2021年6月16日 (水)

「ごほうび」なのやら「些細」なのやら

 昨日は午後、あざみ野での授業でした。

 本来なら五時過ぎに帰って来れるはずだったのですが、添削を持ってきた生徒さんがマジメな子で…。~o~;;

 一時間以上サービス残業になりました。今年は、こういうことが多いです。「窮鳥懐に」とは言いますが、本当に困ってノート持ってくる子を無下には扱えません。

 帰宅は六時過ぎになりました。その時は郵便受けを見る元気もなかったのですが、今朝、朝食時にワタシあての封筒がテーブルに置かれていたのを見て驚きました。毎年恒例のワタシの成績表でした。昨日の夕方着いていたらしいです。

 中身をチェックして、とりあえず、ホッとしました。昨年のようなことはなく、一昨年並みでした。

 というか、数字そのものなら、前期アンケートとしては自己最高でした。コレ、「ごほうび」と言って良いのかもしれないけど、今年はカリキュラム変更の影響で教科平均もかつてないほど上がっているのでねえ。

 教科平均プラス2ポイントは、まあ一昨年一昨々年並み。もっとイケそうな気がしていたんですが…。

 なんせ、今年は添削を持ってくる子が多いですからね。

 添削持参者には、二通りあります。予習したものを授業実施の前の週に持ってくる子と、授業が終わって復習したものを持ってくる子です。

 復習でやった現代語訳は、間違えが無さそうなものなのですが、そうでもなく、細かいミスをしている子が多いです。話の粗筋を授業で教わっているので、安心してしまって助動詞や敬語などの細部に注意がいかないんでしょう。

 実は、そういう例を最近、『源氏物語』の注釈書で見つけてしまいました。

 「葵」の巻、生霊となって葵の上を取り殺した六条御息所と源氏の贈答歌です。

 「人の世をあはれと聞くも露けきにおくるる袖を思ひこそやれ」

 (人の世を無常だと聞くにつけても露のような涙が流れますので、残されたあなたの袖がどんなに涙で濡れることかとお察ししています)

 という御息所の歌に対する源氏の返歌、

 「とまる身も消えしも同じ露の世に心おくらむほどぞはかなき」

 この歌を現代の諸注釈は、次のように解釈しています。

 「生き残った者も死んだ者も、いずれも同じこと、露のようにはかなく消え失せるこの世の中に、執を残すのはつまらないではありませんか。私はさほど悲しんでいないのです。」(新潮社『古典集成』)

 「後に残る者も消えてしまった者も、どのみち同じで、露のようにはかない世に生きているだけなのに、その露の世に執着するのは、つまらぬこと」(岩波『新日本古典文学大系』)

 「後に残る者も、消えてしまった者も等しくはかない露の命の世に生きているだけなのに、その露にいつまでも執着しているのはつまらないことです」(小学館『新編日本古典文学全集』)

 この三者の解釈で問題なのは、「心おくらむ」の取り方です。『集成』は源氏自身の悲しみと取り、『新大系』と『新全集』は、一般的な現世に対する執着と取っているようです。

 しかし、それでは「心おくらむ」の「らむ」が無視されているのです。まるで、粗筋を知っていることに安心している受験生の復習時の訳のように。

 こりゃ、「些細なこと」シリーズの12かしらんと思ったのですが、

 岩波文庫は、ここを、

 「生き残る身も消え去った人も同じ露のようにはかない人生に、執着しているという時間はあっけないことです」

 とやっています。つまり、「らむ」を「しているという」と<現在の伝聞>で処理しているのです。うーーん、なかなかやるじゃない。

 しかし、訳しただけで「執着しているという」の具体的内容には触れていません。これは、もしかして「些細なこと」かも。

 と思ったのですが、例の文豪が、またまた見事な解答を示していました。新新訳潤一郎源氏頭注です。

 「生き残っている身も、死んで消えて行った者も、結局は同じ露になる世の中ですのに、物事に執着なさるのはつまらないことです」

 そうなんだよ、この「心おくらむ」は、御息所が主体なんだよなー。「執着なさる」は言い当てましたね。まあ、文法というよりは、例の文豪の直観なんだと思うけど。

 「らむ」の<現在の伝聞>は、「あなたが執着しているという」と取るべきなんでしょう。つまり、御息所の贈歌の「思ひこそやれ」に対して、あなたがおっしゃっている「思ひこそやれ」は、つまらない執着で、はかないものなのですと返したというわけです。

