2021年6月19日 (土)

「読める」と「夢になる」の相関性

 最近、この季節の重荷、某東大対策添削をこなしています。

 某東大を受けようと(少なくとも今は)思っている人達なのですから、ウチの予備校の中でも学力の高い人たちのはずなのですが、かなり出来不出来が分かれます。単語文法の知識量の違いによるところもあるのですが、どうもそれだけではなく、勘の良い人と悪い人で得点率が大きく分かれるようです。

 昨日つけていた理系クラスの冊子にも、知識量はないクセに妙に話の筋が判っていてる答案が混ざっていました。所謂「読めている」子です。

 こういう「読める」子の指導は簡単です。単語文法の知識を増やして減点要素を減らしてやれば、後は本人が勝手に得点します。この子はこれから伸びるな、きっと。

 クラス担任に話を聞いたら、他の教科も有望な子なのだとか。

 こういう、「読める」と「読めない」の差は、どこから来るのかというと、もちろん、今までの読書量などもあるのでしょうが、モノガタリを獲得しているかどうか、なんてことも関わっていると思われます。

 モノガタリってのは、こういうことなんですが…。

 もう十五年も前の記事なんだけど、我ながらなかなか良いこと言ってますね。~o~

 そういう点でいうと、うちの娘(仮称ケミ)なんかは安心かもしれません。なにしろ、家族との日常会話に「芝浜」のオチが出て来る小学生だからね。

 落語を聞く事は、間違いなくモノガタリの継承獲得につながるでしよう。志ん朝さんも大須のマクラで「子供には落語を聞かせなきゃいけない」なんて力説してるけど、ホントその通り。

 某文部科学省さんも、道徳の教科化なんて大馬〇なことは止めて、落語の教科化でもすれば良いのに。~o~

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2021年5月27日 (木)

幻想の超克~ある日の新聞記事から

 昨日の朝刊に夏の東京五輪中止を求める社説が載って、ちょっとした話題になったそうです。しかし、「賭けは許されない」とは、拍子抜けするほど当たり前の話です。

 その社説の隣の紙面に、ICT教育についての記事がありました。それを読んで思い出したことがあります。

 昔、多分五十年以上昔、ディズニーか何かのお気楽映画で、コンピューターが競馬の予想をして大儲けする話を見たことがあります。その時、子供ながらにちょっと違和感を感じたものでした。

 確かに、当時からコンピューターだったら何でも可能になるという幻想がありました。上記の映画はその幻想に則った筋立てなのです。コンピューターを利用すれば何だって出来るんじゃないかと大多数の一般人が考えるから成り立つ筋立てです。

 しかし、いくらコンピューターだって大儲けするほど競馬みたいなものを当てられるのかしらん。

 子供だったワタシは薄々そんなことを感じていたんだと思います。そして、その予感はスーパーコンピューターやAIが発達した現在に至って妥当なものだったと実証されました。

 某文部科学省さんの「GIGAスクール構想」とやらは、どうも、上記の映画の時代から脈々と「コンピューター幻想」が続いていることの証左のようです。

 コンピューターを利用しさえすれば、「学びの個別最適化」をすることも「創造性を育む」ことも、何だって可能なんだー。

 とは、随分と単純なんですね、文部官僚って。~o~

 そんなことが可能になるエビデンスは無いと新聞記事は言っています。そりゃそうだろ。

 ICT授業をやらされる身となって、切実に感じます。ICTはただのツールに過ぎないのだと。

 確かに、子供たちがお手軽お気軽に学習を進められます。多少、ゲーム感覚もあって取り組みやすいのは事実です。しかし、それが学力の獲得につながるかどうかは、結局のところ、教材の良しあしによるし授業を運営する教師の努力によります。要は人間の力です。

 ICT授業を企画する側も教材作成の側も授業運営する側も、全ての授業に関わる人間がコンピューター幻想を超克してこそ、有効なICT教育が成立するのです。ICTはただのツールであり、その効果は利用の仕方によって決まるのだと、全員が地に足をつけて考えなければならないということです。

 コンピューター幻想に捉われたままのICT運営は、結局、子供達を「実験台」にすることになります。賭けが許されないのは教育も同じなんですよね。

 というわけで、今、今週のICT授業の準備をしています。コレ、マジで大変なんだよー。~o~;;;

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2020年10月 2日 (金)

