2023年9月19日 (火)

旅の業平イタリアン

 日曜日は、スカイツリーの日でした。

 何日か前から、この日にお義父さんお義母さんを誘ってどこかへ行こうと言う話になっていました。茨城に近い東東京で、昼食を取った後、どこかへ行きましょう、スカイツリーは行ったことないからどうかしら。

 というYの発案で、昼前にとうきょうスカイツリー駅にY一族が集結。駅を出て歩き出したら、あら、ここって業平なんだ。ほらっ業平橋だよ。

 数週間前に、学園祭の準備をする娘(仮称ケミ)に平安鎌倉時代の旅の名所を聞かれて、「在原業平って人に東下りっていう伝説があって、そこに出て来る地名が平安鎌倉の紀行文では観光名所ってことになってる。八橋とか宇津の山とか隅田川とか。隅田川近くには今も業平橋って地名がある」と答えたばかりでした。

 そうか、スカイツリーって業平にあったんだ。

2023091711290000

 スカイツリー下のイタリアン「パラッツォ・サングスト」で昼食を取りました。前菜とパスタピッツァとデザートのランチセット。

2023091712110001

 ケミさんはタリアテッレ・ボローニャ風。

2023091712110000

 左フジッリ燻製サーモンとブロッコリーのトマトソース。右はタリアテッレ・和牛とポルチーニのラグー。フジッリは美味しかったけど、量があるので、ちと面倒。

 2023091712390000

 左ヤリイカとチェリートマトのピッツァ。右はフリアリエッリというイタリア産菜の花のピッツァ。ケミさんにはヤリイカが大好評でした。

2023091713340000

 デザートの盛り合わせには花火がついてました。SNS映えですかね。皿右側に並ぶシチリア菓子のカンノーロはちょっと油っぽいけどパリパリして美味。

 ビールとワインで盛り上がって、ここまでは大変シアワセな日曜だったのですが…。~o~;;

| | コメント (0)

2023年9月 9日 (土)

ほととぎすやら呼子鳥やら~『源氏物語』に関する些細なこと23

 久々に『源氏』です。

 「明石」巻の中ほど、明石入道に娘とのことをほのめかされた源氏が、入道の娘、明石の君に懸想文を送る場面です。

「えならずひきつくろひて、

  『をちこちも知らぬ雲居にながめわびかすめし宿の梢をぞとふ

 思ふには』とばかりやありけん」

 この本文に対して、『小学館 新編日本古典文学全集』は次のような訳文を付します。

 「えも言はれず念入りに趣向をととのえて、

  『どちらとも分からない旅の空に目をやり、物思いに沈んでは、ほのかにお噂にうかがった宿の梢を霞のかなたにおたずねするのです

 あなたをお慕いする心に、こらえきれなくなりました』とぐらいのことがしたためられてあっただろうか」

 この時、季節は初夏のはずなので、「霞のかなた」は明らかな錯誤ですが、それ以外にもいくつか理解しにくい点があります。求愛の歌のはずなのに、何故、「をちこちも知らぬ雲居」と歌い出すのか、何故、「宿の梢をとふ」のか。

 もともと、この歌は、懸想文としては少し変わった歌と考えられているようで、『玉上琢彌 源氏物語評釈』でも「たいへんおとなしい懸想文である」などと評されたり、「気の無いなげやりなうた」(「うたの挫折」藤井貞和)と貶められたりする歌です。

 「光源氏を鳥に比したものとすれば一層理解しやすい」(「光源氏の『すき』と『うた』」)と、自分を鳥になずらえた歌という考えを打ち出したのは恐らく小町谷照彦学芸大名誉教授あたりで、岩波書店の新日本古典文学全集や岩波文庫もそれを受け継いでいます。