 考えてみれば、この二首は贈答歌なのですから、最初からそういう対応関係を考えてしかるべきでしょう。それが見えなかった現代の諸注釈は、和歌だからと大意を先に立てて、助動詞という細部をないがしろにしていたということなんでしょうか、受験生のように。

 まあ、注釈書をお書きになった碩学たちと受験生を一緒にしちゃいけないんでしょうけどね。~o~;;

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2021年5月22日 (土)

何も教えてない

 ちょっと前から、娘(仮称ケミ)の読書傾向が変わってきました。

 少し前まで、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を読んでました。

 これは、もちろん原典ではなく、子供向けに現代語訳したものです。図書館で借りてきて熱心に読んでました。かなり面白かったそうです。全四巻を読み終わる時には、大変残念がってました。

 そんなものが出版されているんだなあと古典の教師をしている父親は、ノンビリ構えていたのですが、昨日、娘が借りて来た本を見て、驚きました。

 『烏に単は似合わない』↓

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 「じゅナントカの話なんだよ」だそうです。一応、「それは入内っていうんだよ」とは教えて置いたのですが、気になって後で調べたら、平安朝の宮中の世界を八咫烏の世界に置き換えた人気のファンタジーなんだそうです。

 フクロウの次はカラスかよ。~o~;;

 さらに、『大鏡』。

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 おおおお、ついこの間、高二の教室で教えたばっかりです。 

 ちょっと前に、『雨月物語』を借りて来て読んでいました。それが面白かったとかで、同じシリーズをたどって『東海道中膝栗毛』の次に『大鏡』だったというわけです。

 「ストーリーで楽しむ日本の古典」というシリーズなのですが、この『大鏡』は…。『大鏡』に取材してあらたに創作したファンタジーだと思いますけどねえ。これに『大鏡』って名前をつけちゃったら、どっかから訴えられそうなんですが。

 なにしろ、紫式部が安倍晴明の弟子で猫になって時間旅行するっていうんですから…。

 まあ、どういう形であれ、子供が古典作品に親しんでくれるのは良いことです、と古典の教師は言わなきゃいけないんでしょうねえ。

 こういうのを読んで、ケミさんは、どういうふうに育っていくやら。

 ワタシは何も教えてないんですが。~o~;;;

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2021年3月11日 (木)

「十年」の分かり易さ~付『源氏物語』に関する些細なこと11

 今朝、朝刊に「東日本大震災10年」という見出しが掲げられました。早くも十年かとの思いもあり、あの日にこんなだった我が子の歩みを考えると、長い時間が経過したとも思います。

 その経過した時間を「10年」と名付けてしまうと、とても分かり易い気がする一方、「10年」と名付けることで、ひと昔の向こうへ整理してしまうのはいかがなものかとも思います。津波による行方不明の血縁者を捜し続ける人達、生まれ育った町が「帰還困難」とされ続けている人達、そういう人達の綿々と続く時間を「10年」で区切って分かり易くしてしまうわけにはいかないでしょう。

 少なくとも福島が再生していない以上、大震災は全国民にとって現在進行形です。「10年」は十年の意味を持ちません。現実はなかなか分かり易くならないということです。

 現実が分かり易くならないというのは、我が古典文学の世界も同様です。同じ今朝の新聞の『平家物語』現代語訳の広告に、「なんと分かりやすい感情のこもった意訳…『平家物語』の真髄に触れた思い」とあったのにはたまげました。古典文学の世界で「分かりやすい」意訳に対して「真髄」という言葉が出て来るとはね。古典文学を徒に分かり易くすることは、とりもなおさず「真髄」というものから離れる行為なのに。

 でも、「分かりやすい」を「理解」と勘違いするのは普通なんだよなぁ。~_~;;;

 「分かり易い」が「理解」にならない例を、最近『源氏物語』で一つ見つけてしまいました。ここから、「付」の「些細なこと」シリーズです。

 「葵」巻、懐妊中の葵の上が物の怪(六条御息所の生霊)に苦しめられ、それを父の左大臣、母の大宮が案ずる場面です。

 「ただ、つくづくと音をのみ泣きたまひて、をりをりは胸をせき上げつついみじうたへがたげにまどふわざをしたまへば、いかにおはすべきにかとゆゆしう悲しく思しあはてたり」