三五夜の思い

 昨日は仲秋の名月だったようです。

 夜の池袋の授業が終了して、小金井に帰ってみると、お団子が待っていました。小金井の我が家の窓からも月影は鮮やかでした。

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 月にダンゴ↑。

 お団子食べながら、前日の夕刊の記事について考えていました。

 「逆風の古典 見つめ直すと」のタイトルで高校国語における古典教育の必要性の是非を論じていたのですが、うーーん。

 故A先生なら、「私達が来た道を知らずして私達自身を知る事はできません」とおっしゃるでしょう。講義の中でも、古典を学ぶ意義について何度か語っていらっしゃったと記憶しています。

 故A先生は、押しも押されぬ『源氏物語』の大権威ですが、ご自身が『源氏』に取り組んだきっかけについて、「戦後、我々は古い日本と対峙せねばならなかった。今までの日本を打倒せねば、新しい日本の道は開けないと思っていた。今までの日本を打倒するためには、古い日本の本丸である『源氏』を知る必要があった。それで取り組んでいるうちに取りつかれた」という意味のことをおっしゃっていました。

 古典を学ぶことは日本文化を知ることです。日本文化というのは、すでに死んだ化石などではなく、今生きてる自己そのものです。自己の思念、思想、言語、感性、それら全てが日本文化の上に生まれたものです。例えば、この夜、小金井の窓辺に置かれた月見団子だって日本文化の産物です。

 そして、A先生もおっしゃっていたように、日本文化を知らずに自己変革も自己向上もありません。いわんや、文化や社会の進歩発展もありません。

 古典を学ぶことなくGDPやら収入増加やらを求めるのは、根のない切り花だけを求めるようなものです。日本全体でそんなことを始めたら、ほどなく花も咲かなくなります。

 夕刊の記事によると、切り花だけを求めるかのような新学習指導要領に、日本学術会議が提言をまとめ、「現代人と古典を分断しかねない」との危惧を示したそうです。

 その日本学術会議自体が、政権側からコントロールされようとしていると、今朝の朝刊は訴えていました。学術会議の皆さん、ここが踏ん張りどころですよ。

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2020年5月20日 (水)

問われる日々確かめる日々

 今週、娘(仮称ケミ)は小学校の課題である「東京都大使」というのに取り組んでいました。東京の地図に名所を書き込んで写真を貼り説明を加えるというもの。

 自分で行ったことのある高尾山やら小金井公園は簡単で良かったのですが、適当な写真が見当たらない多摩動物公園やら狭山スキー場やらはワタシに適当な写真を探させます。

 しっかし、「狭山」って東京都なのか???

 という疑問は、「ま、いいじゃないですか」と愚妻Yに押し切られました。~o~;;;

 困ったのは、「皇居」について問われた時。日本の親が子供に何か教えようとする時の最難問の一つでしょう。仕方ないから、ゆっくり時間を掛けて、歴史を遡って教えました。自分自身の日本人としての基本的スタンスを確かめるような作業です。

 昨日は、ケミさんのレーシングコーチとの面談の日でした。面談と言っても、このご時世なので会うわけにいかず、電話面談ということになりました。

 ケミさんのレーシングコーチの良いところは、子供に単に技術を教えるだけでなく、レーサーとしての自立を求めるところです。小4と言えども、昨シーズンの反省を求められます。

 もちろん、小4ですから、かなりソフトな求められ方なんですが、それでも、「野沢のレースのゴール前のプルークは何秒ロスしたと思う?」「今シーズン、コーチに言われた自分の欠点を三つあげてみて」などという問いには、ケミさん大分困ってしどろもどろでした。

 今シーズンの自分自身を確かめる作業です。少しずつそういうことも出来ないとね。

 今日、我が家は、久々に車を動かしてみました。ところが、またまた故障が…。

 軽い入院です。確かめたのは、この車はもう当てにしちゃいけないこと。問われたは我が家の経済力…かな。~o~;;;;

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2020年4月19日 (日)

若紫と滑りおさめ

 自己監禁生活十二日目。うーーん、十二日目ですか。感慨ヒトシオ。よくぞ、自己監禁をこんなに続けられたモンだね。

 こちらが感慨に耽る間に、娘(仮称ケミ)と愚妻Yは、丸沼高原の最終日に行っていました。

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 ゴールドコースのシングルに乗るケミさんです↑。

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 日光白根山をバックにしたケミさん↑、

 何だか、丸沼は良いコンディションだったようですが、それも今日まで。ケミさん、滑りおさめです。

 ワタシの方は、デスクワークです。春の疫病と言えば、『源氏物語』若紫巻。

 「瘧病にわづらひ給ひて」で始まるこの巻は、やはり名文だと思います。異常にサッパリしてます。

 鹿沢高原はやっているらしいのですが、しかし、苗場からは遠い。滑りたがりYさん、今シーズンの滑りおさめでした。こんなシーズンに怪我もトラブルもなく、無事に滑り終えられてヨカッタよ。~o~

