2008年3月19日 (水)

エンジン始動とコブライン取りの相関性

 今日は、八王子を出て八海山へ移動、午後は八海山で滑っていました。

 八王子の自宅を出る時のこと。ウチのマンションは地下に機械式の三段組の駐車場があるのですが、それを操作して車を出そうとしたところ、突然、三段組の上の段に駐車している車のエンジンが掛かりました。げげっ!あの車、人が乗ってるのか?!

 しばらく様子を見ていたところ、背後から人が近づいて来て、「あっ、その車、ウチのなんです」

 どうやら、離れた所からエンジンを始動できるテクノロジーを搭載した車だったらしく、地下駐車場に下りて来る前に、エンジンを始動させちゃったらしいんです。しっかし、機械式駐車場の三段組の上段に乗っている車のエンジンを始動させて、何が面白いっていうんでしょう。車を出そうとしている人間がいたら、驚いて操作をミスしないとも限らないし、もし間違って車が動き出しちゃったりしたら大惨事なんですけどねえ・・・。

 それにしても、この離れた所からエンジンを始動出来るテクノロジーって何かの役に立つんでしょうか。ちょっと使い道を思いつきません。今時、暖気運転が必要な車なんて有り得ないし、あらかじめエンジンを始動させておくメリットなんて無いんじゃないでしょうか。早くエンジンを掛けてアイドリングでガソリンを余計に使い、地球温暖化を少しでも促進したいという「寒がり」の人以外には、意味のないテクノロジー。物珍しさだけの、技術のための技術です。つか、こんな車作ってるメーカーに「エコ」を名乗る資格はないんじゃないでしょうか。

 こういう、役に立たない無駄な技術って、日本には、けっこう身の回りにあるような気がします。例えば、便座に座るとウォシュレットのスウィッチが自動的に入り、便座から立ち上がると自動的にスウィッチが切れるテクノロジー。ウォシュレットのスウィッチくらい本人が自分で入れる方が良いに決まってます。自動で切れる装置は、ちょっと身動きしただけで勝手に切れてしまい、却って面倒なんですよね。

 日本人って技術があるというだけで価値を感じてしまうことが多いように思います。でも、技術は人の役に立って初めて存在価値を持つんじゃないでしょうか。役に立たない技術は技術者の自己満足に過ぎないと思います。

 そういう意味では、コブのバンク滑りなども同様の技術のように思います。確かに、バンク滑りを極めるのは難しく、バンクを使ってコブの中で内傾角を取ってカービング的に滑る技術は高等技術とされることが多いのですが、でも何の意味があるんでしょう。

 バンク滑りを極めても、ちっとも早くないし、安全でもありません。コブ斜面を滑り降りるのは遅くなるし、雪だまりなどがあった時の危険度も増大します。コブを安全かつ早く滑り降りるラインは、モーグル選手のような真っ直ぐに近いラインなんです。そして、この技術は、本物のモーグル選手のようにタイムを争うのでなければ、比較的簡単に身につけることが出来ます。

 バンク滑りは、バンク滑りをして作ったバンクコブ以外にはあまり意味のない技術です。もちろん、コブ外側のバンクを多少利用するという程度なら、安全性を高める意味があるのですが、バンクを使って内傾角をとってカービング的に滑ることには、ほとんど意味らしいものは無いと思います。つまり、技術のための技術。技術者の自己満足のための技術なんじゃないでしょうか。離れた所からエンジンを始動させたり、ウォシュレットのスウィッチを自動的に切ったりするのと同じです。

 今年の全日本技術選などを見ていると、以前よりもコブ種目でバンク滑りをする選手が少なかったように思いました。バンク滑りで一世を風靡した丸山貴雄選手でさえ、今年は直線的なライン取りでした。そろそろ、バンク滑りの有効性に対する見直しが始まっているということなのかなぁ、と勝手に思っちゃったりしたんですが、どんなモンでしょうかねえ。~o~

<謝罪と釈明>

 この記事に関して、やまとさんから、「『無駄な技術』の積み重ねから、『ほんとうに人々の役に立つアイデア』が生まれてきたりするものだ」というご意見をいただきました。現在ワタシも全くその通りだと考えます。

 常々、学問研究の世界では、一見無駄な研究の中に人間が生きていく上で大事な要素が含まれていたりするものだと考えていました。ワタシがかつて携わろうとしていた「国文学」などはその典型です。そのワタシが、「役に立たない技術は技術者の自己満足に過ぎない」などと書いてしまうのは、全くの自己矛盾です。

 また同時に、今現在、学問研究に携わっている方達に対して大変失礼な表現でもありました。ここにお詫び申し上げたいと思います。

 釈明をさせていただけば、常々、「最新の技術は何でも優れていて役に立つ」という幻想を利用して新商品を売り込もうとする日本の企業やSAJと、その幻想を鵜呑みにして商品を受け入れてしまう消費者およびスキーヤーに不満を感じており、それが「立体駐車場エンジン始動事件」をきっかけに爆発したのがこの記事でした。「技術者の自己満足」発言は、「爆発」の勢いが余ってキーボードが滑ってしまった末の失言でした。

 しかし、本当に責められるべきは幻想を利用する者達と幻想を鵜呑みにして盲信する者達であり、技術を開発する方達ではないはずなのです。その点について全く考えが足りませんでした。

 スキーについて言えば、バンク滑りという新しい技術を編み出し試み、それを楽しむ人に罪はなく、むしろ讃えられるべきなのですが、その新しい滑りの有効性をろくに検証せずに絶対視して商品化したり、バーン状況を考えずに盲信したりすることに問題があると今は考えています。

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2008年2月 1日 (金)

遠く焦がれる文化

 先日、友人S氏がブログで、「実は・・・間違えて音読していたコトバランキング」というのを紹介してくれました。ナルホドねと思わせる反面、ちょっと気になることもありました。

 確かに「間髪をいれず」「野に下る」などは、「かんはつ」「やにくだる」と読むのが正しいという感覚はあります(PCも「かんぱつ」で変換するのにはちょっと笑いました ~o~)。しかし、一位になった「いそんしん」とか八位の「ありうる」なんてのは、どうなんでしょうねえ・・・。

 「依存心」のように音の清濁の問題は、時代によって変化したりするのは普通なんじゃないでしょうか。もし、古い読みが全て正しい読みだというのなら、「前世」は「ぜんぜ」じゃなきゃいけないということになるんでしょうか。清濁以外でも、時代によって読みが移るのは普通です。古い方が正しいってんなら、「御乳母」を「おおんめのと」と読みますか?~o~;;;

 言葉の正しさなんて、その時代のマジョリティがどちらを支持するかで決まるんじゃないでしょうか。「依存心」を現代の100%の人が「いぞんしん」と読んでいるなら、それは、現代における正しい読みということになるんじゃないかと思うんですよね。

 「有り得る」の場合は、もっと変です。だって、「得る」を下二段活用させる人間なんて現代では皆無でしょう。「ありえる」が現代語としては正しいはずなのであって、「ありうる」は古い間違った読みって言わなきゃオカシイんじゃないでしょうか。

 これが英語だったら、恐らく、「そんな表現、英語圏ではもう誰も使わない」とか「そんな言い方は古い間違った表現だ」と言い出す人が必ずいるはずですし、皆、それで納得するでしょう。何故、日本語だとそうならないのでしょう。

 思うに、日本文化って、「ムカシ」に焦がれる文化なんじゃないでしょうか。末法思想なんかの影響もあるでしょうし、王朝文化に対する懐古趣味もあるでしょうけど、それ以前から古代は「聖帝の御代」だったり「上つ世」だったりするわけです。物語説話の類の発想にも、根源的な所に「ムカシ」に対する焦がれがあります。

 「誤った現代」の対極に幻想される「正しい古代」を、何時でも日本人は抱え込んできたんじゃなかろうかと思うんです。

 そうして恐らく、我々の世の中の対極の「正しさ」は、時間軸上に存在するだけでなく、空間的にも存在します。我々は、常に、海外に対してリスペクトを抱き、海外の評価を気にする民族です。映画監督でもスポーツ選手でも文学でも漫画でも音楽でも、あらゆる文化的現象が海外を基準に評価されます。海外で高く評価されるものが本物で、海外で評価されないものは、マガイ物ということになります。

 自分自身の価値観を誤り劣っていると認識し、正しく優れた他者に対して遠い焦がれを抱き続ける、それが我々の文化の本質なのではないか、などと、ランキングの話が超大袈裟な妄想に肥大してしまった夜なのでした。~o~

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2007年11月15日 (木)