 これを小学館新編古典全集では、こう訳しています。

 「女君は、たださめざめと声をたててお泣きになって、ときどき胸をせきあげては、ひどく堪えがたそうにして苦しむご様子なので、どうなられることかと、左大臣家では、不吉な、また悲痛なお気持ちでうろたえ騒いでおられる」

 コレ、どこが「些細なこと」なのかというと、「いかにおはすべきにかと」の部分です。この部分、現代語的に括弧でくくれば、「『いかにおはすべきにか』と」になります。つまり、「いかにおはすべきにか」は、両親の葵の上を案ずる心内語なのです。

 通常、このように「にか」でセンテンスが結ばれる場合、「に」を<断定>の助動詞「なり」の連用形と取り、「あらむ」または「ありけむ」が省かれた結びの省略と考えます。この場合も、「いかにおはすべきにかあらむ(ありけむ)」のつもりで訳さねばならないはずです。

 とするとこの部分は、”どうなられることか”と言う訳には決してなりません。受験の答案なら確実に何点かの減点になります。”どうなられることか”の意なら、「いかになり給ふべき」「いかになり給はむ」等の表現になるのが自然でしょう。

 ところが、近代の諸注釈は全て同様な訳をしています。「如何なられることか」(島津久基『源氏物語講話』)、「どのようなおなりになるのか」(玉上琢彌『源氏物語評釈』)、「どうなられることか」(新潮社『日本古典文学集成』)。岩波系は注さえついていません。

 文脈から分かり易い意訳を施すか、問題なしとして素通りしているか、どちらかです。しかし、徒に分かり易くしてしまって良いんでしょうか。

 「いかにおはすべきにかあらむ」は、正確に直訳すると、”どうのようでいらっしゃるはずのことであろうか”となるはずです。この”はずのこと”というのは、「べき」の訳です。

 この「べし」は、意味の広い助動詞で、文脈により様々に訳される語です。この場合、本当に悩ましいのですが、「べし」の顔を立てる訳として、連体形「べき」の下に”宿縁”等を補って、”どのようでいらっしゃるはずの宿縁であろうか”というのはどうでしょうか。

 つまり、葵の上の両親は、漠然と「娘はどうなるんだろう」と心配したのではなく、執念深い物の怪に憑りつかれて本人とは思えないほどに取り乱す娘を眼前にして、その前世に思いをいたし、人間の努力では如何ともしがたい宿世に絶望して惑乱していると取るわけです。

 まあ、物語全体の流れに影響はなく、本当に「些細なこと」なんですが、それでも、無造作に分かり易い訳を施すと取り逃がす何かが確実にある気がします。こういうのは、どうなんですかねえ、本当の作品理解にはならないんじゃないかしらん。

 ましてや、「真髄」とは程遠いものになりますよねえ。

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2021年2月 5日 (金)

朧月夜の入る頃は~『源氏物語』に関する些細なこと10

 「些細なこと」シリーズも二桁に乗ります。

 今まで、『源氏物語』という作品は古典作品の中では、長い研究史と分厚い研究者の層に支えられた一番研究の進んだ作品と思っていたのですが、こうして重箱の隅を突っつき始めると、各巻に少なくとも一つは、今まで解明されていなかった箇所、今まで示されてこなかった新たな読みが出て来ます。

 今回も、何故今までコレが放置されていたのか不思議に思われる箇所を見つけてしまいました。

 「花宴」巻、南殿の花の宴の後、弘徽殿で「朧月夜に似るものぞなき」と口ずさんでやって来た右大臣家六の君(朧月夜の君)に出会い、その袖を捕らえた後の源氏の和歌です。

 「深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろけならぬ契りとぞ思ふ」

 小学館『新編古典文学全集』は、この歌を、「月の朧」と「おぼろけならぬ契り」の掛詞の歌と見て、

 「あなたが夜更けの風情に感じ入られるのも、入り方の朧月を愛されてでしょうか、その月に誘われてやってまいりましたこのわたしにめぐり会うのも、ひとかたなら縁ゆえと思います」