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2020年1月30日 (木)

敬語とビデオの日々

 今週は採点ウィーク。ワタシはひたすら机に向かい採点採点採点です。

 それにつけても、高校生、現代語の敬語に弱いですね。判っていたことのつもりだったけど、「会ひ給ふ」を、約三割ほどの子が”お会いする”と訳しているのには呆れました。

 ”お会いになる”は尊敬語表現、”お会いする”は謙譲語表現って、これほど多くの子が理解していないのはちょっと驚きでした。試しに国語オンチの愚妻Yに聞いてみたのですが、まるで違いを理解していませんでした。

 今、試しに娘(仮称ケミ)に違いを聞いてみたのですが、ケミさんはしばらく考えて、「”お会いになる”は誰かと誰かが会っていると他の人が言う時、”お会いする”は自分が誰かと会う時に使う」。ほほう、正解に近いです。さすが読書家ケミさん。

 尊敬語表現を自分に使わないのは当然として、現代語の謙譲語表現はへりくだり感がありますから、かなり多くの場合、自分が主語になります。実際の使用場面としてはケミさん正解。もちろん、”お会いになる”は、敬意の対象が主体、”お会いする”は敬意の対象が客体というのが文法的正解ですけどね。

 例えば、ヨドバシでプリンター買った時に、客に敬意を払うヨドバシの店員が、「お持ちになりますか」と言ったら、「お客様、あなたが自分で持ちますか」の意味であり、「お持ちしますか」と言ったら、「私がお客様のために持ちましょうか」の意味になるという具合。

 ヨドバシの店員が使う程度の敬語を、約三割の高校生が理解してないということは…、約三割の日本の若者はヨドバシで働けないってことね。~o~;;

 スキーに出掛けられない平日の我が家は、時間的余裕があるので夕食を映画ナイトにすることがしばしばあります。たいていは自称映画ファンのYクンがDVDを選んできて、かなりの確率で失敗するのですが、一昨日昨日は、珍しくアタリました。

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 一昨日が『Jumanji』、昨日が『ミセスダウト』↑。両方とも名優ロビン・ウィリアムスのコメディーです。これは両方ともケミさんにもウケ、ワタシも安心して見られました。なーんだ、こんな良いの知ってたら、出世作にこだわらなくて良かったのに。

 昨日は、ムービーナイトの前にちょっとしたセレモニーをしました。Yクンの誕生日祝いです。本人は「永遠の37才」と称しているので、誕生日の必要はないのですが、まあ、七回目の37才ってことで。~o~

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 ケミさんのプレゼントは、ワタシももらった整理箱と同じ物↑、ワタシのは写真右下の財布でした。ケミさんは、「整理」と書けるようになって得意そう。ワタシのは、二か月ほど前に家族で出かけた時にYが気に入って眺めていたのを、その翌日こっそり購入して隠して置いた物。サプライズだったようです。

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2019年11月22日 (金)

息災安寧の祈り

 水曜は、「一年で一番忙しい日」だった日でした。今年もまたこの日を過去形で語れるのはありがたい。~o~

 早朝から模試の採点基準を練りました。自分で作った模試は隅々まで承知しており、採点のアウトラインは出来ているはずなのですが、実際の答案を見つつ細かい基準を決めるという作業は難渋を極めます。なにしろ、こちらの予想したのとは全く違う思考パターン違う語彙を持つお子さんがたくさんいるので。

 午後、立川の授業に出掛けましたが、この日は高校生の授業がお休みなので、帰宅して再び夕方まで基準作り。ようやく夕方それらしき物が出来上がり、会議に出掛けました。

 毎年、採点をお願いしているベテランの先生方に採点基準を説明し、答案を見ながら細部を詰めて行きます。この場で、さらに全く違う思考パターン違う語彙のお子さんを多数発見し対処を検討し意見のすり合わせをし、本当に細かい部分まで採点者の意思統一を図って、これで万全、と思った時にはすでに数時間が経っています。