期待しないでネ

 今日は昼間町田、夜自由が丘の日。仕事の合間にネットを見ていたのですが、『ドラゴンボール』実写版がハリウッドで作られるのだそうです。なんだかスゴそうですね。『鉄腕アトム』もハリウッド版が出来るらしいし、これからますます日本の漫画文化は世界に出て行くことになるのでしょう。なにしろ、『ドラゴンボール』だけではなく、『キャプテン翼』なども世界的に親しまれているのだとか。セリエAの選手、例えばミランのガットゥーゾなんかもイタリア版「キャプテン翼」を見て育ったってんだから、スゴイ。

 仕事の後、自由が丘の居酒屋「すず屋」で、山形県水戸部酒造さんの「山形正宗 純米吟醸 稲造」と福島県喜多の華酒造さんの「純米吟醸 至誠一貫」をいただきました。「稲造」は、自家栽培山田錦55%精米。含んだ瞬間に瑞々しく、軽い甘味旨味の後、スパッと切れます。鮮やかなキレ味。「名刀正宗の切れ味をお楽しみください」とラベルに書いてあるだけのことはあります。

 一方、「至誠一貫」は、ちょっとビックリさせられます。何だろうこの含み香は。酢酸エチル臭(所謂「セメダイン臭」)に近いのですが、それとも少し違うような。なんだか人工的な感じの匂いです。「ガラナ」に似ているかも。「日本酒ではない何か」という印象です。ただ、決定的に不味いわけではなく、このホワンとした風味はギリギリで「美味い」の範囲に踏みとどまってるかなという感じ。不思議な酒です。

 さて、明日は午前中池袋で授業なのですが、最近、池袋のクラスは、妙な感じでウケでしまいます。ワタシ個人は普通にしゃべっているところで、妙にウケてしまう子がいて・・・。~o~;;;

 先週、『源氏』バナシの中でK先生の伝説が大ウケしてしまったこともあって、ちょっと今からプレッシャーです。期待されていると思うと、何か面白いこと言わねばならないのかもしれないけど、あいにくワタシは本来、地味な授業をする人間なのでねえ。期待していないと良いのですが・・・。期待されると予習がツライよ。~o~;;;

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2007年11月 1日 (木)

KY文化の落日

 なんでも、日本シリーズで中日の投手が完全試合をしそうになったそうで、ワタシゃ夜まで仕事で全然知りませんでした。もっとも、日本シリーズなんて、我がホークスがCS敗退した段階で全く興味が無いので、仕事がなくても知らなかったでしょうけど・・・。さっきネットでチラっと見て驚きました。~o~

 完全試合を遂行中に八回で交代させられたということについて、いろんな人がコメントを寄せてるんですが、某○くみつるという漫画家さんが、「空気読めよと言いたい」と落合を非難していました。ところで最近、この「空気読め」とか「空気読めない」とか言う言葉がはやってるみたいですが、コレって何?

 例えば、この場合だと、「野球ファンみんなが何を願っているか、言われなくても推測しながら行動しろよ」ということなんでしょうねえ。しっかし、みんなが何を願ってるかなんて考えながら野球の監督できねーだろー、って思わないでもありません。だって、大半の野球ファンは、こんなに早く中日が日本シリーズ優勝を決める なんて願ってないでしょうからねえ。~o~;;

 監督という立場は、野球界全体の雰囲気なんかに左右されることなく、自分のチームを優先させるべきものでしょう。だから、落合を非難するとしたら、「監督としてではなく一野球人として百年に一度の記録を、もったいないと思わなかったのか」という角度からなされるべきなんじゃないのかしらん。

 こういうことまで、全体の「空気」読んでの行動を求めちゃう現代日本って何なんでしょう。ワタシ、自分がマイペース人間なんで、こういう「全体に合わせろ」発言はどうも好きになれません。特に、現代におけるKY主張は、上記の漫画家さんのごとく独創的個性的な判断を封ずるような雰囲気があってちょっとヤだなあ。矛盾した表現だけど、「全体の身勝手」みたいな気がします。ある意味ファシズム的です。

 しかし、古典の教師としては、この空気を読むという感じは判らないでもありません。主語を表記したがらない古典作品、例えば、『源氏物語』の文章なんて授業してると、行間の「空気」から言って、主体はこの人と決めなきゃいけないようなことが起こってきます。「論理」だけではなく、その場の「雰囲気」からこの人の発言と決定しなきゃいけないようなことがしばしばあります。実は、今日もそんな箇所を授業してきました。

 こういう場合、生徒さんは何か単純に判断できる基準を求めてきます。特に最近の生徒さんは、KY(空気読めない)なのでネ。~o~;;;;

 そういう生徒さんの願いに答えるべく、予備校屋の皆さんは、いろんな「公式」やいろんな「方法」を考えだしちゃうんです。まあ、某有名講師X某有名講師Aの「公式」なんかは、ハッキリ言って論外ですが、もっとマトモな先生でも、いろんなことを考え出します。例えば敬語の利用とか。

 ただ、この敬語を利用した主体判定、人物判定なんてものも絶対的な方法ではありえません。文章書く方も人間なので、いろんな例外が出てきます。所謂「敬語の不一致」がいろんな理由で出て来るんです。それらの例外を論理化するのは極めて難しく、良心的に教えようとすると、結局、最終的には、「その場の空気読めよ」になっちゃうんだよね・・・。~o~;;;;;

 今の子は、この「空気」読む(「文脈」を読むとも言える)力が極端にありません。こういう力をホントの意味で「読解力」って言うはずなんですがね。文法による論理化はいくら突き詰めても最終的には無理があるんですが、子供達は、それを求めているらしく、仕方ないので、ワタシなども出来る範囲で論理化を試みます。でも、出来るだけ単純な論理じゃないとウケが悪いんだよなぁ・・・。~o~;;;;;

 結局、子供達の文章KY化はどんどん進んでいきます。それは行間の空気読んで主語を推測する文化の衰退であり、突き詰めて言えば、語らわずとも他人の心理を忖度して思いやる日本文化(KY=空気読め文化)の落日とも言えるかもしれません。

 そんな現代の若者達が、全体に合わせることを求め、個性的判断を抹殺するかのごとく「KY!」と主張するのは、何だかゾッとする眺めです。それは他人を思いやる文化などではなく、単なる個性の抹殺、日本的なものの最も悪い側面の現われのような気がするんですよねぇ・・・、まー、ワタシなんぞがエラソーに言えることではありませんが。~o~;;

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2007年10月22日 (月)

「貢献」したがる日本人

 松坂君がプレーオフ第七戦で、とうとう勝ち投手になりました。岡島君も活躍したようで、けっこうなことです。松坂君には、ボストン移籍の時から非常に注目していたので、今年の最後にこの活躍は嬉しい限りです。ワールドシリーズではさらに良いピッチングを期待しています。

 さて、この松坂君を始めとして日本人メジャーリーガー出場のゲームを放送する時、あるいは、サッカーのヨーロッパ組の活躍を伝える時、メディアが好んで使う言葉が、「チームの勝利に貢献しました」という言葉。なんだか、ひっかかりませんか。「活躍した」なら判るんだけど、「チームの勝利に貢献」て何でしょう。だって、チームスポーツなんだから活躍すれば自然にチームの勝利に貢献するはずでしょ。

 多分、「活躍」というほどのはっきりした数字は残してないけど、チームの役には立ってるから安心してくださいという程度のつもりなんでしょうねえ、報道する側は。てことは、あんまり喜べる活躍じゃないってことか。

 だって、イチローが一試合五本ヒット打ったり、松井秀喜がホームラン二本で五打点くらいあげたり、俊輔がハットトリックしたりすれば、この言葉は使わないでしょうからねえ。

 それと、チームの中心選手に成りきれてない場合が多いかなぁ。「チームの勝利に貢献」しないと、オフにクビになるんじゃないかなんて場合。ロッキーズの松井カズオとかザルツブルグの宮本とか。この言葉を聞くとちょっとホッとしたりするかもしれませんね。

 でも、あんまりこの言葉を使われると、ちよっとイヤな気持ちになります。我々の優秀な製品が本場欧米の皆様のお役に立っています、みたいな感情が裏側に透けてる気がするんですが、考えすぎでしょうか。

 ちょうど、やたらにアメリカに貢献したがる政治屋さんみたいに、なんだか卑屈な気がしちゃうんですよねえ。~o~;;;;

 ワールドシリーズでは、松坂君も岡島君も松井カズオ君も、こんな微妙な言葉を使わなくて済む堂々たる大活躍をしてほしいものでアリマス。 

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2007年10月18日 (木)

お騒がせご迷惑の不思議

 なんだか、昨日謝罪した人達がいたらしいですね。今朝になって朝の情報番組で知りました。

 この謝罪会見ってヤツで良く使われるのが、「世間をお騒がせしてすみません」「皆様ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」ってな言葉。なんだか不思議な表現です。