 と解釈しています。この解釈に従うと、六の君が「朧月夜に…」と口ずさんだのは、実際に入り方の朧月を見てのことのように読めます。そして、この「入る月」を実際の景色と見るのは、現代の注釈書では一般的な取り方です。島津久基『源氏物語講話』に、「『入る月の』は眼前の景を採っての『朧』の序詞」とあるのを始めとして、玉上琢彌『源氏物語評釈』、新潮社『日本古典集成』、岩波『新編日本古典文学大系』などに同趣旨の注を見ることができます。

 しかし、この取り方はどうも釈然としません。というのは、この南殿の花の宴が開かれたのは陰暦二月二十日過ぎのことだからです。物語には、「二十日余り」とあるので、二月二十一日か二十二日頃なんでしょう。明らかにこの日の月は有明の月です。

 試みに、今年2021年の陰暦二月二十一日(4/2)、二十二日(4/3)の京都での月の南中、月の入りと日の出の時刻を調べて見ると、

 2/21      月の南中3:40    月の入り8:44    翌日の日の出5:41

 2/22  月の南中4:39 月の入り9:34 翌日の日の出5:40

となります。

 まさか、南中している頃の月を「入る月」とは言いません。「入る月」と表現するからには、南中と月の入りの間くらいに月が進んでいなければならず、それは、今年の2/21なら6時頃以降、2/22なら7時頃以降です。とっくに太陽が昇って明るくなりきってます。

 一方 源氏はこの歌の後、六の君と情事におよび、それがすっかり終わってから「ほどなく明けゆけば」ということになります。

 いったい、何時、源氏は六の君と情事に及んだというのでしょう。

 そもそも、この歌の直前、花の宴が終わった直後の描写に、「月いと明うさし出でてをかしき」とあります。この描写に従うかぎり、花の宴終了時には、まだ月は東から出て来て南中していないと思われます。

 「入る月」は、「眼前の景」などではないはずです。では、何が「入る」なのでしょうか。

 古注釈の世界では、九条稙通『猛津抄』に、こんな注があります。

 「まへに女の『照りもせず』の歌を吟ずるは月の哀れを知る也。上の句はその心也」

 この注の前半は諸注釈ともに継承していると思われるのですが、注意したいのは後半です。「上の句」と言っています。「初二句」ではありません。つまり、九条稙通は、「入る月の」までを「月の哀れを知る」女の心だと言っているのです。

 これをそのまま受け入れれば、「入る月」は「女」の比喩ということになるでしょう。「深い夜の情趣をわきまえながら、朧月がやがて山の端に入るように、深い夜の月の情趣を知りながら、あなたは、寝所に入るのですね」ということなのではないでしょうか。

 その筋で、一首全体を解釈するとこうなります。掛詞は諸注釈と同様に考えて、

 「深い夜の情趣を知りながらも西に沈んでいく月がおぼろに霞んでいるのではありませんが、深い夜の月の情趣を知りながらもあなたが寝所へ入って来て私に逢ったのは、私達二人が並々ならぬ前世の宿縁にあるからだと思いました」

 この解釈をした場合の問題点は、六の君は何処から何処へ入って来たのかということでしょう。源氏は弘徽殿の西廂の細殿またはその内部の枢戸の周辺にいたものと思われます。女は「朧月夜に」の歌を口ずさんで来たのですから、それまで朧月を賞美していたと考えたいところです。とすると、女は弘徽殿の南廂にでもいたのかもしれません。

 南廂で月を愛でていた女が寝所にしている塗籠へ向かおうとして枢戸にいた源氏に袖を捕らえられるというのは、あり得ないことではなさそうです。

 しかし、この女は右大臣秘蔵の六の君で、東宮入内が決まっていたのですが、その女の周辺に女房が全くいないというのは、ちょっとどうなんでしょう。

 まあ、女房がその辺にいたのではこの話は成り立ちませんからねえ。右大臣家、それだけ迂闊ってことで良いのかしらん。~o~

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2021年1月28日 (木)