 しかし、何故、鳥なんでしょう。

 この日は四月の夕月夜ですから、多分、四月上旬です。少し時期が早いのですが、時鳥はあり得なくありません。時鳥は恋慕の情を搔き立てるものとして「時鳥初声聞けばあぢきなく主さだまらぬ恋せらるはた」(『古今集』 夏 一四三)のようにも詠まれるので、適当な古歌でもあれば、それで決定なのですが、その古歌が見当たらず、古注釈にも引き歌の指摘がありません。

 うーーむ。

 しかし、時鳥と限らなければあります。「をちこちも知らぬ」には、「をちこちのたづきも知らぬ山中におぼつかなくも呼子鳥かな」(『古今集』春上 二九)がピッタリ。

 どちらともわからない山中で頼りなく鳴く呼子鳥に、現在の自分の旅の憂愁を重ね、鳥が宿の梢をかすめ飛ぶように、あなたの家を訪れるのですと詠っていると考えれば、まあ、わからなくもありません。

 でも、何故「呼子鳥」なんだか。

 それに、相変わらず「気の無いなげやり」だし。

| | コメント (0)

2023年7月 6日 (木)

都の戌亥馬と鹿

 昨日の続きです。

 「辰巳だから動物つながりで『鹿』」という考え方は、実は、娘(仮称ケミ)の中学校の先生のオリジナルの思いつきではありません。あまり多数派の考え方ではなさそうですが、それでも、『角川ソフィア文庫 古今和歌集』(高田祐彦訳注)には、「しか」の所に「『鹿』の連想もあるか。辰-巳-午というつながりから鹿への連想が及ぶ。鹿の鳴き声は秋のもの悲しさを代表するもので、下句の『憂し』ともつながる」と注が施されています。

 青学の高田祐彦教授はいまやこの道の権威だし、マトモな学者さんですからねえ。多分、ケミさんの中学の先生も、どこかでこの高田説を見たのかと思います。

 んで、ワタシが思いついた「突拍子もないこと」なのですが、「辰-巳-午」となるべきところを、「辰-巳-鹿」と言っているということは、「馬」と言いそうなところを「鹿」と言ったということで、これは、もしや、『史記』巻六「秦始皇本紀」の趙高のエピソードを踏まえていやしないかということです。

 丞相となった趙高が群臣を試すために二世皇帝の前で「鹿」を馬だと言い張り、趙高に反対して「鹿だ」と言った者を罰したというエピソードは、平安京の貴顕の間でも人口に膾炙していたと見えて、『源氏物語』「須磨」では弘徽殿太后がこれを口にしていますし、『拾遺集』にも贈答歌があります。

 「鹿」を「馬」という者とは阿諛追従する者のことであり、「鹿」が「鹿」と呼ばれるということは権勢に阿る者がいない清廉な土地ということになります。

 この文脈を喜撰歌の解釈に当てはめると、「私の庵は都の辰巳にあり、鹿が鹿と呼ばれる土地で阿諛追従する者に交わることなく、そのように清廉に暮らしています。それなのに、私がこの世をつらいと思って住んでいる宇治山だと人は言っているようです」くらいになるんですが…。

 これだと、「しか」という指示語を無理に「このように」と近称で取らなくても良くなるので、そういう点でも悪くなさそう。『古今集』真名序で紀淑望が「宇治山の僧喜撰は、その詞華麗」と言っているのは、もしやこういうところを褒めているのかも…、

 とそんな気が一旦はしたのですが、でも、高田先生に申し上げたら、「うーーん、面白いけどねえ…、考え過ぎ!」と爽やかに笑い飛ばされそうです。

| | コメント (0)

2023年7月 5日 (水)