 謝罪しているんだから、誰かに不利益が出るようなことをしたという自覚があるのでしょうが、謝罪会見ってマスコミや不特定多数の一般人に向けて行われるわけですよね。この場合、マスコミや不特定多数の一般人に何か不利益がもたらされたんでしょうか。

 今回の場合、不利益を被ったのは、なんと言っても、さんざん罵倒された上、危険な反則の被害者となったチャンピオンの内藤選手、それに、イメージが悪くなったボクシング界の人々、とりわけマジメに努力しているボクサー達などでしょう。マスコミなんて、今回の件で仕事をもらって大喜びなはずだし、ワタシも含めて一般人は面白がってるだけ。何ら不利益を被ってません。それなのに、内藤選手やボクサー達には一言の謝罪もなく、マスコミや世間の一般人に頭を下げちゃうってのは何なのでしょう、不思議。

 こうした謝罪会見の席ではよくあることだと思うのですが、自分が真に謝罪すべき対象を絞らずに、何でもとにかく頭下げておこう式の謝罪をする人々、多いですよね。「オレは悪いことしたとは思ってないんだが、マスコミが五月蠅いからとりあえず頭下げて見逃してもらおう」などという姿勢が透けて見えちゃってる気が・・・。~o~;;;

 これは本当に今回のことに限りません。例えば、近々行われるであろう、某ヨコヅナの謝罪会見。お願いだから、「世間をお騒がせしてすみません」なんて不思議なこと言わないでくださいね。アナタが謝らねばならないのは、巡業を楽しみにしていた爺ちゃん婆ちゃんであって、マスコミ様や世間様ではありません。マスコミや世間は、勝手に騒いでいるだけです。それによって不利益など被っていません。

 某ヨコヅナには、出来ればマスコミ向けの謝罪会見なんかせずに、巡業するはずだった町を巡って謝罪巡業をしてもらいたいし、もし会見をするならはっきりと、「私の巡業を楽しみにしていたファンの方達、申し訳ありません」と謝ってもらいたいもんでアリマス。

 それにしても、「世間をお騒がせしてすみません」という言葉、誰が最初に使ったんでしょう。不思議な表現です。もしかして、社会から突出することを罪悪とするニッポン的な感覚の表れなのかもネ。

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2007年10月15日 (月)

ニッポン・シュールレアリズム~はては亀田・沢尻か

 今日は、夜、吉祥寺で仕事でした。仕事を終えて夕食後、帰ろうとしたところ、吉祥寺ハモニカ横丁の壁に、演歌系の和服オ○サンの写真とともに、「吉祥寺サウダージ」の文字が。どうやら、吉祥寺御当地演歌らしいんですが、なんで「サウダージ」なの?!

 「サウダージ」と言えば、『あの日からサウダージ』。ボサ・ノヴァの歌姫ナラ=レオンが、某日本のビール会社のために書き下ろしたCM曲として有名です。「サウダージ」とはブラジル人の、懐かしさや憧れ、思慕を表現する言葉です。それが何故、御当地演歌『吉祥寺サウダージ』?! しかも、この和服オバサ○の作詞らしいんですけど・・・。

 だって、♪ジョージ ジョージ 吉祥寺♪とかって曲なんですゼ。いや、別に、良いんですけどね・・・。それにしても・・・、シュールだぁ。~o~;;

 いやー、いろんな人がいるよなー、と思って電車に乗ったら、漫画雑誌の釣り広告に『ラーメン王子』というタイトルとともに、上半身裸のイケメン風がラーメンすすってる絵が・・・。何故、このイケメン風は裸でラーメン食ってるんだろ?! シュールだぁ。

 シュールと言えば、某亀田弟。いろいろ報道を見てると、不思議ですねえ。どう考えても、世界戦の試合の前から、自分にプレッシャー掛け過ぎ。つか、一家揃って、プレッシャーを抱え込み過ぎ。あれじゃ、どんなに才能があったってツブれますよ。

 多分、どこかのTV局あたりが、「是非勝ってもらわないとネ、お願いしますよ、派手にネ」なんてプレッシャー掛けたんじゃないんですか。ご期待に答えて、思い切り派手に舌戦かまして、自分達のブチかました言葉に呪縛されて、最後はアレかい。

 それで、あの一家にやらせるだけやらせたTV局は、他人の顔して亀田家非難の側に回って、亀田家ペナルティを煽るんでしょ。さすがにマスコミ様は、左手と右手に喧嘩させる現代のトリックスターです。シュールだよなぁ。

 マスコミ様と言えば、エリカ様。映画の完成試写会で生意気な態度だったってんですが、そりゃ、エリカ様もインタビューで言ってるように、個人的事情であんな態度になったのは、プロとして失格です。でも、それをマスコミが「生意気だ!」「何様だ!」と報道するってのは、ちと解せないです。それは、見ている一般大衆の側の反応のはず。

 報道する人間は、「あんな態度では一般大衆に悪印象を与えてしまい、試写会は失敗だった」と客観的に報道すれば良いだけです。報道する人間が、真っ先掛けて感情的に「何様、エリカ様」って言い囃してどーするんだよ。

 マスコミ様がまずお怒りになり、それを大衆に振り撒くという構図は、なんだかなぁ。シュールだよなぁ、ニッポン。

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2007年10月11日 (木)

ゆとり警報・・・のようなもの

 今日、学校の職員さんから、ちょっとショッキングな話を聞きました。

 「今年の高卒生は優秀なので・・・」

 え゛っ!?

 どこにその優秀な高卒生(浪人のことです)さんがいらっしゃるんだろー。~o~;;;

 よく尋ねてみたところ、模擬試験の成績では、現役生に対して、浪人の方が今のところかなり優位に立っているらしいです。しかし・・・。我々教えている者の実感としては、今年の浪人達が特に優秀とは思えません。むしろ、例年より出来ない子が目立つんですけど・・・

 どうやら、浪人が優秀というよりは、浪人が優秀に見えるほど現役生の出来が悪いらしいです。今年の一浪君達は、「ゆとり」の影響を一番受けている世代だとは聞いていたし、実際、それはいろんな局面で感じ取れるのですが、現在の高三生の方が「ゆとり」の影は色濃いらしいです。ヤレヤレ、まだ「底」じゃなかったのか・・・。

 この教育の暗黒は何時まで続くのでしょう。まだまだ、来年以降、闇は深くなるんですよ。イヤハヤ、困ったことです。来年の方が悲惨になるって、ウチの学校中央の事務方は認識しているのだろうか、まあ、判ってないよね。~o~;;;;

 四年後、今の一浪や高三生が大学卒業生となって社会に羽ばくことになります。その時になって、事態の深刻さを社会は知ることになるのでしょう。このブログをお読みの方、四年後にアナタの会社に「似る」を「いる」と読むような子が入ってきたとしても驚かないでください。それはその子に限ったことではなく、日本中に山ほどいる普通の「ゆとり」クンなのです。

 しっかし、その時になって、「ゆとり」を推進してきた文部官僚の方は、どう責任を取るのでしょう。取らないよね。つか、文部官僚ごときに責任の取れることじゃないよね。

 本来、教育に「実験」は許されないはずです。それは、社会にあまりに深く長い影を落とすからです。これから先、「ゆとり」が我々の国の文化をどこへ連れて行くことになるのか、ワタシごときには把握できません。だから、今は「ゆとり」警報のつもりでも、これから先、あの時はまだ認識が甘かった・・・。なんてことになるのかもネ。~_~;;;; 

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2007年9月21日 (金)

お若いのは行列がお好き?

