても、ある部分の読みに過ぎないので、古典文学史がひっくり返っちゃうようなものではありません。しかし、なんと言っても人類初ですからねえ。~o~

  閑話休題。予備校生が「新説」を打ち出すことのできる、もう一方の理由、それは、単純なことですが、予備校生がその文章に真剣に取り組むからです。しかも、彼らは、注釈書を用いず、純粋に自力で取り組みます。なまじの専門家だと、判らないとなったらまず既存の注釈を見てしまいますが、彼らは、注釈書の存在を知らないし、知っていても実力養成のために自力で訳そうとして文章と格闘します。

 それゆえ、予備校生が持ってくる質問の中には、侮れない「新説」が含まれていたりするんです。もちろん、何年かに一度くらいのことではありますけどね。~o~

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2006年5月27日 (土)

「をる人」をめぐる逍遥

 昨日の「新説」のキモは、「をる人」の捕らえ方にあります。そもそも、「をる人」が何故”家の中にいる人”となるかというと、別に「をる人」に、”家の中にいる人”という固有の意味があるワケではありません。「をる人」は、直訳すれば”いる人”です。副助詞「だに」の働きから推測して、”家の中に”を補って解釈しているのです。つか、それを補わないと解釈できないのです。つまり、所詮、この箇所は、言葉を大きく補わないと理解できない、一種の悪文なのです。 だから、「をる人」をどうとるかには、ある程度、読み手の側に自由裁量の権利というか義務というかが与えられているわけで、早い話が「新説」が生まれやすいのです。

 んで、通説の方、つまり、”家人でさえかぐや姫を簡単に見ることはできない”ととった場合、そんな”家人”とは誰か、を詰めていくとやや苦しいのです。竹取の翁夫婦は、かぐや姫の親がわりですから、かぐや姫を見ることに不自由するはずはありません。また、かぐや姫に仕えているであろう女房達は、かぐや姫と共同生活を送っているはずなので、論外。となると、竹取の翁邸に仕えている下々の召使のような人を考えなきゃならないんだけど、そんなヤツのことがなんでここで話題になるのか、サッパリ判らんのです。この点に関しては、以前から「変だよナ」とは思っていたのですが、なんせ通説の代案が見つからないので、仕方なく通説を教えていました。

 しかし、「新説」の方の読み、つまり、”(男達が)家の中にいる人をさえ簡単に見ることができない”という読み方だと、この「家の中にいる人」は容易に想像がつきます。かぐや姫のお傍に仕えているであろう女房達です。この「新説」の優れた点は、垣間見においては、女房達を見ることも一つの楽しみだったという古典常識に適っていることです。例えば、『源氏物語』において、夕顔宅を垣間見した源氏の従者惟光は、実に楽しそうに夕顔に仕える女房達の様子を語っています。女房達の様子は、そのまま主人である姫君の人間性に直結するからです。

 くわえて、姫君のお傍の女房達を「ある人」などと表現するのは、よくあることです。『蜻蛉日記』などでも、そのような表現がしばしば見られます。女房達は、姫君のお傍にいて当然の人間なので、「ある人(=いる人)」と言えば通じてしまうのでしょう。

 そんなアレコレを考えていくと、どうも、この新説、有力なんですよね~。ただし、質問に来た生徒さん自身は、「をる人」を翁たちだと思っていたようなので、まー、まぐれ当たりに近いんですけどね。(~o~;;; ) でも、まぐれ当たりだってたいしたモンです。 

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2006年5月26日 (金)

負うた子におびやかされ・・・

 昨日、予備校の生徒さんから、授業後、『竹取物語』の次の箇所について質問を受けました。

  「そのあたりの垣にも家の門にも、をる人だにたはやすく見るまじきものを、夜は安きいも寝ず、闇の夜に出でて、穴をくじり、垣間見、まどひあへり。」

 かぐや姫を求める男達が、竹取の翁の家に押しかけるという場面で、通常、諸注釈では、「そのあたりの・・・門にも」の部分を「夜は安き・・・」以下の部分につなげて読み、

 ”(男達は)翁の家のあたりの垣根でも家の門のあたりでも、夜は安らかに寝ることもせず、月のない真っ暗な晩に出かけて、土塀に穴をあけ、覗き見し、皆取り乱している”

という文脈の間に、「をる人だに・・・見るまじきものを」が挟み込まれていると見て、「をる人だに・・・」を、”家の中にいる人でさえかぐや姫を簡単に見ることはできないのに”と解釈し、

 ”(男達は)翁の家のあたりの垣根でも家の門のあたりでも、家人でさえかぐや姫を簡単に見ることはできないのに、夜は安らかに寝ることもせず、月のない真っ暗な晩に出かけて、土塀に穴をあけ、覗き見し、皆取り乱している”

などと訳します。んで、ワタシも授業では、いろいろと説明をした後、この訳をしたのです。ところが、質問というのが、

 「『をる人』が”家の中にいる人”であることは判りました。でも、『をる人だにたはやすく見るまじきものを』を、”(男達が)家の中にいる人をさえ簡単に見ることはできないのに”ととってしまったのですが、それではダメですか」

 「いや、それはねえ・・・」と否定しかけて、あらら、それもありじゃないかと思えてきてしまいました。つか、その方が良さそうに思えてきてしまいました。うーむ、さすが、ウチの予備校の生徒。もしかして、コレは立派な「読み」かもしれません。「うーん、君の読み方も有り得そうだねえ」と言ってその子を帰しました。

 実際、最新の注釈書を調べてないので、判りませんが、手元の二、三の注釈を見る限り、この「読み」は有力な新説かもしれません。詳しい話は、また明日にでも。

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2006年3月17日 (金)

K先生の伝説

 『源氏』好きと言えば、思い出すのはK先生のことです。K先生は、ウチにいらっしゃった名物講師で、ワタシも浪人時代に教わっていました。古文に対して非常にマジメな方で、古文一直線、世俗の雑事には一切関わりたくありませんという感じのお爺さんでした。ですから、昔の生徒さんには妙に尊敬されていたのですが、この方が大変な『源氏』好きで、こんな伝説が残っています。

 『源氏』は随所に玄人を唸らせるような名文が散りばめられています。ワタシなどでさえ、たまさか『源氏』を読み返すと、「うーむmmm・・・」と唸ってしまうのですが、或る時、K先生の授業で、その日の教材が『源氏』の、しかも名文の箇所だったんだそうです。教室へ入ってきたK先生、教材を開く時から、「今日は源氏ですなあ」ともう嬉しそう。まず、朗々とした声で教材を朗読なさったK先生、読み終わって、「う~~~む、いいですなあ~~」と、感極まって授業をせずにそのまま帰ってしまいました・・・。

 ってんですが、ホントなんですかねえ。~o~

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