綿を千切る日のあれやこれや

 昨日、今年度の受験生相手の授業が終わりました。これから先は、高1高2の授業が一週数時間という日々です。

 以前なら、こうなると、ほとんど山籠もりの生活だったんですが、娘(仮称ケミ)がいますんでね。

 今年はデスクワークもほぼないので、小金井でわずかな雑用、あとは『源氏物語』と米津玄師漬けの生活です。ある意味理想かもしれません。

 春に「若紫」を読んでいたのが、昨日、「紅葉賀」を読了。ずいぶんのんびりと読んでいます。

 これは、「些細な事」シリーズには入らないんですが、「紅葉賀」巻末近くの藤壺立后を語る部分で、

 「御母方、みな親王たちにて、源氏の公事知りたまふ筋ならねば」

 の部分を近代の諸注釈は皆、「この『源氏』は広く皇族一般とみる説をとり」(小学館『新編古典文学全集』)とするのは、何故なんですかねえ。

 『河海抄』には、「若宮の御外舅親王達にて、人臣にて御後ろ見すべき人なしと云也」とあり、この「源氏」を臣籍降下した皇族の意で取っています。その方が言葉の取り方としては自然だし、そもそも、ここでさりげなく語られる源氏の宰相昇進の記述との脈絡もついてくるのに。

 まあ、どちらで取っても誤りとは言えないだろうから、良いんですけどね。

 などと考えているうちに、窓の外に何やら落ちて来ました。オイオイ、小金井に雪だよ。

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 綿を千切ったようなとは言いますが、まさしく、芝居で降らす綿のような雪です。

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 高層マンションも雪に霞んでいます。

 ヤレヤレ、こんな日にこれから仕事かよ。~_~;;;;

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2021年1月15日 (金)

翁か媼か~『源氏物語』に関する些細なこと9の二

 文法的にも語法的にも自然、と昨日書きましたが、内容的にも前述の読み方の方が優っていると思います。

 「修理大夫」という男はこの場面にしか出て来ない端役なのですが、ほんのわずかな部分の解釈を変えるだけで彼の存在は物語世界の中で血の通った人となり、物語世界の奥行が全く違ってきます。

 風流ぶった色好みの男女が老いを迎えて、媼は衰えることなく若い男を求めて婀娜めくが、翁の方は自分を捨てた媼を忘れられず、普段は柔和な年配者なのに媼のこととなると乱心して、何度も逢瀬の場に乱入するが、何もできない男と見透かされて媼には相手にされていない。

 そういう生々しい人間模様が奥行きとして見えてきます。

 ただし、この生々しいところを決して具体的に写し取るのではなく、茶番の描写のほんの数行で透かし見せるというところが筆力というものでしょう。

 そうして、この部分を前述のように解釈すると、次の部分の読みも違ってきます。

 頭中将が源氏を脅すために太刀を引き抜き、これに慌てた典侍が「あが君、あが君」と頭中将に取りすがる場面直後の語り手の評言です。

 「五十七、八の人の、うちとけてもの思ひ騒げるけはひ、えならぬ二十の若人たちの御中にて物怖ぢしたるいとつきなし」

 ここを小学館新全集は次のように訳します。

 「五十七、八の老女が生地むき出しにあわてふためき大声を立てている様子、それも二十歳のえもいわれぬ若い貴公子たちの間でおどおどしているのは、まったくおさまりがつかない格好である」

 現代の諸注釈はこの部分もほぼ大同小異です。しかし、「うちとけて」を”生地むきだしに”とするのは、やはり少し無理がありそうです。「うちとく」は、古語辞典では、「➀解ける ②くつろぐ・心が落ち着く ③気を許す・油断する」(『ベネッセ古語辞典』)などとされている語で、諸注釈のように「生地むき出し」(新旧全集)「恥も外聞も忘れて」(新潮集成)、「気取る余裕もなく」(岩波文庫)という解釈はかなり語義を外します。

 ここは、「うちとけて」が前述の部分の「ならひて…つと控へたり」を指す物と考え、”油断して”と取っておけばよいのではないでしょうか。「物思ひ騒ぎ」以下は、時系列に沿った典侍の慌てぶりをまとめたと考えると、この部分の現代語訳は次のようになります。

 「五十七、八才の人が、油断していた末に困り果てて騒いだ様子や、言いようもないほど美しい二十才ほどの若人お二人の真ん中で怯えている様子はたいそう似つかわしくありません」