 木曜は午前中あざみ野で授業でした。帰宅後、いよいよ採点開始。あれだけ慎重に決めたはずの採点基準なのに、またまた予想外のものが出て来て驚かされますが、まあ、採点者の意思統一は出来ているので、何とかなります。

 しかし、ワタシがこれだけ慎重を期して採点基準を決め、実力も経験も十分のベテランで、しかも気ごころの知れた信頼できる先生方だけで会議をして意思統一を図り、採点に取り掛かっても、なお、予想外の事態が起こるのです。しかも、この模試は参加者がそれほど多くなく、受験者はある程度の学力のあるお子さんばかり。それで、こんなに大変なのに…。

 全国の何十万の受験生の答案を、アルバイトを含む一万人で採点するという新テストの記述問題の採点で公正さを保てると妄想している人達って…。

 気が遠くなるくらい大バ〇です。というか、現場の現実を知らなすぎます。

 我々の採点の方は順調に進み、金曜は町田で授業。二学期第十二週目が順調に始まりました。

 この日は、毎年恒例、旧暦神無月亥の日です。

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 亥の子餅を祝い、息災を祈ります。今年は、新テストに臨むはずの高2生のためにも、安寧を祈りたい気持ちです。

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2019年10月11日 (金)

我がことなりと定家言い

 二学期第六週がほぼ終了しました。やはりちょっとホッとしています。

 某東大対策添削も提出し、新たに襲って来た模試の採点という敵も意外に楽だったりして、順調そのものだなと思っていたら…。

 やはり、台風ばかりはどうにもならないようで、明日は特別授業も含めて休講。またまた借金です。

 まあ、この辺りで少しノンビリさせてもらうのも良いかも。

 というわけで、浮世離れした『源氏物語』の話。今週、青表紙本「若紫」巻が発見されたという驚天動地のニュースが新聞紙面を飾りました。伝定家筆青表紙本は、「花散里」「行幸」「柏木」「早蕨」の四帖のみが現存するとされていて、新たに見つかったのは八十年ぶりだというのですから驚きです。

 今まではオリジナル青表紙本の様態を残すとされていた大島本(室町時代)で読むしかなかった「若紫」を、定家オリジナルの形で読むことが出来るなんて…。

 先生、お逝きになるのが四年ほど早過ぎました。

 しかし、この時代に発見されたのが「若紫」とは、なんとも暗示的です。「若紫」は、谷崎が最初の潤一郎源氏で訳せなかった巻なのですから。

 これは、定家卿の警鐘ではないかと思います。再び「若紫」の読めない時代を出来させてはならないと。

 「紅旗征戎我がことにあらず」とは、源平の争乱時の定家卿の言葉です。しかし、この時代のこの問題については定家卿も「我がこと」と考えるはず。戦前という反日本文化の時代の再来は、定家卿だって許せないはずです。

 再び「若紫」の読めない時代を出来させてはならない。

 源氏物語研究者達は、今こそ声を上げねばならないのではないかしらん、どうなの高木さん。ジェンダーなんてノンビリ論じてる場合じゃないよ。

 少なくとも、A先生なら、何か積極的に発言なさったのではないかと、不肖の末弟子は思わずにいられません。

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2019年7月17日 (水)

反日本文化を憂う

 何でも、『〇戯王』とかいう漫画の作者の方が、現政権を「独裁政権」とツィートして話題になってるそうです。

 わかってるねー。~o~

 こういう、ものが分かっていて志のある方は、どこにでもいるんですね。

 それに対して、「良い独裁もある」などとあまりに愚かな反論を加えた御用放送局員がいたとか。うーん。

 つまり、「(権力者をヨイショしたい自分たちにとって都合の)良い独裁」ってことか。どーしょもない輩も、また、どこにでもいるってことですね。~-~;;

 漫画作者の方は、現政権を売〇政権とも呼んだそうですが、それはともかく、現政権が「反日本文化」であるのは間違いないでしょう。

 現政権が強力な基盤としている「日本〇議」とやらは、戦前社会を理想としているのだとか聞いています。とすると、その考え方は、「反日本文化」的です。戦前は、日本文化の最大の華『源氏物語』に抑圧を加えた時代ですから。

 そもそも、日本文化というのは、他国の文化をリスペクトする文化です。隣国大嫌い演説をするような輩とは正反対の文化です。「大和魂」とは、本来、他者と調和する心の働きを言います。決して、日本的戦闘スピリットではなかったのです。したがって、隣国大嫌い演説などというものは、そもそも「反日本文化」なのです。