 今日は午前中池袋で授業。移動して午後市ヶ谷の日でした。市ヶ谷では、ここのところ毎週、「麺や庄の」さんに行っています。以前は、こちらのラーメン屋は、サラリーマンの昼休み時間が過ぎると比較的空いたのですが、今は二時過ぎでもまだ行列が途絶えません。今日も、ワタシが着いた時には、六人も並んでいました。ところが、カウンターの一番端の席が空いています。またかよ。~_~;;;;

 前に並んでいる六人は、学生三人ずつのグループで、三人一緒でないと座りたがらない様子。こういうの店側にも迷惑なはずなんですよね。ラーメン店なんて座席数少ない上に一人に対する利益率低いから、客の回転が命なのに。

 しかし、ワタシも今日は比較的時間の余裕があったので、大人しく待ちました。数分後、最初の三人がやっと着席したものの、次の三人はなかなか空きません。そうこうしている間に授業時間は迫ってきます。カウンター一番端は十分近く空いたまま。その隣の席の人がまだラーメンを待っている様子だったので、思い切って、前に並んでいる学生に声を掛けました。

 「あの~、三人一緒に食べたいんですよね。僕急いでるんですが、あの端の席に先に座らせてもらえませんか」

 なるべく彼等を徒らに刺激しないように丁寧に言ったつもりだったので、この申し出は受け入れてもらえると思ったのですが、意外なことに、学生さんは気色ばんだ様子で、

 「えっ?! 僕ら並んでるんですケドっ」

 「いや、ほら、あの端の席の隣の人は、まだラーメン待ってるでしょ。あそこが三人空くことは当分ないわけだから」

 「それなら一人、座ります!」

 ん?! な~んだ、彼等には三人で座ることより、行列の順序を守ることの方が優先順位が高いのかぁ~?! ちょっと驚きました。

 そこで、思い出したのが、昨年の春、みつまたスキー場下の「街道の湯」という町営温泉浴場で見た情景でした。その日は、春スキー帰りの客で温泉はメチャ混み。ワタシが脱衣所から浴場に入ると、洗い場は全て塞がっていて、どういうわけかそこに裸の若者達が六、七人、行列をなして待っています。でも、湯船はガラガラ。

 どうも、この行列の人達、湯船には体を洗ってから入るというルールを遵守するために行列しているらしいんです。もちろん、ルールを守ること自体は良いことだと思うのですが、だからって裸で行列作って待ってるってのは、なんだかな~。湯船の湯を汲んで一応体に掛け、先に湯船に入って洗い場が空くのを待つってことは考えないのかしらん。

 後から入ったオジサン達は、みんなそうしました。風邪引いちゃかないませんからね。ところが、若者達は何時までも大人しく並んで待っていました。

 この二つのエピソード、なんだか共通するものを感じませんか。今の若者達って、一旦与えられたルールや順序に対して、異常なほどに従順でかつ頑なな気がするんです。彼等の好んで守る行列はその象徴なのではないでしょうか。

 ルールも順序も、本来、人間同士が上手く付き合い社会の和を保って快適に過ごすためのもののはずなのに、本来の目的(ラーメンを美味しく食べる・温泉でくつろぐ)や他人への思いやり(後に並ぶ人は急いでないか、ラーメン店に迷惑にならないか・後に並ぶ人が裸で待ったりして風邪引かないか)が阻害され、ルールや順序が最優先されているんです。本質が何かを自分で考えることなく、与えられた秩序だけを無条件に守る従順だが硬直した思考の若者。やだなー、そんなヤツら。~o~;;

 なんだか、どっかの国の代表のサッカーみたいですよね。ボールを回してポゼッションを上げろと言われると、従順に頑なに言いつけを守って、肝心のゴールへ向かうという本質がおろそかにされちゃふ・・・。~o~;;;

 ちなみに、ワタシの前に並んだ三人組ですが、なんと、バラバラに座ることにしたら、店の奥に席が三人分取れて、アッという間にワタシも端の席に座れました。をいをい、あの行列はなんだったのぉ?~o~;;;

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2007年9月15日 (土)

受験ブログに垣間見たネットの闇と光

 一昨日夜は池袋泊まりでした。パジャマを持っていくのを忘れ、ビジネスホテルの浴衣を着たのですが、帯が解けるんですよね。ほとんど裸同然の格好でネット見ているうちうたた寝してしまい、思いっ切り風邪引きそうになって夜中に寝覚。そのまま眠れず、最悪の寝不足になってしまいました。

 そんなコンディションでも授業はせざるを得ません。ワタシはこういうコンディション不良を戒める立場ですから、生徒さんに弱みはむやみに見せられず、やせ我慢のカラ元気で一日授業しましたよ、トホホ・・・。~o~;;;

 午後の授業の後の質問を受ける時間に眠れるだろうと高をくくっていたら、そんな日に限って質問引っ切り無しかよ、をい。~o~;;;;;;

 そんな疲労困憊状態だったので、昨夜はブログもサボり、休肝日だったので酒も飲まずに早寝しました。今朝はおかげで、一週間振りにスッキリした朝。ちょっとネットをフラフラしてみました。

 このブログの検索フレーズランキングに、今日は何故か「東北大 古文」なんてのが出ていたのでクリックしてみたのですが、2710件もあるんですねえ。なんと、このブログも12番目に出てきてしまいました。しかし、そんなに早く出てくると、マズいような・・・。某大手予備校関係者に見られたりしたら・・・、ヤバいかも。~o~;;;;;;

 受験生さんのブログもいくつか出てきます。変に余裕のある人、切実な人、なんだかイタイ人、様々なのですが、こういうの見せてもらうと、つくづくネットって不思議な世界だと思います。彼等の勉強、生活の様相を見せてもらうと、明らかにそのままじゃマズいっ!って人が出てきます。ヤバそうな学校を信じきってる人、信用できそうもない予備校屋さんに引っかかっちゃってる人、アヤシゲな参考書で懸命に勉強しちゃう人。

 見ているとついアドバイスしたくなるんですが、でも、ここにワタシが出て行って一人一人にアドバイスするのは、絶対、ネットの常識に反するんですよねえ。~o~;;

 ブログは不特定多数に対するプライベート情報の公開なんだけど、それって、見ている方にはなんだかアヤシゲなピーピング意識があって、「あなたのブログを見てます」とハッキリ言いにくいケースが多いです。また、コメントが匿名でなされる以上、誰だと判って安心出来る人の書き込み以外のコメントは、ある程度疑心暗鬼で読まれると思わざるを得ません。

 結局、ネットコミニュケーションって、あてどない自己顕示と告白、ピーピング趣味と野次馬根性、匿名性に隠れた偽善と露悪と破壊欲と支配欲と、そして見え隠れする商業主義と・・・、要するに人間の隠微にうごめく心の闇そのものの世界。常識的で親身のアドバイスなんて、そぐわないんですよね。第一、そんなこと書き込みして反対の立場のコメントが大量に出てきたりすると・・・、ブログ炎上。~o~ ~O~

 このブログだって、「見てるよ」ってハッキリ言ってくれる人と、ハッキリ言わずに覗いてく人といるわけで、まあ、それがネットの常識なんですよね。ワタシ自身だって、同僚講師のブログは、断らずに覗き見状態だもんね。~o~;;;

 この不思議なブログ文化ってものが、何処へ行き着くのか、将来どんな歴史的評価を受けることになるのか・・・なんて考えてると、いくら考えてもキリがないのですが、実は、ワタシゃそんなことやってる時間ないんでした。デスクワーク済ませて、早く丸沼に行かなきゃっつ。~o~

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2007年9月 8日 (土)

野分の後、丸沼の始まり

 台風のこともあり、原稿のこともあって昨日あたりまで、なんだかバタバタしていましたが、今朝は、久々にゆっくりと寝ていられました。こんなに気分良く睡眠を取ったのは、本当に久しぶりな気がします。

 ベッドの中で、土曜朝の情報番組を見ていたら、最近、秋葉原を訪れる外人さんに人気のコーナーが、トイレの温水洗浄器のコーナーなのだとか。日本に来て初めてウォシュレットを使った欧米人が、「ウォシュレットは最高だ!」「これは我が国に輸入すれば売れる!」なんてやってるんです。去年、このブログにも書いたけど、やっぱTOTOは最高ですよ。やっとそこに気づいたか外人さんよ。早く、キウイ達も気づいてくれー。~o~

 ゆっくり朝食を取りながら、昨夜遅く行われたオシムジャパンのオーストリア遠征の録画を見ました。相変わらずフィニッシュに問題があるとは言え、オシムジャパン好調のようです。稲本がかなりボランチとしてフィットしてます。相手のプレスが早い時間帯は、ロングボールでFW矢野をポストに使い、相手を押し込んでから中盤をつないでサイドを使う攻撃の組み立ても決して悪くなかったと思います。PK負けはしたけど、内容は納得。

 朝食後、尾瀬丸沼のペンションKの実テラスさんに電話して宿泊予約。とうとうこのシーズンが始まりました。丸沼プラスノーの季節です。今夜は久々にKの実さんの美味い晩飯が食べられます。

 丸沼高原は、今年からブラスノーシーズン券を出したり、九月平日もプラスノーオープンしたりと、少しプラスノーに力を入れてきた模様。それは大変けっこうなことなのですが、そのためか、十一月の人工雪のオープンが一週間ほど遅くなったようです。ちょっと心配ですね。温暖化対応ってことでしょうか。どーなんだろ。

 何はともあれ、明日からプラスノーです。ちょっと残っているデスクワークを早く済ませて、午後は丸沼に向けて出発せねばっ!

