2024年12月21日 (土)

師走を軽く切り分けアレコレ

 ワタシの冬期講習が本格的に始まりました。立川で、中堅私立向け講座と某共テ対策。

 正直、共テ対策は気が重いです。またまた新課程とやらで国語の出題設定が変わるので、どうなるか細かいことは誰も予測がついていません。

 こういう状態で何か役に立つことを教えなきゃいけないと思うと…。

 正直に責任あることは言えないということを断って、出来る範囲の話をアレコレとしました。

 それにしても、某文科省の役人というヤツラは、多数の子供達の不幸について何も想像できないんでしょうか。試験制度をホイホイ変えると子供たち一人一人に何が起こるか想像する想像力が全く欠如しています。

 そういうことを想像できないヤツ、役人やめろよ。

 などと愚痴を言っても仕方ないので、講習は粛々と進めました。

 一方、娘(仮称ケミ)は、順調にTRしている模様。今年は北海道も積雪十分。楽しそうではあるのですが、送られてきた動画を見る範囲では、「もうちょっとチャレンジしたらどうなんだ」などと、夕餉の夫婦のグチの種になってます。

 さらに、昨日はYが、「新しいGS板を試したい」と言い出して、みつまたへ単独行。

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 積雪十分。みつまたにポールを張ってTRでした。

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 いい感じですね。Yは、はっちゃけて青あざ作ってきました。

 Yがはじけている間に、ワタシの方は授業と、溜まっていた大河ドラマの録画を二週分消化。

 中宮が『源氏物語』三十三帖を書写した草子を一条帝に献上し、一条帝が諸臣の前で読み上げ会をやる…というトンデモない話が出てきて、イヤハヤ。

 三十三帖というのは「藤裏葉」巻までの第一部を指すのでしょうから、まあこれは良いとして、物語って、あんな公の場で読み上げるほどおエライものじゃないんだが、ねえ。~o~;;

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2024年10月27日 (日)

花雪とウェイリーの日々

 金曜日に、ウェイリー版源氏二冊を購入してきました。

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 一目見ての感想。文庫本で重版!うらやましー。

 でも、こんな本が売れるというのは、本当は古典教師としては敗北なのです。だって、興味はあるけど原文が読めない人がそれだけいるってことでしょうからねえ。

 中身の細かいことはここでは触れませんが、ちょっと読んでみて、なるほど粗筋はお見事にトレースしているようです。百年前、独学のイギリス人、湖月抄による翻訳、と考えあわせるとこれだけの分量の古文をおよそ正しく英訳するというのは奇跡そのものの作業です。

 でも、正直言って、原文の輝きは皆無。ダイヤモンドを象ったすりガラスの玩具です。

 でも、「感情の優雅さと純粋な言葉の巧みさのどれだけが紫式部(レディ・ムラサキ)のもので、どれだけ翻訳者のものかわからない」などとも評されるようですから、英語的に美しい文章なのかもしれません。

 ダイヤモンドを象ったルビーくらいには輝いているんでしょうか。

 この日、仕事から帰ってみると、ミュージックセキュリティーズさんで出資している熊本県河津酒造さんから出資者特典のお酒が送られてきていました。

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 立派な箱入りの純米吟醸「花雪」です。

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 戻りガツオと合わせてみました。日本酒度-20、酸度2.2。久しぶりに甘酸っぱ系の数字です。「帰山」並かよ。

 と思ったのですが、全然そんなことはなく、甘いは甘いのですが非常に品の良い甘さです。酸度の高さは微妙な刺激として見え隠れする程度。非常に飲みやすいです。

 多分、この酒で量は飲めないと思いますが、食前酒として少量なら最高じゃないでしょうか。いやー、こりゃ良い酒だ。

 んで、これを少量の食前酒として、他にアレコレ…で最後はYに叱られたと。~o~;;;

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2024年10月24日 (木)