都の戌亥鳩の隣

 最近、どういうわけか、隣の家に山鳩が住んでいます。

 隣は、同じ〇〇村の家なので我が家の猫の額と同じ程度の庭があるのですが、気付いてみたら、そこに生えている木に山鳩が巣を作って産卵していたと。

 適度に田舎の小金井にしても、ずいぶんとノンビリした話です。書斎の窓から、こんなものが見え↓、「デッデーポッポー」と求愛の声が聞こえます。

Img_06491

 その鳩とは関係なく、一学期の受験生の授業が昨日無事終了しました。なんとか、カタルシス。

 しかし、高1高2はまだ続きます。

 さらにそれとは関係なく娘(仮称ケミ)は定期テスト真っ最中です。先日は、夕食中に、「わがいほは~」といきなり言い出しました。

 「古典」で百人一首をやっていて、喜撰法師が試験範囲らしいです。驚いたことに、故S先生御執筆の本↓を使ってたりします。

2023070514090000

 「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と人はいふなり」に対して、

 「私の庵は都の東南にあって、このように心のどかに暮らしている。だのに、私がこの世をつらいと思って逃れ住んでいる宇治山だと世間の人は言っているようだ。」という訳が付されています。

 この歌は、『古今和歌集』 巻十八 雑下にも収められていて、実は、解釈に諸説ある歌です。

 ➀「しか」の部分に「然」と「鹿」という掛詞を認めるか否か。

 ②「しかぞすむ」を「このように心のどかに住んでいる」と取るか、「そのように憂き世の中に堪えつつ住んでいる」と取るか。

 おおむね、この二点で解釈が分かれます。故S先生の御本は、➀の掛詞を認めず、②は前者で取っています。おそらく、現代の諸注釈の大半がこの解釈をしているのではないでしょうか。

 ケミさんの中学の先生も、おおむねこれに従っているらしいのですが、「『辰巳』だから、動物つながりで『鹿』なんだって」と言い出しました。

 おや、変ったことを言い出したと思ったのですが、そこで突然、突拍子もないことを思いついてしまいました。

 長くなるので、続きはまた明日。

| | コメント (0)

2023年6月29日 (木)

教科書NG~大人だましの和歌解釈

 昨日今日とお休みです。 昨年もあった六月末の偽ゴールデンウィークです。それで、ちょっと真面目な古文のお話を書く気になりました。

 新学習指導要領とやらに基づく新しい高校の教科書が校舎に置いてあり、先日、それを拝見してみて、ちょっと黙っていられなくなりました。

 第一学習社さんの「言語文化」の教科書に、歌人俵万智さんの文章が掲載されていました。「古典の和歌を現代の言葉で書き換える」というタイトルで、古典の和歌を現代語訳する苦労が書かれています。

 内容的にはナルホドそうでしょうねえと頷かされる点が多く含まれています。

 「たった三十一文字の中に、いかに豊かな内容を盛り込もうかと、歌人たちは苦労してきた。…和歌は、散文とは比べものにならないほど、密度の濃い言葉の集約となっている。それを、わかりやすく読み解き、現代の散文で読みほぐしてゆけば、長くなるのは当然のことではある。」

 これはよく解ります。我々も古代和歌を訳す際には、そういう苦労をしています

 しかし、ここから、筆者は現代歌人特有の妙な主張をしだします。

 「が、その結果、もとの歌が持っていた韻律の美しさが失われてしまうことの、もったいなさ。…本来のリズムを、訳に生かせないものだろうか、と思った。リズムだって、作品のうちなのだから。」

 それで、『伊勢物語』の中学生向け現代語訳の仕事の中でそれを実践してみたというのですが、それが、どうも、ねえ。

 筆者は三首の歌をその例としてあげています。その第一首目。

 「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」

 「おなじ月おなじ春ではなくなっておなじ心の我だけがいる」

 この和歌、十年ほど以前にこのブログで取り上げたことがあります。反語説疑問説が並び立って結論を見ない難解な名歌です。

 ここでは、反語説疑問説云々は問わないことにします。また、元々の和歌が内包している「意味」の部分は、筆者本人か「省略せざるを得ない」と言っているので、ひとまずそれも良しとしましょう。

 しかし、この訳で「韻律の美しさ」が守られていると本気でこの方は思っていらっしゃるのでしょうか。

 これは明らかに韻律を守った訳ではなく、「音の数合わせ」です。

 元歌の「月やあらぬ」「春や昔の春ならぬ」と対句的に韻を踏んで畳みかけて行く切迫感、それと対照されてポツンと置かれた「わが身ひとつは…」の崩れていく韻律の悲しみはありません。