 これで上手くいっていそうな気がするんですが…。

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2021年1月14日 (木)

媼か翁か~『源氏物語』に関する些細なこと9の一

 少し時間があるので、久々に『源氏』です。

 今度は、重箱の隅にしては何か所かにわたり、少し広い範囲の読みに関わってきます。「些細」ではありますが、少し大きめの「些細」です。

 『紅葉賀』の巻巻末近く、源氏と老女源典侍との逢瀬の場に頭中将が踏み込んで来る場面です。頭中将は自分であることを隠して乱入してくるので、源氏は源典侍のかつての恋人で典侍に未練のある修理大夫かと勘違いして屏風の後ろに隠れようとします。中将は可笑しさをこらえて、その屏風を畳んでいきます。今回の重箱の隅はその直後から始まります。

 「内侍は、ねびたれど、いたくよしばみなよびたる人の、さきざきもかやうにて心動かすをりをりありければ、ならひて、いみじく心あわただしきにも、この君をいかにしきこえぬるにかと、わびしさにふるふふるふ、つと控へたり」

 これに対して、小学館『新編古典文学全集』では、次のような現代語訳を施しています。

 「典侍は、年寄りながらも、たいそう風流気のある色っぽい女で、これまでにもこうしたことではらはらさせられた折が何度かあったのだから、そうした経験から、内心ひどくうろたえてはいるものの、この者が君をどんな目におあわせ申そうとするのかと、心細さにぶるぶる震えながら、しっかりと中将にとりすがっている」

 手元にある現代の注釈書『源氏物語講話』(島津久基)、『源氏物語評釈』(玉上琢彌)、岩波古典大系、新潮古典集成、小学館古典全集、岩波新古典大系、岩波文庫は、大同小異でほぼ上記のような解釈をしています。

 しかし、この解釈には少し無理があります。「なよびたる人の」の「の」を"で"と<同格>ふうに訳していますが、<同格>とするには「の」に続く部分くに「ねびたれど、いたくよしばみなよびたる人」と<同格>をなす部分がなければならないのに、それがありません。島津講話や旧大系は、この「の」を”ので”と原因理由で処理しようとしますが、格助詞「の」には原因理由の用法はありません。

 そもそも、この典侍が、”年寄りながらも、たいそう風流気のある色っぽい女”であることは、これまで縷々述べられているところであって、ここで今さら繰り返すのはやや冗長な感じがします。そのため、岩波文庫では「語り手は典侍の対応を皮肉る」などと説明が付いていますが、説明せざるを得ないのは、やや冗長と岩波文庫の注釈者たちも感じているからではないでしょうか。

 ところが、古注釈の世界では、この部分に別解が存在していたようです。中院通勝『岷江入楚』には、「さきさきもかやうにて」の部分に「此内侍は修理大夫のかやうにみつけたる事前にもありし故に一入心をまとはす也」と注されていて、内侍の恋人修理大夫が以前同様の行為をしていて、今回も内侍はこの乱入者を修理大夫と考えていたと解釈しています。

 この解釈が可能なら、前述した「の」の問題は解消します。「ねびたれど、いたくよしばみなよびたる人」を修理大夫と取ってしまえば良いのです。すると、「の」は<主格>となり、該当部分の現代語訳は、こうなります。

 「典侍は、年は取っているけれどひどく風流めいて物柔らかな人(修理大夫)が、以前にもこんなことで乱心する折々があったので、慣れていて、たいそう動揺する中でも、修理大夫が源氏の君をどう扱い申し上げてしまうのだろうかと困惑して震え震え、じっと動かずにいます」

 上記の訳のポイントは、「なよぶ」という動詞と「控ふ」という動詞の訳にあります。「なよぶ」は、確かに”好きがましい”の意味もありますが、通常、”温和だ・柔和で穏やかに振る舞う”の意味です。この場合、普段は温和な修理大夫が典侍とのことになると乱心すると解しておくのが良いと思われます。また、「控ふ」も、目的語が示されていないのですから、「つと控へたり」で”じっと動かない”の方が自然です。

 すると、「ならひて」との脈絡から、この場面は、典侍が、修理大夫の性格を熟知していてこんなことには慣れっこになっているので、落ち着いてじっとしていたのだと理解することが出来ます。