国民とウェイリーの日

 昨日は、仕事がお休みの日で、選挙の投票券が来ていたので、Yと一緒に国民の義務を果たしに行ってきました。

 今回は珍しく、最高裁の国民審査の記事も読んで行きました。まあ、特に気になることもありませんでしたが…。

 娘(仮称ケミ)は定期テスト二日目でした。九月に欠席が多かったので、我々も本人も今回の試験には期待していないのですが、その割には善戦している模様。

 夕食後、娘が試験勉強のために自室に上がった後も我々は晩酌タイムだったのですが、ここんところ、よく肴になる源氏バナシになりました。Yは、今現在「若紫」なのですが、ちょっとずつ面白くなってきたらしいです。時々、マニアックな話をしてやるのが良かったかもしれません。

 昨日は本屋さんで見たアーサー=ウェイリー版源氏の話になりました。ウェイリーは100年前に江戸時代の注釈書『湖月抄』をもとにして『源氏』を全訳してロンドンで出版、そのために『源氏』が世界の古典になったのだ、という予備校でも話すお話をしてやったら、「そのウェイリーって人は日本に来てたンデスか?」

 アレレ、どうなんだろ。

 ウェイリー訳「The Tale of Genji」の話は授業で必ず話すのですが、ウェイリー本人については何にも知らないなぁ。

 Yがその場でPCを開き、調べてくれたのを読んで、二人でビックリしました。ウェイリーさんは、『源氏』だけじゃなく、漢詩も『西遊記』も訳してたんですね。

 しかも、日本語も中国語も独学で、アジアに来たこともないとか。「天才型の奇人」だそうです。

 すごい人もいるもんだ…で我が家の夜は更けていきましたとさ。

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2024年10月 3日 (木)

「残部僅少」をめぐる家族の日々

 発行日の火曜には「一時的に品切れ」になった本ですが、水曜朝には出版元から入荷があったらしく、「残り12点(入荷予定あり)」と変わりました。その後、一旦「残り11点」となったものが、今朝になったら、再び「残り12点」。

 ふーん。

 キャンセルなんでしょうかねえ。

 小心者Yはこの変化に一喜一憂。今朝には、「このまま何年も売れ残ったら、どーするんデスカ」

 キミはどこまで悲観するのかね。~o~;;

 一方、この本の行末についてワタシはかなり楽観しているのですが、それを一端でも口にすると、「楽観的過ぎることは言わないでクダサイ!」

 どうも、楽観的に予想して外れた時にガッカリするのがたまらなく心配らしいです。ふーん。

 オプティミストのワタシには理解不能のメンタリティ。

 ワタシはどのくらい楽観的かというと、もう、次の版のための改訂稿を書いています。まあ、これもちっょと…かも。~o~;;

 一方、娘(仮称ケミ)は、昨日、ようやく読み始めてくれました。今現在、Yが帚木を読了であるのに対して、ケミさんの方は、ようやく源氏が紀伊守の邸に辿り着いた模様。

 ちなみに、「残り12点(入荷予定あり)」というのは、どういうことかというと、この自費出版は、最初から50冊しか刷っていません。そのうち10冊は娘と母への誕生日プレゼント、寄贈、献本のために著者が引き取り、Amazonで売るのは40冊だけです。初日に、おそらく18冊くらい売れてると思われるので、Amazonの倉庫に12冊だとして、「入荷予定」というのは10冊ほどでしょう。間違いなく残部僅少です。

 購入予定の方、いらっしゃったらお急ぎください。 

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2024年10月 1日 (火)

秋の一日発行の日

 秋です。

 いや何となく気候が。

 ということもあり、〇〇村村長さん奥様からいただいてしまいました。

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 いつものオハギ…ではなく今年はアンコロ餅ですが、オハギが美味しいのですから、同じアンコのこれも当然、グッド。

 さて、それとは関係なく、今日は発行の日です。コレの

 Yは、最近、この本を読んでくれています。それでよく話し合います。晩酌の肴が、「帚木三帖の成立」だったり「光源氏が幸せにした女性」だったりするのは、なんだか妙なものです。