 そりゃ、この人の歌にだって、「おなじ月おなじ春」「おなじ心」と繰り返すリズムはあります。でも、それって元歌のリズムを守ったのではなく、この人の作り出したリズムでしょ。よくある万智ちゃんリズムです。簡単に言えば、この人の創作です。

 要は、この人の「訳」は、伊勢物語の名歌にインスパイアされた現代歌人の創作です。訳なんかではありません。

 しかし、この「訳」が中学生対象の仕事の中で行われている分には、ワタシは文句を言いません。俵さんの短歌が、『伊勢物語』という中学生には取っつきにくい古典に入門するための親しみやすい翻案作品として扱われている分には、何ら文句を言う筋合いではありません。

 また、これが純粋に現代短歌の創作のページだとしたら、それもまた、文句を言う筋合いではありません。

 しかし、この文章には何度も「現代語訳」と書いてあります。古代和歌の現代語訳として、この人の「訳」は扱われているわけです。

 コレは高校向けの教科書で、高校生は古典文法を学んでいるはずなのに。古典文法に従って訳して行けば、この筆者の放棄した「意味」だって十全に理解できるはずなのに。

 この教科書の一番困る事は、筆者がこの文章を、「読者や、研究者の先生方から評判がとてもよく、努力が報われた思いだった。」と自画自賛で結び、それを受けるかのように、「活動の手引き」とやらで、「筆者の作例を参考にしながら、自分のイメージと言葉で歌を書き換えて発表し合おう」などと、この作者の「訳」をなぞるように指導している点です。

 まあ、もちろん、実際に高校生の皆さんが俵さんの「訳」をなぞって自由な「訳」を創作するようになるとは、さすがのワタシも思いません。だって、この俵流の「音数合わせ」は、それなりに高度な現代語遊びであり、簡単に真似できるものではないでしょうから。

 だから、高校生のことを心配しているのではありません。そうではなく、心配の対象は大人の高校の先生方です。

 実際に授業される高校の先生方が、「現代語訳」と「創作」をしっかり区別して授業してくれる方ばかりなら良いのですが…、そうはなりませんよねえ、きっと。

 高校の教室で、この「訳」が古代和歌の理想的な現代語訳の一つとして語られるようなことにならなきゃ良いんですがね。

 それにしても、この「訳」を称賛した「研究者の先生方」ってのは、どこにいやがる〇鹿野郎なんだかね。

| | コメント (2)

2023年4月27日 (木)

祈りと「と」の兼ね合い~『源氏物語』に関する些細なこと22の下

 まず、「この世の犯しかと」と「と」の入った本文が優勢だという前提に立つとします。

 「と」の入った本文をとる『新編全集』『集成』はいずれも、「と」のつながっていく先を特に示していません。示していないということは、直後の「神明明らかにましまさば」以下につなげて読まなければならないのですが、訳文を読んでもこれはつながりません。

 唯一『旧大系』だけが「と」の先を示しているのですが、後の諸注釈がこれを踏襲しなかったのは、「と(源氏の君は憂えなさる)」という省略を想定し、大きな補いをしなければならないからだと思われます。

 「と」の先が「と」以下に明示されておらず、省略でもないとすれば…。

 倒置しかないでしょう。少し前の「天地ことわりたまへ」がピッタリです。『新編全集』の訳文で考えると、「天地の神々も理非を明らかにしてくだされ。…そのうえかくも悲しいめにあい、お命も尽きようとするのは、前世の報いか、今生に犯した罪のためか」を倒置させて、「そのうえかくも悲しいめにあい、命も尽きようとするのは、前世の報いか、今生に犯した罪のためかと、天地の神々も理非を明らかにしてくだされ」となります。