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2007年8月 8日 (水)

サッカー選手の忍辱と「荒らし」の人々

 今日は、久々にオフの日。デスクワークの日でした。この夏、実は冷房というものを自宅では一度も使っていなかったのですが、今日はとうとう使ってしまいました。クーラー入れないと仕事にならなかったので。地球温暖化を防止せねば生きていけないスキーヤーとしては、まことに不本意だったのですが、今日の午後は窓を開けても無風状態。脳細胞をクールダウンさせなければ仕事にならないので仕方ありません。

 んで、部屋を涼しくして脳細胞をクールダウンさせて、仕事から逃避して漫画読んでたんじゃ何をやってるんだか・・・。~o~;;;;;;

 まあ、一応、仕事に目鼻をつけてから夕食。自宅でのんびり夕食を取るのも久しぶりです。録画して見ていなかったU-22のサッカーの試合を見ながらの晩餐でした。日本U-22オリンピックチームは、先日まで中国のプレオリンピックの大会に出場していました。そこで、中国U-22と対戦したのですが、この試合が実にヒドい試合でした。

 そもそも、このような国際試合では、審判は中立の第三国の人間を起用する慣例なのに、vs中国U-22の試合の審判は四人とも中国人だったんです。五万人の中国サポーターの見守る中、事実上11人対15人の戦いをしたのですから、日本U-22のメンバーも災難です。よくぞケガをせず引き分けに持ち込んだものです。

 実際、試合の後半、中国U-22チームは審判を利用してかなりヒドいプレイを仕掛けてきました。明らかに足が掛かっていないのにファウルをもらうためのダイブを繰り返していましたし、ラフになって危険なアフタープレイのタックルを始めた時には、どうか日本イレブンにケガ人が出ませんようにと祈りました。もし、試合時間があと30分あったら、誰かケガ人が出ずにはいなかったでしょう。あんなのはサッカーの試合ではありません。

 あんな試合をやって恥じる所がないのは、やはりあちらの国の反日思想の影響なんでしょうか。前回のアジアカップの時も酷かったけど、プレオリンピックがこれじゃあ、オリンピック本番も思いやられます。結局、自分に「正義」があると思い込んでいれば、人間というものは何でもやります。本当の残虐は「正義」が生み出すとは、歴史が証明するところでしょう。

 こういう民族や国家の対立イデオロギーは、対立によって利益を得る権力と、対立を面白がって煽る勢力によって生み出されるとは、これまた歴史の証明するところです。かの国の場合、対立によって利益を得る権力が所謂「愛国教育」をして、対立を煽る勢力を育ててしまったというところなのでしょうか。

 対立を煽る輩は、言ってみれば、ネット上の「荒らし」のようなものです。彼等は「対立」そのものが喜びなのであり、思想信条や愛国心は彼等にとって「手段」でしかありません。我々が真に憎むべきは、この「荒らし」の連中です。「荒らし」に対抗するのに「力」をもってするのは逆効果です。「荒らし」が跳梁跋扈する場では、正統で論理的な反論すら、「荒らし」の思うツボなのです。

 そういう意味で、今回の日本U-22イレブンは立派でした。よくぞ相手のラフプレイに耐え忍び平常心のプレイを続けたものです。もっとも、審判が完全に向こうサイドだったので、耐え忍ぶしかなかったんでしょうけど。

 日本サッカー協会は、この試合のビデオをFIFAに送って審判を仰ぐべきでしょう。危うく将来有望な選手達にケガさせられるところだったんだから。それとともに、日本政府も、かの国の「荒らし」勢力をどうにかすべき時です。でなければ、安心してオリンピックに参加出来ません。少なくとも、「荒らし」を育てるような「教育」には、断固抗議すべきです。オリンピック前の今なら可能なはずです。

 もちろん、そのためには、我々の中の「荒らし」勢力をもある程度押さえ込まねばなりません。お互いに譲るべきところを譲る互譲の精神こそが「荒らし」に対抗する唯一の武器です。でも、今の政府にそれは期待出来ないんでしょうかねえ・・・。

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2007年7月 4日 (水)

ハンカチ王朝の謎と次期王子擁立のたくらみ

 今日は、横浜での最終週。授業の方は順調なのですが、例の質問の時間が暇で・・・。

 昨日、今日と例の「王子」がアマチュアゴルフの大会なのだそうで、フジTV系列だと、朝の情報番組からその話が続き、昨日など昼のニュース番組でも、「ところで『ハニカミ王子は・・・』などとやってました。いくら夕方からその大会の中継をやっているからといって、ニュースの中で番宣するとは・・・。~o~;;;

 それにしても、この「王子」現象ってどういうことなのやら。以前から、「○○王子」と呼ばれるスポーツ選手が出てくることはありました。例えば、2002Wカップの時のトルコのFW。その後、Jリーグと契約して、金だけ取ってロクにゲームに出ずに帰っちゃったのはヒドかったですねえ。

 しかし、今回の現象は、どうもあの時とは違います。まず、「ハンカチ」君(王子なので「ギミ」と読んでください ~o~)にしても「ハニカミ」君にしても未成年で、スポーツ選手らしい爽やかさが、ある程度高い年齢層の御婦人(適当な差別用語に置き換えて読むこと)にウケたということ。以前であれば、こういう場合、「息子にしたいスポーツ選手」という扱いだったはずです。例えば、全盛期の「貴花田」みたいな。

 そういう方達がターゲットの「商品」なので、朝の情報番組やニュース番組で流しちゃったりするんでしょうね。だって、マジメな話、たかかアマチュアゴルファーがアマチュア大会に出場したくらいのことをニュースで扱っちゃあねえ・・・。そういうことを考えない層の方達がメインターゲットなんですね。だから、某TBSなんかではスポーツの常識では考えられないような芸能ワイドショー的突撃取材をしちったりするんですね。アレは、某TBSだけが可笑しいのではなく、ああいう取材を求める需要を念頭においた情報供給の仕方なんでしょう。

 「息子にしたいスポーツ選手」という週刊誌的なくくり方ではなく、「○○王子」と呼ばれるのは、今回の現象がインターネット上に由来するからでしょうか。こういう判りやすい用語があった方がネット上では爆発しやすいでしょうから。

 つまり、今回の現象は、以前からあった「息子にしたいスポーツ選手」人気がインターネット上で爆発し、総ワイドショー化しているお馬○TV局がその尻馬に乗っているという構造なのではないかと。

 さて、そこで、次期王子の話です。ズバリ次期王子としてオススメしたいのがU-20Wカップサッカー日本代表のMF青山隼選手。このチーム、たいへんイケメンの多いチームなのですが(FWとGKを除くとってことですが ~o~)、イケメンぞろいの中にあっても青山選手はちょっと突出しています。恐らく、鹿島のDF内田篤人と青山隼ならジャニーズに入ってもトップスターでいられるでしょう。二人ともスラリとした長身だし。ホントにイケメンなんですヨ、奥さんっ。~o~

 青山隼は、実力の方もなかなかのもので、攻撃的MFのチビッコトリオを後ろで支える地味な役割ながら、スコットランド戦では強烈なロングシュートをねじ込んでいます。しかも、試合後のインタビューで「今日はお母さんの誕生日だったので、良い親孝行が出来ました」なんて高い年齢層の御婦人を泣かせるコメントを出したりしてネ。

 まあ、ちょっと「王子キャラ」を狙いすぎてる気もするけどね。~o~;;;

 この後、U-20が勝ち続けて、青山隼がロングシュートを決め続ければ、間違いなく彼は有力な次期王子候補です。ただ、問題は、この「王子」、名前が難しいんです。「ロングシュート王子」ではちょっとイケてないですよね。やはり、ネットで人気爆発させるためには、正統なハンカチ王朝の名前、「ハ○○○王子」が必要でしょう。何かないですかねえ・・・。~o~;;

 なんて書いてるうちに質問の時間が終わりました。我ながらヒマだー。~o~

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2007年6月23日 (土)

勘違い五月晴れ

 今日は、横浜で特別授業でした。先々週と今週の二回でしたが、土曜の仕事、やっと終わりました。ちょっとホッとしています。帰宅後、ネットにつないでみてトンでもない勘違いを発見。昨日、SAJの公式サイトを見て、モーグラータクヤがナショ落ちしたと思い込んでいたのですが、なんとワタシが見たのは05-06シーズンのデータ。タクヤは07-08もナショJr.に残れたのでした。メデタイっ!~o~

 梅雨空と思っていたら皐月晴れというような気持ちです。もちろん、旧暦皐月は、現在の暦では六月中旬くらいからの一月ですから、梅雨時。「皐月晴れ」は梅雨の合間の晴れを言います。まさしく今日のような日。初夏の気持ちの良い快晴と思っているとそれは勘違い。 