『源氏物語』もまた、隣国へのリスペクトが生み出したものです。紫式部の父藤原為時は時代を代表する漢学者で、紫式部はその薫陶を幼い頃から得ていたバイリンガル女子です。中国文学、例えば白氏文集へのリスペクトなしに、『源氏』もまた、存在しないのです。

 そういう意味で、あらゆる排他的思想は、反『源氏』的なのです。そういう『源氏物語』が、戦前という排他的時代に抑圧を加えられたのは、偶然ではないのでしょう。

 『源氏物語』は世に出て千年もの間、一瞬の絶え間もなく、日本文化の華として仰望され、文化に携わる全ての日本人から惜しみない賞賛を与えられてきました。その『源氏物語』千年の享受史の中で、唯一戦前と呼ばれる十数年ほどの間だけが、『源氏』をリスペクトせず、『源氏』を排除しようとしたのです。

 その戦前という時代に戻そうなどというのですから、「日本〇議」という連中が、いかに反日本文化的かわかります。そして、その連中に支えられている現政権は、反日本文化的政権ということになります。

 ワタシの亡き恩師は、「愛子」さんの名付け親になったような方でしたが、生前、しきりに現政権と日本の行方を憂えていらっしゃったと、葬儀の際の挨拶でうかがいました。その先生が昨今の日本の情勢を御覧になったら、どんなにお嘆きになることか…。

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2019年4月 9日 (火)

12年後の裏切り

 娘(仮称ケミ)は、昨日から三年生の新学期が始まりました。

 ついこの間、ピカピカの迷子になっていた子が、いやはや、もう三年生かよ。~o~;;

 んで、三年生になったからというわけではありませんが、とうとう、こんな物をケミさんに与えることになりました。今日、帰宅してこれを見たケミさん大喜びです。2019040911390000

 12年前にはこんなこと書いてたんですけどね、ワタシ。~o~;;;

 言い訳をしておくと、この「キッズ携帯」ってヤツは、登録した番号にしか電話メールができません。したがって、12年前に書いた携帯の弊害はほとんどありません。

 先日の「お一人様」の前に、何か我々に対する連絡手段がないと拙いという話になって購入契約したものが、遅れてやっと届いたということです。まあ、これからも「お一人様」は増えていくでしょうから。

 でも、スマホだけは持たせないぞー。~o~

 実は、これは我が家では密かなオキテになっています。そのために、ワタシもスマホを持たず、愚妻Yにも持たせていません。それで、今回契約に行った某docomoの店員に、Yは変人扱いされたそうです。

 しっかし、このキッズ携帯という商品は、子供にスマホ等を持たせたくない親御さんに支持されて売れてるんじゃないんですかねえ。そうでもないのかしらん。

 スマホの使用時間と学力は反比例するという調査があるそうですが、そうじゃなくたって、あんな中毒性のある物を、自制心が発達しきってない子供に持たせたら、依存症になるにきまってます。その弊害は単純な携帯電話の比ではないでしょう。

 先日、スマホの学校への持ち込み禁止を文科省が見直すという報道があり、それに対する賛否両論が起こった結果、トンデモナイことを言い出す方も現れてきたようです。

 今回、ちょっと検索を掛けて出て来た「トンデモ」にこんな趣旨のものがありました。

 これからの子供たちにいちばん必要なのは、コンピュータを理解すること、そしてそれをいかに使いこなすかということだ。それを真っ先に教えなければならないのが、教育現場ではないだろうか。その教育現場に、スマホを持ち込むのはいいが、使わせないというのだから、信じがたい。スマホはコンピュータではないのか?

 この人、「ICT教育」の必要性を論じる文脈で上記の主張をするのですが、ICTは教育のツールでしかなく、PCやスマホを使いこなす術とは異なるもののはず。まして、「コンピューターを理解すること」が「真っ先に教えなければならない」ことのわけはありません。授業でボールペンというツールを使わせる時に、「ボールペンを理解することが真っ先に必要だ」と言うかってことです。

 PCを理解することの前に必要なのは明らかに「日本語教育」です。日本語や基本的な数学の教育が十分に済んでいない小中学生に、日本語よりPCの理解を優先させて良いはずがありません。まして、ICT教育やPCの理解とは直接関係ないスマホ持ち込みを、弊害を考慮に入れずに認めるなどというのは、言語道断の暴論です。こういう暴論は世間に支持されないと信じたいです。

 少なくとも、ウチの娘だけは、こういう暴論の影響を免れてほしいと願ってやみません。

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