 このように考えた時の利点は、「そのうえかくも」以下の敬語の欠けた部分を、「天地の神々」の視点に寄り添う記述と見ることで、敬語の不一致を説明し得るかもしれないところです。

 また、「と」が「神明明らかに…」以下につながっていかないとすると、「と」までを供人の会話文とし、「神明明らかに…愁へやすめたまへ」を源氏の会話文として括る事によって、「御社の方に…願を立てたまふ」の「たまふ」を単に源氏への敬語として処理することで、敬語の説明が容易になります。

 訳文としては、このようになると思います。

「叫び声を合わせて仏神を祈り申し上げます。『源氏の君は、帝王の宮殿奥深くに養われなさって、(中略)今、何の報いを受けておびたたしい波風に溺れなさるのでしょうか。天地の神よ、どちらなのか明らかになさってください。源氏の君は、罪がなくて罪に当たり、官位を取られ家を離れ、都との国境を去って、朝晩心穏やかな時もなくお嘆きになっていますのに、こんな悲しい目まで見て、命尽きてしまおうとするのは、前世の因果の報いなのか、この世での罪の犯しなのかと。』君も『神仏よ、明らかでいらっしゃるならば、この嘆きを安らかになさってください』と住吉の御社の方向に向いて様々な願をお立てになります。」

 これで何とかなっている気がするんですが、どうですかねえ。

| | コメント (0)

2023年4月26日 (水)

祈りと「と」の兼ね合い~『源氏物語』に関する些細なこと22の上

 久々に『源氏』です。

 「明石」の巻冒頭近く、須磨巻末から続く嵐の中で供人達は源氏のために仏神に祈りを捧げます。小学館『新編日本古典文学全集』は本文を次のように作っています。

 「もろ声に仏神を念じたてまつる。『帝王の深き宮に養はれたまひて、(中略)今何の報いにか、ここら横さまなる波風にはおぼほれたまはむ。天地ことわりたまへ。罪なくて罪に当たり、官位をとられ、家を離れ、境を去りて、明け暮れやすき空なく嘆きたまふに、かく悲しき目をさへ見、命尽きなんとするは、前の世の報いか、この世の犯しか、神仏明らかにましまさば、この愁へやすめたまへ』と、御社の方に向きてさまざまの願を立てたまふ。」

 これに対して、『新編全集』では、このような訳をつけています。

 「いっせいに仏神をお祈り申し上げる。『君は帝王の奥深い宮に養われあそばして、(中略)いま何の報いによってかくもおびただしく非道な波風に君が沈淪していらっしゃるのでしょうか。天地の神々も理非を明らかにしてくだされ。罪もなくて罪科を問われ、官位を奪われ、家を離れ都を去って、明け暮れ安らぐことなくお嘆きでいらっしゃるのに、そのうえかくも悲しいめにあい、お命も尽きようとするのは、前世の報いか、今生に犯した罪のためか、神仏がご照覧あそばすものならば、このご悲嘆をおなくしくだされ』と、住吉の御社の方角に向かって、さまざまの願をお立てになる。」

 この一節は、近代の諸注釈書で敬語の不一致を指摘されている箇所です。上記『新編全集』では頭注に、「後半部『かく悲しき目を』以下は源氏に対する敬語がなく、源氏自らの訴えのようにも読める」とあります。

 この敬語の不一致に対して、『岩波古典大系』頭注は、「『前世の罪の応報か、現世に犯した罪によるものか』と(源氏の君は憂えなさる)」のように「と」の下に源氏の心情である旨の補いをして解決しようとします。

 一方、『玉上琢彌源氏物語評釈』は、「この世の犯しかと」の部分で「と」のない本文を採用し、「祈りはまず光る源氏によって口火をきられている。その祈りの声がうちひしがれたおつきの者たちの勇気をふるいおこし、やがて神への合唱となる。つまり、ここには、誰が唱えたのであり、誰がその祈りをうけとめている、といった一々の細かい差別はないのではなかろうか。(中略)祈ったのは、光源氏とその従者たちという事になる」と祈りの言葉を主従の合唱として処理します。