 勘違いと言えば、今、『江戸っ子はなぜ蕎麦なのか?』(光文社新書)という本を読んでいるのですが、この本によると、機械製麺などありえなかった江戸時代から「手打ち」という言葉は使われていたのだそうです。「二八そば」などの粗末な蕎麦に対して「手打ち」と呼んだらしいんですよね。機械じゃなく手で打つから「手打ち」と思っていたのは勘違いだったらしいんですね。

 してみると、「手作り餃子」なんかに対して、「足で作ってるわけじゃあるまいしぃ・・・」などと突っ込みをいれていたのは、アレも勘違いだったのかしらん。丁寧に作っているという程度の意味で「手作り」なのかなぁ・・・。よく判りません。~o~;;

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2007年6月15日 (金)

ネット文体!?にタカトシを思う(笑)

 今日は池袋と市谷で授業の日でした。昨夜から、昨日、移動の最中に買った『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(光文社新書)という本にハマってました。太田直子さんという映画字幕翻訳者の方のエッセイなのですが、コレ、マジで面白いです。こういう特殊な位相から日本語に関わっている方のご意見って、妙に共感できます。ワタシも同じような立場だからでしょうか。

 この本の中で、メール文体の「(笑)」や「!」「?」の多用について、太田さんは嫌悪感を示されているのですが、全く同感です。

 「『(笑)』だけはどうしても好きになれない。少なくとも自分では絶対に使わない。あまりに安易だし、笑いを強要されているようで、うんざりする。」

 ごもっともです。実は、以前から全く同じことを感じていました。メールに限らず、ネットの世界でも「(笑)」が出てくるたびにちょっと引いてました。ウチの古文の講師で、テキストの前書きにこの「(笑)」を使う人がいるのですが、このテキストを初めて見た時は本当にキレかかりました。若いモンに媚び売ってんじゃねーよ!って。

 何故ですかねぇ。やっぱり、太田さんの言うように「笑いを強要されている」感覚なんでしょうか。可笑しくもねーのに笑えねーっつーの。

 しかし、初期のネットコミュニケーションに必要な記号だったんだろうというのは理解できます。なんせ、ネットコミュニケーションでは全ての冗談は悪意に取られる可能性を秘めていますからね。~o~;;

 ずっと以前、ネットを始めた頃、スキー関係のBBSで事あるごとに荒れる原因を作っていたことがあります。「この人が書き込むと荒れますねえ」とまで言われたこともあります。自分では冗談のつもりなのに、全く冗談と取ってくれないマジメな方が必ず出て来て。

 それで、冗談だということを示すために「~o~」や「~o~;;」という記号を使うことを覚えました。「(笑)」よりは押し付けがましさがないと思って。まぁ、ホントんとこ、この記号だってちょっと不本意だったんですが、「~o~」なら、自分が笑いながら言っているニュアンスになるかと思いました。「(笑)」では、書いた側が笑ってるんだか、読む側に笑えと言ってるんだか判然としませんからね。

 もしかすると、「人笑われ」を最大の恥辱とする日本社会においては、「笑っても良いよ」と許容する記号が必要なのかもしれません。考えてみれば、漫才における「ツッコミ」だって、笑いを許可する記号として機能しているのではないかと思いますし、所謂「お笑い芸人」達の、意味不明な「ギャグ」だって、「お客さん、ここは笑っても良い所なんですよ」という許容の記号なのかもしれません。だって、ホントんとこ、「欧米か?!」だけで笑えるって変でしょ。~o~

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2007年5月30日 (水)

再び携帯問題~未必の故意と国語力に関する考察

 今日は、夏期講習の申し込み日で授業はお休み。デスクワークと雑用の日です。昨日も書いたけど、雪がなくなってから休みの日なんて・・・。~o~;;;;;

 昨夜、吉祥寺の授業の帰りの電車でのこと。中央線快速は満員というわけでもなく、比較的離れた座席まで見通せたのですが、ワタシの座った座席から優先席の一角が見えました。折りしも、車内放送は「優先席付近では携帯電話の電源を・・・」という例のヤツを流していたのですが、ちょうどその放送に逆らうように、優先席に座った比較的年齢高めの女性(いわゆる「オ○サン」)が一心不乱に携帯を見ています。

 いくらなんでも見苦しいので、席を立って注意に行こうかと近づいて行ったところ、ナント、携帯オバ○ンの向かいの優先席では、年齢高めのサラリーマン(いわゆる「オヤジ」)と鼻輪したパンクロック青年までもが、携帯にらんで親指作業中。あららら。

 要するに、優先席は携帯天国になってやがったと。これって何なんでしょうね。何だか変だと思わないんでしょうか。注意するのも忘れてしばし呆然としてしまいました。

 もし、この優先席に心臓ペースメーカーを埋め込んだ人が座ったとして、万一、影響が出てその人がその晩、息を引き取ったりしたら、この三人は殺人者ですよ。(ちなみに、スキー友達の看護士さんに聞いたところ、こういう影響は、もし出るとしたら、その場ではなく時間が経ってからなのだとか、つまり、その場で具合が悪くなるのではなく家へ帰ってから・・・ってことらしいですよ)

 こういうの法律用語で「未必の故意」と言うそうです。人が死ぬかもしれないことが判っていながらそれを行えば、未必の故意による殺人です。人を轢き殺すかもしれないと判っていて狭い商店街を時速100kmでぶっ飛ばすとか、誰かの頭を砕くかもしれないと判っていながら人通りの多い通りに向かって高層マンションから鉢植えを落とすとか、そんなたぐい。

 この場合、車内放送で注意を促しているのですから、責任の逃れようがありません。携帯オバサン、携帯オヤジ、携帯アンチャン、三人とも同罪です。男女年齢関係ありません。全員ゆうざーい。

 こういう人達、いっぺん殺人未遂で訴えてみたらどうでせうか。~o~

 そもそもワタシは携帯というものが大嫌いです。男女老若を問わず、携帯依存症の皆さんが大嫌いです。携帯依存症患者は社会的マナーや他人への思いやりを全く持ちません。男女老若を問わず、皆さん、大○鹿もーんデス!

 たかが電話機にすがりついて生きるてくれるなよ。情けなくて涙が出ちゃうよ、オジサンは。

 教育再生会議とやらも、ワケの判んない大学改悪なんか議論しないで、若年層への携帯所持禁止くらい言ってみろてんです。

 本当に、若年層の国語力は危機的です。今週の某サンデー○日誌によると、小学生で「花瓶」や「総理大臣」という言葉を知らない子がいるそうです。漢字を読めないのではなく、言葉を知らないのだとか。受験生の年齢でも、当たり前の現代語を知らない子、メチャメチャたくさんいます。以前、「お勘定」を知らない子の話は書きましたが、「泣きに泣く」「笑いに笑う」などという普通の表現、通じない子多いです。格助詞「に」の用法なんてことを教える以前に現代語の表現を知らないんだもの・・・。~o~;;;;

 これらの現象の全ての責任を携帯に被せる気はありません。しかし、携帯の影響があることは間違いないと思うんですがねえ。携帯は世代間コミュニケーションを阻害し、同世代コミュニケーションのみを濃密にしていきます。その結果は・・・。どう考えたって子供同士の絵文字ばっかりのコミュニケーションじゃ言葉覚えないの当たり前ですよネ。~o~;;

 また、最近いくつかの週刊誌で読んだ話ですが、携帯による「プロフ」というシステムが小中学生による陰湿なイジメの舞台になっているとか。それだけじゃありません。携帯は親の管理が利かないのですから、子供がどんなサイトにアクセスしているか・・・、野放しでしょ完全に。危険だと思わないんですかねぇ。明らかに、携帯は若年層には害悪しか与えていません。

 今の政府に期待できることじゃないかも知れないけど、教育改革を言うなら、まず「若年層(出来れば18才以下)への携帯所持禁止」!ここから始めていただきたいです。

 そのついでと言ってはナンですが、電車の中の「未必の故意」な人々も、取り締まってもらえませんかねえ・・・。~o~;;;;

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2007年5月29日 (火)

怖い話のミスキャスト

 今日は昼間雑用、夜だけ仕事の日です。洗濯等の雑用をこなしながら、ネットをフラフラしたり、執筆したり。

 ネットをフラフラする中で、同僚の若手講師の方のブログを拝見。この人、学生時代スキー部にいたということで、スキーの話でつながっている人。なかなか気の良い人なのですが(ワタシはスキーヤーだと人間の評価が甘くなるかも ~o~;;)、ちと驚きました。週に36時間も働いて特別授業までこなしてる!この生活は、けっこうヤバいと思うよ、Nさん。