 んで、Yからアドバイスをもらってしまいました。「会話文のところが改行されてないから読みにくいデス」

 今になってかよー。

 実は、もう一年以上前、原稿がある程度出来たところでYには、「読んで意見を言ってくれ」と頼んでいました。

 白楽天は詩が出来ると、必ず無学な老婆に読み聞かせて老婆が頷くまで推敲を尽くしたと言います。ワタシもやはりコレに倣って…。

 と思ったのですが、「なんか読む気にならない話デス」とほったらかされて…。

 んで、本が出来てから読む気になってくれたと。

 まあ、版が改まることもあるかもしれませんから…。~o~;;

 ちなみに、谷崎の「新新訳潤一郎源氏」は、会話文の改行をしませんが、円地、瀬戸内両氏は現代の小説のように会話文で改行します。どっちが良いかは翻訳者の考え方ですが、ワタシの訳は分かりやすさ優先でしょうねー。

 ひゃっほー!20時半現在、Amazonが「一時的に品切れ」になっています。売れたんだー。皆様ありがとうございます。

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2024年9月24日 (火)

Birthdayをめぐる日々

 まず、金曜日に米津君の新譜を買ってきたところから始まります。

 立川校出講のついでに家電量販店で購入してきました。イマドキはCDをなかなか売っていなくて、やっと見つけました。

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 以下、BGMはLost Corner。

 金曜日に出版社から納品の連絡があり、土曜は宅急便待ち。昼過ぎに娘(仮称ケミ)の学校の図書館に出来たばかりの本を寄贈しに行きました。

 午後は、感激に浸る間もなく角上魚類に買い物に出かけて、土曜の夕餉は、手巻き寿司パーティーでした。ケミさんの誕生日23日の月曜は、国民の皆様は休日でも、非国民の予備校屋は一日中労働の日です。誕生祝いは土曜に前倒しでした。

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 ちょうど誕生日プレゼントが間に合ってヨカッタよ。写真奥は左から、Yさん大好きのマルエフ。ワタシのこの夏一番のお気に入り高知県西岡酒造さんの「久礼 CELうらら純米吟醸」。軽く爽やかな純吟。右は石川県宗玄酒造「宗玄 純米 八反錦ひやおろし」。久礼とは逆に濃厚に味の乗った純米。

 日曜は、三人でライオン。帰宅は六時くらいになりました。

 誕生日当日の月曜、ワタシは普通に仕事でした。横浜→吉祥寺移動の六時間授業を済ませて帰ってきたら、自宅前の薄暗い私道に〇〇村子供会のメンバーが佇んでいます。

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 夏に未遂であった花火をこの日にしたと。相当涼しい夜だったんですがね。

 帰宅して、PCを見たら、Amazonのサイトに

十四才の娘のための源氏物語

早くも出ていました。「予約受付中」って、どんだけ人気商品なんだか。書いた人間が恥ずかしくなります。

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2024年9月21日 (土)

「娘」が来る日

 娘(仮称ケミ)がようやく平熱にもどってくれました。今日は元気に登校しています。

 さて、先日予告しておりましたことをご報告できることになりました。

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 自費出版です。さっき、出版社から納品されました。

 前書きの一部です。

「娘へ

 十四歳の誕生日おめでとう。

 この本は、あなたの十四歳の誕生日プレゼントとして書かれました。

 今から十年前、二〇一四年の九月、あなたの四歳の誕生日の日に、パパは思いついてしまいました。『そうだ、これから十年間かけて、娘のために『源氏物語』を現代語訳しよう』

 ずいぶん無謀なことを考えたものです。

 あなたの四歳の誕生日の少し前のことです。予備校の授業で『源氏物語』「桐壺」巻の桐壺更衣の死のくだりを解説している時に、パパはちょっと変わった解釈を思いついてしまいました。調べてみると、今までの注釈書には全く出て来ません。どうもパパの新説らしいのです。

 あなたは、読書好きだからわかるかもしれませんが、文学作品というものは、正しい読み方が複数存在したりします。パパの新説はいくつかある正しさのうちの一つらしいのです。しかも、今までの解釈よりも飛び切り美しい解釈なのです。

 この新しい美しい解釈をどうにかしてあなたに遺したい。

 それがこの本の出発点でした。それ以来、仕事の合間に少しずつ現代語訳を進めてきました。『源氏物語』の現代語訳というのは、最初にパパが思っていたのより、はるかに時間のかかる作業でした。結局、二〇二四年夏の現在、全体の三割ほどにあたる第十六巻「関屋」の巻までしか進んでいません。でも、もうここまでです。