 『岩波文庫』も『玉上評釈』と同様の態度を取ります。『新潮古典集成』は、「この世の犯しかと」の本文を作りながら、「源氏もともに和した趣」という頭注を付し、この合唱説に与しています。

 諸注釈の意見が割れているのですが、どれもスッキリとした説明ではないように思います。ワタシも解釈に窮したのですが、悩んだ末にもしかしたらという解決策を一つ思いつきました。長くなるので、続きは明日。

| | コメント (0)

2023年1月26日 (木)

予備校ならアタリマエ?~『源氏物語』に関する些細なこと21

 今日は午前立川で質問待機、夜は池袋で高校生です。まあ、この季節の仕事はこんなものです。

 んで、『源氏』です。「須磨」巻巻末近く、源氏が須磨のわび住まいを嘆く場面です。

 「所につけて、よろづのことさま変り、見たまへ知らぬ下人の上をも、見たまひならはぬ御心地に、めざましう、かたじけなうみづから思さる」

 この一文に対して、『新編日本古典文学全集』は次のような訳をつけています。

 「土地がらとて万事都とは様子が一変して、今まで君のことなどまるで存じあげようもない下人のことをも、これまでご経験にはならなかったことなので、ぶしつけにお感じになり、また我ながら不面目なといった気がせずにはいらっしゃれない」

 これに対して、頭注には「『たまへ』は謙譲「給ふ」(下二段)で、意通じがたい。「たまひ」(尊敬・四段)の誤りか。源氏のことなどまるで理解も同情もない下人」とあります。

 近代の諸注釈、『旧古典文学大系』『玉上琢弥 源氏物語評釈』『新潮古典集成』『旧日本古典文学全集』『新日本古典文学大系』『岩波文庫』にも、ほぼ同様の記述が見られます。

 一番詳しいのは、『玉上評釈』で、

 「下二段活用の『たまふ』は、話し手自卑である。ここには合わない。しかし、『見たまひ知らぬ』の誤りとして、源氏がご理解なさらない下人の意とすると、すぐ下に『見たまひならはぬ御こゝち』とあるのと重複する感がある。下二段活用の『たまふ』は話し手自卑ではあるが、聞き手よりも話し手の方に近いとする場合に用いないでもない。そう解すれば、ここのところも語り手の女房が、源氏に対して自分を『下人』に近いと卑下して、源氏を『見たまへ知らぬ』、源氏を見ても理解できない下人と言ったのだ、と考えることもできようか」

と説明しています。

 でも、コレ、予備校屋的には全くあり得ない説明です。「下二段活用の『給ふ』は、謙譲語だが対者敬語で話者がヘリ下って畏まり対者への敬意を表す敬語で、主語は『私』で、訳は『ですます』調になる」と我々は説明しています。コレ、予備校じゃ普通の説明。

 だから、この「見たまへ知らぬ下人」は、予備校的には、「私が見知っておりません下人」と訳さねばなりません。

 ということはどういうことか、と考えてみると、『源氏物語』はある女房が語ったという体裁を取っていますので、ここは語り手の女房が顔を出して「私程度の者も見知る事がございませんような下人」と自らの身分を卑下しつつ語ったということになります。

 前掲の一文全体としては、

 「場所につけて、万事様変わりして、私程度の者も見知る事がございませんような下人の身の上をも、源氏の君は御覧になり、慣れないお気持ちで、『目に余ることだ。もったいないことだ』とご自分のことながらお思いにならずにいられません。」

 くらいの訳でピッタリです。

 繰り返しますが、コレ予備校的には当たり前の訳です。模試で出題したら、受験生だって(最上位層なら)こう答えるはずです。

 どうして諸碩学の皆さん、コレが出てこなかったんでしょう。不思議です。

 察するに、昭和4~50年くらいまでは、謙譲語=主体が客体に対してへりくだる表現、と多くの学者さんが考えていたために誤ったのではないかと思われます。

 しかし、今や敬語の認識は改まっているはずなので、少なくとも平成以降に出版された『新大系』『新全集』『岩波文庫』あたりは解釈を刷新していなければならなかったはずなのに…。