 この方が、文法的にも語法的にも自然なんですけどね。どうなんでしょう。この記事、明日に続きます。

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2020年11月15日 (日)

旅はあはれなるこそよけれの上

 木曜に初狭山とブーツ作成をした我が家でしたが、金曜夕方には早くも次の企画に向けて出発でした。軽井沢で、娘(仮称ケミ)は先週に続いてレーシングスクールの早朝TR、ワタシはブーツ履き初めです。

 金曜日、ワタシが町田での授業を終えて帰宅すると、愚妻Yとケミさんはもう準備万端待ち構えていました。午後四時過ぎにはいざ出発。

 Yクンはすっかり新車を乗りこなし、ドライブは順調でした。夕食予定の横川SAの数km手前までは…。

 横川の少し手前で車の警告灯が点きました。「左後輪タイヤの空気圧が異常です」

 以前の車は数年前から警告灯が誤作動で何度も点いていたので、我々はこのメーカーの警告灯には慣れっこ。どうせたいしたことはなかろう。

 と高を括っていたのですが、念のため横川ガソリンスタンドで空気圧をチェックしてもらおうとしたところ、GSの店員さん、ちょっと見るや、「お客さん、空気圧見なくてもわかりますよ、後輪にこんな太い釘が…」

 ぎえ~~っ!!!

 「よくここまで無事に走ってきましたね」と言われてしまいました。~o~;;

 ちょっと途方に暮れかかった我が家でしたが、ディーラーとメーカーのロードサービスに電話して善後策を講じました。こういう時、ロードサービスは頼りになります。まず、これ以上自走は不可能なので、レッカー車を呼んでもらいました。

 レッカーされる車に乗って、ケミさんは大はゃぎ。「遊園地のアトラクションみたい!」

 高速を降りたところでロードサービスが手配してくれたタクシーに乗り換え、軽井沢のペンションに入ったのは九時半過ぎでした。

 かなり素早いリカバリーでしたが、ロードサービスとレッカー車のお兄さんの親切に支えられました。GSの店員さん達も気の毒がって大変親切にしてくれました。旅に出ると人の親切が身の染みます。

 ちょうど偶然、過去問添削の仕事で扱っている、江戸時代の儒者中井甃庵の随筆『とはずがたり』に、「旅はあはれなるこそよけれ」という一文があります。甃庵先生、旅は不自由な中に面白みがある旨を、「物うちあはぬ中にこそ興あることもあるなる」と力説し、また、旅先で出会う人の親切を「かしこに知る人、…心づかひしたる、うれしきものにぞある」と説いていますが、まったくその通りでした。

 翌土曜、ケミさんとYは滑りに行き、ワタシはペンションの部屋で、ロードサービスがレンタカーを手配してくれるのを待ちました。GoToの人出でレンタカーは不足気味なのだそうですが、何とか昼前に手配がつきました。んで、

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 このゴツい車に、Yとケミさんはまた大はしゃぎ。

 結局、ワタシも土曜の午後には滑れました。土曜の混雑はこんな感じ↓。

2020111414060000

 かなり密です。

 2020111414440000

 コースも↑ほどほどに荒れていました。しかし、ニューブーツ、グッドです。久々に全くアタリを心配しなくて良いスキーでした。板を操作しやすい気がします。今シーズンはイケそうな予感。~o~

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2020年9月30日 (水)

いとゆゆしういみじき秋

 爽やかな秋の日です。小金井の空気も爽快。空が高いです。

 娘(仮称ケミ)は、今週末が運動会の予定なのですが、もう一つ盛り上がっていないのは、運動会といいながら、かけっこ系がすべて中止になり、ソーラン節を踊るだけなのだとか。「かけっこはツバが飛ばないのに」とはケミさんの苦情。ごもっともですが、今年は仕方ないか。