 とりあえず、第八巻「花宴」の巻までを一冊の本にまとめました。どうか、この本を楽しんでください。」

 思い立ったのは、この頃です。

 この間にこのブログで記事にしてきたような『源氏』に関する気づきがありました。八王子から小金井に引っ越し、新コロナで閉じ込められた間に随分作業が進みました。

 娘の受験も終わって今年に入ってから、本格的に自費出版に向けて準備を進め、この夏は、ずーっと原稿を「完全データ」にする作業と校正作業。自信を持って言えることは、この夏、世界で一番『源氏物語』を読んだのはワタシです。~o~

 この本、Amazonでのみ販売します。一週間後くらいからだと思います。本体1700円+税です。よろしかったら、是非お買い求めください。

 それと、これはお願いなのですが、この本のタイトルおよび著者名をこのブログではコメント欄に書き込まないでください。このブログはプライベートなままで置きたいので。余計な検索に掛かりたくないのです。よろしくお願いします。

 また、この本に関連して、「源氏物語にもほどがある」というブログを開設しました。このブログの『源氏』ネタをそちらにコピーしました。新しい記事もあります。そちらも良かったら御覧ください。

 また、これもお願いなのですが、「源氏物語にもほどがある」の方のコメント欄に、こちらのブログのことを書かないようにお願いします。理由は先ほどと同じで、こちらのブログはプライベートなままで置きたいので。

 それにしても、キレイな本ですね。表紙は桜色。若紫の春をイメージしました。若紫を訳していたのは、この頃です。

 なんだか、万感胸に迫りますね。

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2024年9月19日 (木)

もどってしまう姫君~『源氏物語』に関する些細なこと30

 我が家の姫君(仮称ケミ)が元に戻ってしまいました。

 先々週の金土とおそらくマイコプラズマ肺炎で40℃の熱を出し、日曜に治して、月曜から登校。先週末には陸上競技会で1500mを走るほどに快復していたのに…。

 昨日、学校から帰って来て、「咳が出る」。熱を測ってみると38℃台でした。イヤハヤ、逆戻りかよ。

 と思ったのですが、今日、学校を休んで病院に行ったら、「喉の風邪ですねー」とのこと。まあ、それなら一安心か。

 んで、強引なんですが、戻ってしまう姫君というと『源氏』です。

 「末摘花」巻。常陸宮の姫君は、歌の詠めない人として登場します。光源氏が最初に求愛の歌を詠みかけてくる場面では、ご本人が歌を詠めずにぐずぐずしているので、乳母子の侍従という女房が代わって詠んでしまいます。後朝の歌に対する返歌も侍従の代作です。

 ところが、年末に光源氏の正月の衣装を、源氏の君の妻として(ご本人だけは妻だと思っているというところがまた、失笑を買うのですが)送って来る場面で、古めかしい紅色の直衣につけた歌がこれです。

 「からころも君が心のつらければたもとはかくぞそぼちつつのみ」

 (あなた様の冷たいお心が恨めしく思われますので、私の袂はこんなにも濡れどおしでございます)

 本文と訳は小学館『新編日本古典文学全集』です。

 この歌は、光源氏によって、

 「さても、あさましの口つきや、これこそは手づからの御事のかぎりなめれ」

 (それにしてもあきれた詠みぶりだ。これこそたしかにご自身で精いっぱい詠まれたのだろう)

 と評されているところから、明らかに下手な歌なのです。当時の読者なら口にしただけで噴飯モノの下手さ加減だと推測されます。しかも、紫式部の、人物の個性に従って歌を詠み分けるという特徴から考えて、末摘花的な下手さでなければなりません。

 ところが、それが我々現代人にはどうもよく分からないんです。

 新編日本古典文学全集頭注には、「『からごろも』は、「着る」にかかる枕詞だが、ここは無理に『きみ』の『き』にかける」とあり、少し無理矢理な枕詞だという指摘があります。岩波文庫等にも同様な指摘があり、こういう時にあてになる『玉上琢彌 源氏物語評釈』も、同様のことしか書いてありません。