 うーーん。

| | コメント (0)

2023年1月21日 (土)

+フレイバーと師説再び~『源氏物語』に関する些細なこと20

 昨日、共テ後授業が終わりました。これで今年度の受験生の授業は来週の某W大対策を残すのみ。なんだか、スッキリ爽やかな気分です。

 昨日から我が家では、どういうわけかタンタライジングフレーバーという言葉が流行っています。もともと調味塩の入れ物に書いてあった英語なのですが、娘(仮称ケミ)が面白がっていろんなところに使っています。

 んで、このケーキにも。

Img_04931

 Yのアップルケーキの新作です。紅茶入りなのだとか。これはかなり傑作で食欲をそそる香りがします。

 さて、それと関係なく「些細なこと」です。

 「空蝉」の巻冒頭。方違えで泊った紀伊守の家の人妻「空蝉」と逢瀬を持ってしまった源氏は、再び紀伊守の家を訪れ空蝉に迫ろうとしますが、察知した空蝉に渡殿へ逃げ出され、和歌の贈答のみで夜深く源氏が帰宅した直後の、空蝉の心情を語る一節です。

 「やがてつれなくてやみたまひなましかば、うからまし、しひていとほしき御ふるまひの絶えざらむもうたてあるべし、よきほどにて、かくて閉ぢめてん」

 この本文に対して、『新編日本古典文学全集』は、次のような現代語訳を付します。

 「もしこのまま、何事もなくそれきりになってしまうのだったら、恨めしいことだろうに、かといって、むりやり無体ななさり方がこれからも続くのであったら、これも情けないことだろう、いいかげんなところで、こうしてきまりをつけてしまおう」

 これのどこが「些細なこと」かというと、「やがて…やみたまひなましかば、うからまし」を「このまま何事もなく」と訳していることです。この「やがて…ましかば」は、反実仮想の仮定条件なのですから、「これから先、このまま現状が変わらなかったら」という訳にはならないはず。これは明らかに文法を無視した訳です。

 この「このまま」説は、『島津久基 源氏物語講話』『旧日本古典大系』『玉上琢弥 源氏物語評釈』『完訳日本の古典』『新日本古典文学大系』『岩波文庫』など近代の諸注釈に共通して見られるものです。例の文豪もこれに追従し、円地瀬戸内両訳も同様。

 近代の主な注釈書でこれに異を唱えるのは、唯一『新潮日本古典集成』の石田清水の両先生。頭注の「あのまま音沙汰なしでおやめになってしまったら、つらい思いをしていることだろう」は反実仮想の訳と思われます。こりゃ『集成』一人勝ちか。

 と思われたのですが、『旧日本古典文学全集』の頭注に、「そのまま。最初のときに逢ったきりで。」「『ましかば…まし』は事実に反することを仮定する。」を発見してしまいました。故A先生!。

 『旧全集』も現代語訳は「このまま」ですから、訳担当の故I先生と頭注担当の故A先生の間で意見が割れたのでしょう。昨年三月の「須磨」冒頭の時と同じ事情と推測されます。

 反実仮想を強調して訳すとこんな感じになります。

 「もし、あの最初の夜のまま何事もなく私との関わりを終えておしまいになったならば、情けなかっただろうに。でも、無理やりのお気の毒な御振舞が絶えないとしたら、それも嫌なことに違いない。適当なところでこのまま終らせてしまったら良い」

 この訳だと、空蝉は、「これから先、このまま源氏が言い寄って来なかったら恨めしい」と思ったのではなく、「最初のときに逢ったきりでそのまま何事もなかったら、情けなかったろうに、再び訪ねて来てくれて一夜だけの女にならずに済んだことは良かった」と思ったことになります。