 昨日一昨日は、一週間のスケジュールで一番ハードな横浜-吉祥寺-仙台の日でした。

 授業をしていると感じないのですが、休憩時間や移動の時間に、疲労の蓄積を感じつつあります。電車に乗って座るや意識を失う日々です。

 差し迫ったデスクワークは某東大対策添削だけなのですが、進めておかないとヤバいからなあ。

 今日のタイトルは、最近、現代語訳していて気になったこと。『源氏物語』紅葉賀巻、藤壺との不義の子と対面した源氏が、この皇子の容貌につしいて感慨を述べる箇所です。

 「うち笑み給へるが、いとゆゆしううつくしきに、我が身ながらこれに似たらむは、いみじういたはしうおぼえ給ふぞあながちなるや」

 少しお笑いになる皇子の非常に可愛いらしい容貌に、この子に似ているとしたら、我が身ながら非常に身を大切にしたい美しさだと感じる源氏を、語り手が身勝手だと批評しているのですが、程度のはなはだしさを表す語が「いと・ゆゆし・いみじ」と三種用いられています。

 これ、バラバラに出て来ると、全て”たいそう”で済んでしまうのですが、まとめて出て来られると、訳し分けたくなります。

 「ゆゆし」はもとも不吉さを表す言葉なので、”恐ろしいほど・不吉なほど”などとすればよいにしても、「いと」と「いみじ」はどう処理するのか。

 どちらも「ゆゆし」「いたはし」という形容詞の程度のは甚だしさを言っているのですが、うーーん。どうしたものか。

 紫式部は使い分けていたんでしょうからねえ。~o~;;

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2020年7月16日 (木)

「心」は知りきや~『源氏物語』に関する些細なこと8

 ちょっと久々に『源氏』些細なことシリーズです。

 「紅葉賀」巻、試楽での青海波の舞の後、源氏の送った和歌とその返歌が今回の重箱の隅です。

 「(源氏)もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖うちふりし心知りきや

   (中略)

  (藤壺)から人の袖ふることは遠けれど立ちゐにつけてあはれとは見き」

 この贈答歌に対して、従来、「『袖ふる』は、相手の魂を招き寄せる古代的な発想。舞の所作にそれを言いこめたか」「青海波は、(中略)本来唐の楽なので『から人』といった。『袖ふること』に『古事(故事・来歴の意)』をかける)(小学館『新編古典文学全集』頭注)」などと注を施して、

 「物思いのために、とても舞うことなどできそうもない私が、とくにあなたのために袖を打ち振ってお目にかけた、この心中をお察しくださいましたか」

 「唐土の人が袖を振ったて舞ったという故事には疎うございますが、あなたの舞の一挙一動につけて、しみじみ感慨深く拝見いたしました」(新編古典全集訳)

 のように訳して済ましてきました。

 しかし、なんだか奇妙です。源氏が「心中をお察しくださいましたか」と訊ねているのに対して、何故、藤壺は「故事に疎い」などと頓珍漢なことを答えているのでしょう。問いと答えが呼応していないのです。

 手元にある注釈書の類でこの呼応関係の不備に触れているのは、こういうことには機敏な反応をする玉上博士の『源氏物語評釈』です。

 「藤壺の歌では青海波が唐舞であることに託されて、唐人の心にすりかえられている。唐人の袖ふる心は、遠い異国の心なので私にはよくわかりません。しかしあなたの舞いぶりの見事さには感心いたしました」

 この説明は、これを読む限りで納得できるのですが、和歌の表現としては「唐人の袖ふること」なのですから、それを「唐人の心にすり替える」と説明して良いものなのか、少し疑問が残ります。

 思うに、ここで藤壺は、「心」という語の多義性を利用して源氏の和歌を巧妙にはぐらかしたのではないのでしょうか。

 「あなたを慕って袖を振る私の『心=思い』をお察しくださいましたか」と迫る源氏の歌を、青海波という唐人の舞において「袖うちふる」行為に込められた「心=意味」を聞いているものと意図的な誤読をして、「私は唐人の舞の故事には疎いので、袖を振る『心=意味』は理解できません」とはぐらかしたのではないかと。

 とここまで書いて思ったのですが、もしかして、『新編全集』などの執筆者達も上記と同様に考えていたのでしょうか。しかし、それにしては、『新編全集』では、和歌直後の「おほかたには」を「とても並々の思いではありません」などと取ってるからなぁ。はぐらかしていると取っている感じじゃないですよね。

 このあたり、諸注釈の説明が不十分な感じで、自説がどこまで独自性をもっているのか判断つきかねます。諸先生方に「『心』は知りきや」と訊ねてみたいのですが、どうなんでしょうかねえ。~o~

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