 片桐洋一氏の『歌枕歌ことば辞典』には、

 「『からころも』という歌語を用いさえすれば一応の和歌になるというわけで、『源氏物語』において三枚目的役割をになわせられている末摘花は、光源氏に歌を送る場合、いつも『からころも』という語をよみ込んで(以下略)」

とあって、和歌の下手な者が用いて一応和歌の体裁を整える用語と片桐氏はお考えになっているようです。

 しかし、それだけでは末摘花的ではありません。

 試みに「からころも」を『国歌大観勅撰集編』で調べてみると、八代集に「からころも」が用いられている歌は60例を数えますが、そのうち半数は古今集後撰集に集中しています。とりわけ後撰集には20例も見られ、この言葉が後撰集時代に流行った歌語であることが判ります。紫式部にとっては、一時代前の流行語というわけです。

 しかも、この歌語には「衣」の美称として用いられている場合と枕詞として機能している場合があり、千載集新古今集あたりだと、ほとんど「衣」の美称です。ところが、後撰集の20例のうち10例前後は純然たる枕詞です。

 『和歌大辞典』(明治書院)では、「からころも」という枕詞について、六百番歌合の判詞を引いて「その陳腐さが嫌われるに至った」とあります。少なくとも平安の末には、陳腐で古臭い枕詞と考えられていたようです。

 末摘花は、最初から古めかしい言葉遣いの姫君として登場しました。まさにこの枕詞こそが末摘花的なのではないでしょうか。一時代前にもどったような歌だったので、失笑を買ったと。

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2024年9月10日 (火)

乗り越えて初秋

 娘(仮称ケミ)は金土の二日間高熱を出していました。40℃超えは本当に久しぶりです。

 その間、この子にしては大変珍しく食欲がなくなり、ポカリスエットとジュースとミカンの缶詰が頼りでした。二日間寝続けました。

 マイコプラズマ肺炎には、抗生物質に対する耐性を具えているものもあるとネットの記事で読み、ちょっと心配していたのですが、日曜朝から薬が効き出し、昼過ぎには37℃台に下がりました。

 一方、ワタシですが、先週月曜に送信した仕事の校正が早くも木曜に送られてきて、金曜朝からそれにかかりきりでした。

 いくら見直してもミスが出て来ます。イヤハヤ、人間ってヤツはアテにならん。

 一つ間違いを直すと同じページに別のミスを発見。そいつを直すと最初の間違いが元に戻っていて、もう一度全てやり直し…。

 日曜に校正をすべて終わらせたところで夕食の声がかかり、日曜の夕食は、久々にケミさんと一緒に食卓を囲みました。ケミさんの希望でお寿司でした。まあ、ヨーカドーのパックの寿司を20%引きで買ってきたんですが…。

 でも、食欲が少し戻って来てくれて、まあまあ普通に近く食べてくれました。ワタシの校正も終えたし、良かったよかった。

 翌月曜朝、四時半に起きて、前日に終わらせたはずの校正を送信しようとして最後のチェックをしていたら…。

 うげげ、まだ直してない所が…。

 急いで直して送信。ヤレヤレ終わったわい…。

 と思ったのですが、送信したヤツをもう一度チェックしたら、ページの数字の間違いを発見。はー、いやんなっちゃうよ。

 仕事に出掛ける数分前に全て終わらせました。

 ケミさんも月曜から通学を再開。最初は体力が落ちていて大変そうだったけど、今朝にはほぼ普通に戻ってました。

 二人とも、乗り越えた今日は初秋の日常です。

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2024年7月31日 (水)

温度差に揺れる夏~『源氏物語』に関する些細なこと29

 このところ、一日のうちでも微妙に涼しい時間があります。

 昨日も、午前中に書斎にエアコン入れて仕事しようと思ったのですが、微妙に涼しめなので、エアコン入れずに仕事しようかと思って温度計見たら…、「34℃」!。

 当然、スウィッチオンです。

 さて、予備校の仕事をしながら古典作品の注釈書を読んでいると、しばしば敬語に対する意識の温度差に驚かされることがあります。

 予備校屋というのは、少し敬語を意識し過ぎます。これは、敬語を頼って主体判定できると生徒さんに分かりやすいためです。ウチのテキストあたりでもしばしばその意識がすこーし過剰になることがあります。