 去年、普通の講師の授業は週に20時間くらいと書きましたが、この適正レベルを維持するのは、けっこう大変です。人気が出れば、学校側は時間数を持たせたがるし、人気が出なきゃ削りたがるし。自分の体力と収入のバランス、それに自分が現在学校にどう評価されているかなどを勘案して、学校側に来年度働ける日や希望などを申請し、年度始めに学校側がそれを受けて時間割を組んでくるのですが、その駆け引きはけっこう微妙です。加えて、ワタシにはスキーの予定という大事なものもあり・・・。~o~;;

 このNさんの授業時間に驚いて自分の今週の授業時間を計算してみて二度ビックリ。ワタシは、いつの間にか通常授業を週25時間も持たされていました・・・。~o~;;;;;;

 いや、いつの間にかってことはないんですが、今年度、ウチは生徒さんの募集が好調だったとかで、土壇場でクラスの増設などがあり、気づかぬうちに25時間になってました。おまけに質問の時間が4時間。マズイな~。ちとオーバーワークだよ、コレ。

 しかも、ここんとこ三週は、例の出来ない子のための特別授業が土曜に4時間入りました。おまけにこの4時間は、実際には延長授業になって5~6時間になってるから、ここんとこ三週間の労働時間は週35時間近くになっていたんです。どうりで忙しかったワケだよ。はぁ~。

 そのおかげでまだ雪があるってのに、日曜しか滑れなかったんですゼ。まーったく、なんてこったい。んで、かぐらがクローズドになったと思ったら、明日は夏期講習の申し込み日のため休講ときやがる。なんか、学校側、ワタシに悪意あるんじゃないかしらん。~o~;;;

 ワタシゃ正直言って、こんなに働く人間ではないんですよ。こんなのミスキャストです。他の人にやらせりゃ良い仕事を引き受けすぎたかな。特に、特別授業の横浜の件は余計だったね。断りゃ良かったんだよな。スキーの時間を削ってまで引き受ける仕事じゃなかったゼ。ブツブツ。

 しかも、そんな思いをして引き受けた特別授業なのに、授業後アンケートで「不満」と書いてきたヤツが八王子、横浜で一人ずつ、「授業を理解できなかった」が横浜で四人ほど。理解出きないようなことはやってないんですがねぇ。理解しようとしなかっただけだろー。

 確かに、横浜は人数が少し多めだったこともあって、全員を丁寧に面倒見るってことが出来なかったけど、それにしても、昨年度までだったら、特別授業に出てきている子は、一応、(学力はまるで無くても)やる気くらいあったので、努力くらいはしてくれたんですよね。だから、それなりに理解してくれたし、ある程度満足もしてくれてたと思うんだけど、今年は、なんだかモチベーションの点で著しく問題のある子が特別授業に入ってたようです。 

 もしかして、「ゆとり」というのは、学力下位層の学力をダメにしただけでなく、粘り強く努力する気力や集中力やモチベーションまで奪い取ってしまう恐ろしい失政だったのかもしれません。本格的「ゆとり」世代が社会人となるまであと数年。果たして日本はどうなることやら。

 なぁんてことは、まぁ、ワタシの心配することじゃありませんやね。~o~

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2007年5月26日 (土)

信仰のはて論理の始まり~『日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』

 先日、校舎移動の間に星川淳という人の『日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』という長い名前の新書を購入、ゆっくり読み進めていました。ちょうどこの本を読んでいる最中に、danchu誌がクジラ特集をやったこともあって、ちょっと気になったことを書き留めてみます。

 著者はグリンピースジャパンの事務局長で屋久島在住の作家だそうです。正直言って、「グリンピース」と聞くと、我々一般日本人はあまり良い印象を持ちません。独りよがりで過激な環境保護動物保護というイメージがあります。ですから、この本も、半分ほどまでは反グリンピースという気分で読んでしまいました。しかし・・・。

 この星川って人、けっこう知性的です。グリンピースはもっと狂信的かと思ってました。著者は、かなり知性的、かつ論理的に話を進めていきます。出してくるデータも信用できそうだし、御説ごもっともな部分、多いです。

 例えば、調査捕鯨の欺瞞とか、水産庁捕鯨班による情報操作、政治家および外務省の、援助による国際的多数派工作の話などは、ナルホドと思わせる所が多々あります。正直言って、捕鯨に関しては、それほど興味もなく、せいぜい某『美味○んぼ』あたりが扇情的にもたらした捕鯨推進派提供の情報くらいしか持っていなかったので、どちらかと言えば、ワタシは、この著者言うところの「反反捕鯨」気分の一般人でした。それゆえ著者の主張はかなり新鮮だったし、納得させられた部分も多くあります。しかし・・・。どこか引っかかるんですよね。~o~;;

 著者は、この本の冒頭で、

 「いまの日本では・・・なんとなく、美しく感動的な生き物としてのクジラも、鯨肉の好きな人たちが舌なめずりするクジラも、両方ありですましている」

 と不満そうに書いています。しかし、これって、実は日本人の本質を図らずも言い当ててるんじゃないでしょうか。この本の帯には、「好きなのは野生動物としてのクジラ?それとも鯨肉ですか?」という問い掛けがあります。これって、どちらかを選ばなきゃダメなんですかねえ。

 クジラが野生動物だという著者の主張は判ります。でも、野生動物なら好きにならなきゃいけないとか、保護しなきゃいけないとなるのかどうか。少なくとも、一般の日本人にそのような回路は存在しないのではないでしょうか。だから、希少動物、絶滅危惧動物と言われても、すぐに保護に結びつかない。特に自分に利害がないイリオモテヤマネコやマウンテンゴリラなら保護しても良いけど、クジラは食べられるからなぁ・・・。これがワタシも含めて一般日本人の感覚なのではないでしょうか。

 例えば、もし、ワタシがキリスト教徒であれば、野生動物保護の根拠を信仰に求めることが出来ます。

 「造物主の作りたもうた種を守らねばならない、ノアのように」

 と厳かにのたまえば、ワタシは平伏し納得します。しかし、我々一般の日本人には、この手の根拠がありません。

 面白いのは、この著者自身もそのあたりで苦労しているように見える点です。著者は、本書の第一章で自身のクジラ体験を語り、クジラとの神秘的な出会いを通じて「いつもとはちがう回路」を感じ、「私はその回路を、鯨類とヒトがなんらかの形で共有できるリンクだと感じるようになった」と言っています。

 これは、言うなればクジラ教の信仰告白に見えるんですよ、我々一般人には。そして、著者にだってそれは判っているんです、きっと。しかし、ここから論理を始める以外になかったんでしょう、他によって立つ根拠を持たない日本人だから。それゆえ、まず第一章で鯨信仰を告白し、そこを出発点として論理を展開せざるを得なかったんでしょう。

 でも、これのみが鯨保護の根拠なら、我々鯨信仰を持たない者はついて行けません。これ以外に野生動物保護の根拠として著者があげているのは、

 ・冷戦時に得た「生きとし生けるものが平和共存できる世界の実現」を願う気持ち

 ・国際的に野生動物は保護することになっていて、保護に努力しないと国際的非難を浴びる

この二点くらいしかないでしょ。薄弱だし、共感できないなぁ。特に二点目の「国際的非難」の話は、簡単に「他国の干渉を許すまじ」というナショナリズムにひっくり返りそうですよね。実際、それがひっくり返っちゃってる政治家さんは多いわけだし、一般の我々だって、ちょっと扇情的な情報操作にあえば、すぐにひっくり返っちゃいますよ。

 結局、どんなに著者が論理的に振舞っても、信仰のはての論理である限り、信仰を持たざる者を説得することは出来ません。某合衆国のネオコンとイスラムの対立は、どんなに論理的に主張しあっても、互いの正義を受け入れ合うことが出来ません。信仰のはての論理は信仰を持たざる者には受け入れられないのです。

 だからと言って、相手方を自分の信仰に引き込んで洗脳してしまえば良いのだ、となるとこりゃまた問題です。鯨保護を訴える人達が「ホエールウォッチング」を推進するのって、なんだかそんな匂いがしてなりません。”一旦クジラ様の神々しさを見てしまえば、クジラ教に改宗するにちがいない”って、そんな意図が感じられてならないんですよね。ワタシ、そういうのって大嫌いです。

 著者は知性的論理的な人だと思います。だから、我々信仰を持たざる者に納得できるような鯨保護の根拠を示してほしいと思います。どんなに論理的に振舞い、譲歩したつもりでも、相手方の不正をあげつらい論破するだけでは、今まで同様のなじりあいに終わりますよ。 

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2007年5月 2日 (水)