 コレ、かなり違った読みになると思います。つまり、空蝉は、源氏二度目の訪問を、拒否しつつも内心ひそかに喜んでいたということになるのです。

| | コメント (0)

2023年1月18日 (水)

旅の空なる謎かけ歌~『源氏物語』に関する些細なこと19

 久々にデスクワークもないゆったりとした日々なので、久々にゆったりと『源氏』です。

 「須磨」の巻の源氏の憂愁の日々を描く場面には、源氏と臣下の者達との四首の唱和歌が出て来ます。こういう男達の唱和は『うつほ』だといくらでも出て来るのですが、『源氏』では多分ここだけです。『源氏』では省筆しちゃうから。

 その一首目の源氏の歌が今回の些細なことです。『新編日本古典文学全集』では

 「初雁は恋しき人のつらなれやたびのそらとぶ声の悲しき」

このように作られた本文に対して、

 「初雁は都にいる恋しい人の同じ仲間なのかしら、旅の空を飛ぶ声が悲しく聞こえてくる」

という訳がついています。

 コレ、変です。

 「AはBなれや~」は、類例の多くあるパターン化した詠み方で、例えば、『古今集』恋二の小野美材の歌などがそれです。

 「わが恋はみ山がくれの草なれやしげさまされど知る人のなき(私の恋は深い山に隠れた草であろうか、繁茂が増そうと思いが増さろうと知ってくれる人はいない)」

 まったく縁の無さそうに見えるAとBについて同じものだと謎を掛けておき、下の句(~)でその同一性を明らかにする一種の謎かけの歌です。

 この源氏の歌の場合も、「初雁」と「恋しき人」が同じものだと謎を掛けているのですから、下の句は両者の同一性が詠われなければならないはずです。しかし、「初雁」は「旅の空」を飛んで鳴き声をあげるでしょうが、「恋しき人」は「旅の空」を飛んだりしません。「恋しき人」は都にいて「旅の空」にあるのは自分なのですから。

 この奇妙な解釈は、『旧日本古典文学大系』『玉上琢弥 源氏物語評釈』『旧日本古典文学全集』『新潮社日本古典集成』などにも共通して見られます。

 『新日本古典文学大系』と『岩波文庫』は、この点を何とかしようとしたのか、「恋しき人」の解釈を工夫して、この和歌の直前にある「古里の女恋しき人々」という記述を承けて「故郷を恋しく思う者」の意だと取りますが、地の文の表現を源氏の和歌が承けるというのでは、いかにも苦しい解釈と言わざるを得ません。源氏の和歌の中で「恋しき人」とあれば「源氏自身が恋しく思っている人」と取るのが自然です。

 また、古注釈でもこの解決策は発見できませんでした。こういう時に不思議な力を発揮する文豪も、今回は注釈書に追随するばかり。

 ちょっと困ったのですが、予備校の教室で自分が教えたことを思い出しました。「和歌解釈のつながりが悪かったら、掛詞を疑え」。

 本文を「たびのそらとぶ声」と作ってしまうから気づきにくいのですが、「旅の空とふ声」なら明らかでした。

 つまり、「問ふ=飛ぶ」の掛詞で、「旅の空問ふ声の悲しき(旅の空にある自分を見舞ってくれる声が悲しい)」と「旅の空飛ぶ声の悲しき(旅の空を飛んでいる初雁の声が悲しい)」の二重の文脈で「初雁」と「恋しき人」が同じものだという謎かけの「心」を詠っていると解すれば良かったのです。

 こういう掛詞の類には敏感な古注釈が気づいていなかったのは、「問ふ=飛ぶ」の掛詞の類例がないからかもしれません。

 一首の解釈は、

 「初雁は都にいる恋しい人の仲間なのだろうか。初雁が旅の空を飛んでいる声が悲しいように、旅の空にある私を見舞ってくれる声は悲しいのだ」

 くらいになるでしょう。スッキリしてます。多分、源氏研究の歴史800年の間誰も気づかなかった「正解」です。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