 また、赤本などの過去問解説でも、敬語にさえ注意すれば主体は分かるというようなことが書いてある場合があります。そんなことありえねーだろに。

 敬語の使用というのは、作品によって時代によってその精度や安定度が大きく異なっているので、それだけに頼って主体判定なんて危なくてやってられないはずなのです。本当は。

 敬語に頼って良いのはジャンルでいうと、随筆、歴史物語、つくり物語などであって、説話や軍記や歌物語でこれをやると、痛い目にあいます。そんなの入試問題をたくさん解いている人間にはアタリマエなんですけどね。

 しかし、『源氏』『枕』などの平安中期女流文学の敬語使用の精度安定度は、かなりのものなので、ワタシなどでも、こういう作品の読解には敬語の利用を多めにします。

 一方、注釈書をお書きになる学者さん達は、少し意識が足りないのではないかと思います。『源氏』でも、こんなことがあったり…。

 他にそういう所を二か所見つけてしまいました。いずれも、重箱の隅の隅の隅。些細過ぎることですが…。

 「葵」巻、葵の上の出産を六条御息所が伝え聞く場面です。

 「かの御息所は、かかる御ありさまを聞きたまひても、ただならず。かねてはいと危く聞こえしをたひらかにもはたと、うち思しけり。」

 小学館『新編日本古典文学全集』ではこのような本文を立てて、次のような訳文を付します。

 「あの御息所は、このようなご様子をお耳になさるにつけても心穏やかではない。前前は女君がもうご危篤との噂だったのに、よくもまあ無事に、と妬ましくお思いになるのだった」

近代の注釈書は、『玉上琢彌 源氏物語評釈』、『新潮 古典集成』、小学館『日本古典文学全集』、岩波『新日本古典文学大系』、『岩波文庫』などが同様の立場を取ります。

 我々予備校屋には、「ただならず」に尊敬語ついていないのは、大問題なんですが…。

 ウチの授業だったら、確実に生徒の質問が来ますからね。

 これ実は簡単に解決します。「ただならず」の跡を句点でなく読点にすれば良いのです。『旧大系』はそうなってるのに、なぜ、変えちゃったんでしょうね、「新大系」。

 読点にすると、現代語訳はこんな感じになります。

 「あの御息所は、このようなご様子をお聞きになっても、心穏やかではなく、「以前はたいそう危険な状態との噂だったのに、やはり無事にとは…」と少しお思いになりました。

 これで、まったく自然です。

 また、「須磨」巻、源氏が須磨に落ち着いた後に都に便りをする場面。

 「大殿にも、宰相の乳母にも、仕うまつるべきことなど書きつかはす。」

 『新編全集』だと以下のような訳文を付けて、

 「左大臣殿にも、またそこの宰相の乳母にも、若君をお世話申し上げるうえでの心得などをお書き送りになる。」

 「大殿」に、「『大殿』は、ここではその邸をさす。」と頭注が付きます。

 近代の諸注釈では、『旧全集』『古典集成』がこの立場を取りますが、『旧大系』『玉上琢彌 源氏物語評釈』『完訳日本の古典』『岩波文庫』は「大殿」を左大臣個人と取ります。

 うーーん、なんで、左大臣に尊敬語を付けないで平気なんだ~~~。

 この「大殿」は、左大臣邸ととらねばならないし、左大臣邸の中でもそこに仕える女房達を意識していると取らねばマズいんじゃないんですかねえ。

 というか、「左大臣邸の女房達」と読ませたいから「宰相の乳母」と並列して、かつ尊敬語を付けなかった、と考えるべきなのかも。

 現代語訳は、

 「左大臣邸の女房たちにも、若君の宰相の乳母にも、若君にお仕え申し上げなければならないことなどを書いておやりになります。」

 これで良いんじゃないでしょうか。

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