カエル風呂にたどりつくまで

 今日は横浜で授業でした。毎週のことですが、水曜日はシンドイです。朝から六時間の授業を終えて、質問の時間。またしても質問者少ないです。どうも、この校舎は質問を受けるための部屋を、通りをはさんで校舎の向かいの建物に設えてしまったために、生徒さんが質問に来ません。休み時間中はあれほど質問が来て人を休ませてくれないのに、質問の時間になると、ゆっくり休息が取れて、しばしうたた寝。極楽でした~。~o~

 夜、自宅へもどってすぐに新潟へ向けて出発。今日のうちに八海山に着いておかなければ、明日の三日は高速道路下り線が大渋滞になるとの予報なので、仕方ありません。

 渋滞を避けて夜のうちに移動のつもりだったのですが、もう既に交通量が半端ではありません。流れてはいるんだけど、自由に走らせてはくれません。おまけに夕飯を食べに入ったサービスエリアの混んでること。何を食べるにも大行列です。ワタシゃ行列は苦手なんじゃ~。

 この人達、こんな混雑すると判っている日に、何をしに来たのでしょう。いや、そりゃワタシも人のことは言えないわけですが、ワタシゃ新潟へ来るのは、連休の時だけじゃありませんからねえ。目的だって、スキーとはっきりしてるし。

 連休くらいしか遊びに行けないという人もいるのかも知れませんが、他の土日だって出かけられるんだけど、どうせ出かけるなら連休に合わせようという人、多いんじゃないでしょうか。混雑に会いにきているわけですね。みんなが出かけるから、皆に合わせようというレジャー。言うなれば、共同体意識を満たすためのエンカ系レジャーです。日本的と言えばそれまでだけど、どうなんですかねえ、これ。

 おなじみのペンションYにたどりついたのは夜中過ぎでした。ペンションYのオーナー夫妻、待っていてくれました。早速、風呂をいただいてホッ。

 ペンションYは水田の真ん中にあるので、この季節は煩いほどカエルが鳴きます。風呂場の細く空けた窓から、カエルの声が入ってきて風呂場を満たします。すぐ傍でカエルに取り囲まれて風呂に入っているような変な気分。ちょっと妙に癒されるカエル風呂でした。~o~;;

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2007年5月 1日 (火)

「エンカ/非エンカ」で分節される世界またはロックスターの墓碑銘

 昨日、「非エンカ系」料理について書きましたが、実は以前から、音楽については同様の分節を考えてきました。現在ロックやポップスに分類されている音楽だって、アーティストにより作品により「エンカ/非エンカ」に分類することは可能だし、ある程度有効だと思います。

 例えば、某八王子出身のニューミュージックの女王。明らかに「エンカ系」です。彼女は、ある世代の人達の共同体意識をくすぐるのが非常に巧みで、そのことが彼女の魅力の大半であるように見えます。もっとも、コンサートでは「驚きをもたらすことによる感動」が盛りだくさんになるらしく、エンターテイナーとしては「非エンカ系」らしいのですが。

 例えば、某亡くなったカリスマロックスター。完全に「エンカ系」です。彼は、既成の「不良少年」を演じ続け、既成の「不良少年」を歌い続けて同世代の共同体意識をかきたて、カリスマとなりましたが、作品の中身には新鮮味や驚きが少ないので「不良少年」意識の共同体に属さない人間にはあまり支持されませんでした。ワタシなども正直言って、こんな「月並み」の繰り返しのどこがロックなのかと思っていましたが、「不良少年」意識を共有できる人達(現実に「不良」かどうかではなく「願望」も含めて「意識」の問題)には絶大な人気を現在でも持っているようです。

 正直、彼の墓碑銘には「エンカ歌手」と書いておいたら良いのではないかと思います。

 念のために書いておきますが、ここでいう「エンカ」とは何らかの評価ではありません。別に、非難しているわけじゃないんです。ただ、彼の魅力は単なる「ロック」ではなかったはずです。そこのところは、「信者」の人達にも判っていただけるのではないでしょうか。彼の魅力は「驚き」ではなく「共感」だったはずです。

 逆に、演歌歌手に分類されていても、某カラオケ定番歌『○○越え』を歌った女性歌手などには、「非エンカ」系の要素が強く見られます。その非凡で多彩な歌唱テクニックからリスナーに驚きを与えてくれるだけでなく、曲にも既成の発想を外れるものや既成の演歌リズムに乗らない変拍子などが含まれています。彼女などは代表的演歌歌手のはずですが、「非エンカ」と考えて良いのではないかと思います。実は、その微妙なバランスが彼女の魅力となっているのではないかと思います。

 そういう意味では、このブログで何度か批評した平原綾香は、曲自体は「エンカ」、歌唱は「非エンカ」ってことになるんでしょう。

 ワタシにとって、「非エンカ」の代表的アーティストは椎名林檎です。彼女の楽曲や歌唱は、既成概念を常に裏切り続け、リスナーに「驚き」を与え続けました。彼女の全盛期が短かったのは、そのことと無縁ではありません。「非エンカ」的創造を続けることは、自己を消費し続けることでもあります。

 では、YUIは?

 実は、今、YUIのセカンドアルバム『Can't Buy My Love』をヘビロテ中。『Can't Buy・・・』のことを書きたいと思って準備している最中デス。さてさて、このアルバムどう評価したら良いやら。予想以上にカッコ良いってのが今のところの感想なのですが・・・。

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2007年4月30日 (月)

非エンカ系料理の悦楽

 一昨日、尾瀬丸沼ペンションKの実テラスさんに宿泊しました。Kの実さんの夕食は久しぶり。相変わらずハイクォリティです。前菜も美味かったし、最後の肉料理も美味かったけど、友達仲間に評判が良かったのは、「アコウ鯛のソテーアオサソース」。パリッと焼けたアコウ鯛の皮にほのかな甘味のあるアオサソースが合ってます。友達のI夫人も感心してました。

 このKの実さんの奥さんは、料理好きなのですが、単に料理好きというより、多分イタズラ好きなんでしょうね。いつでも泊まるたびに何か驚くような趣向を用意してくれます。昨秋泊まった時の「イカとアボカドの細切りマグロ包みコチジャンソース」なんて典型だけど、何時でもお客を驚かせよう楽しませようとしてくれます。過去にも、いくつかインパクトのある料理を出してくれました。「海老のガレット明日葉ソース」なんて美味かったな~。~o~

 大事なのは、こういう変わった料理が美味しいということ。いくら驚かせる料理でも不味くちゃ意味ないです。初めて聞くような料理が美味しいのは勉強しているってこともあるけど、料理のセンスがあるからでしょう。もしかすると、天才かも、ってホメ過ぎか。~o~;;;

 こういう料理を創作料理と言ってしまえばそれまでなんですが、単に「創作」というに留まらず、言うなれば「非エンカ系」の思想を感じます。

 古代の和歌の世界には、決まり言葉やお決まりの景物の組み合わせなど既成の伝統的枠組みの中で最小限の「我」を表現する伝統がありました。雪を花に例えたり、梅に鶯、紅葉に鹿などを組み合わせたりすることで伝統的美意識に則り、一種の共同体意識に訴えかけて自らの美を表現するやり方です。そんな和歌の世界では、個性的過ぎる表現は嫌われました。曾禰好忠など「狂惑の奴」と言われて異端視されたものです。

 既成の伝統的枠組みの中で最小限の「我」を主張する思想は、日本の芸能の中に受け継がれ、やがて演歌となったものと思われます。演歌では、既成の発想、既成の旋律、既成のフレーズ、既成の歌唱法を必要以上にはみ出すことは嫌われます。北島三郎は、変拍子を使う曲すら嫌がったと言います。

 そんな、既成の枠組みを守って伝統的美意識に則り、共同体意識に訴えるやり方を「エンカ系」と名づけるとします。一方、既成の概念を裏切り個性を主張し驚きをもたらすことで感動を喚起しようとする思想を「非エンカ系」と名づけましょう。

 例えば、料理では、朝の豆腐のミソ汁なんてのは、それがどんなに上手く出来ていても「エンカ系」です。同じスキー宿の美味い食事でも、フランス料理の伝統的手法に則ったオーベルジュ・Fらいばぁんなどは「エンカ系」と言えます。しかし、Kの実さんの食事は明らかに「非エンカ」。「ロック系」って言っても良いかも。~o~

 そんなKの実さんの食事の、唯一の弱点は、食べたいと思った料理をもう一度食べるのが難しいこと。なにしろ放って置いたら、いくらでも新しい料理が出てきちゃうので、美味しかったものは特に覚えておいてリクエストしないと二度と食べられないんですネ。~o~;;

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2007年4月 1日 (日)

感情表現